いざなぎ流の里
第17話 夏休みは彼女の故郷へ
梅雨も明けて日差しが強くなるころ、僕は大学の体育の授業に出席していた。
授業の課目はテニスだ。僕のために教官が球出ししたボールはゆるい放物線を描いて手頃な位置に落ちてくる。
僕はラケットをかまえると、一歩二歩とステップして、バウンドしたボールが跳ね上がるところを捉える。
小気味よい音と共にボールは飛んだが、教官の遙か頭上を越えてコートの後ろの金網にぶつかった。
「何やってるんだよウッチー。真面目にやろうぜ」
後ろからクラスメートの雅俊の罵声が飛んだ。彼は東村雅俊だから「ヒガシ」と呼べと言うが、僕は普通に雅俊と呼ぶことが多い。
大学の体育の授業でテニスを選択した学生もレベルは様々だ。初心者も選択可の授業なので参加した学生は自己申告で3つのクラスに別れて授業を受ける。
高校の部活でバリバリやっていた連中が、軽くラリーを楽しみ、ついでに単位も取ってしまおうというのがAクラス。
ちょっとだけ経験があるとか、最近習い始めてどうにか試合形式でテニスができるのがBクラス。
やったこと無いけど体育の時間にテニスできるようにならないかなと無理矢理ラケットを握っているのがCクラスだ。
僕がいるのは当然のようにCクラス。
「何だよ、高校の部活でテニスをやっていた人はAクラスにいけばいいだろ」
僕が口をとがらせて雅俊を非難すると、奴は言った。
「やめてくれ。この暑さの中、県体会上位レベルの奴らに混じってテニスをしたら、俺は熱中症で死ぬ。先々週の授業で懲りたんだ」
僕から見れば雅俊はスーパーテニスプレーヤーに見えるが、上には上がいるらしい。
「ウッチーはな、肘が決まっていないからあかんのや」
雅俊は右手でラケットを構えて見せながら言った。
「決まるってどういうことだよ」
「スイング練習で教わったやろ。肘は90度の角度で固定して、バックスイングしながらステップし、腰の回転も使いながらボールを送り出すように打つ」
「ふーん」
その時、雅俊の順番が来た。雅俊は自分が言ったとおりにゆっくりとスイングしてみせる。ボールはポーンと軽く飛んで、コートの隅に落ちた。
「体を使う技は訓練しなければな。素振りの練習の時、気合い入れてやらなかっただろ」
図星だった。これからは家に帰ってこっそり練習しようと僕はひそかに思う。
「ところでウッチーは今でもカフェ青葉でアルバイトしてるんやろ。山葉さんみたいなシュッとした感じの美人と一緒に仕事ができていいよな」
「それが、彼女は最近元気がなくてね」
「なんで。またお祓い失敗してウッチーが取り憑かれたとか言うんとちゃうやろな」
「いや実はそれが原因で、陰陽師辞めるとまで言っている」
そろそろ自分の順番が回ってくるので僕はスタンバイに入った。今度は肘を意識してみよう。
「あの人も、性格きつそうでいて結構繊細やな」
返事をする前に僕は教官が球出ししたボールを打ちに行った。
雅俊に言われた肘の角度を意識しながら、体全体を使ってボールを送り出すように打ってみる。
僕の打ったボールはゆるゆるとネットを超えるとコートの白線内にバウンドした。
「おお。やればできるやん」
雅俊に褒められて僕はがぜん気をよくした。
「山葉さんのことだけど、彼女が陰陽師辞めてしまうと、俺はあそこでアルバイトしづらくなるんだよな」
雅俊は腕組みをしてしばらく考えてから言った
「アルバイトしづらいってレベルの話ではないだろ、自分の関わった話だったら、もっと真剣に彼女と話し合ったらどうだよ」
「そうだよな」
「辞めて欲しくないんだったらウッチーが引き留めたらええやん。自分ちょっと主体性なさすぎやで」
「でも、立場上そこまで意見していいものかと」
「じれったい奴だな。必要なことはスパッと言わないとだめ。ちゃんと物が言えたら、山葉さんとの関係も進展するかもしれへんで」
「そ、そうかな」
返事の代わりに、雅俊は僕の頭をラケットでポンと叩くとスタスタと歩いていって軽くラケットを振った。
彼の順番だったのだ。
ボールはきれいに打ち返されてコートの端にでバウンドする。
僕が苦労していたのは雅俊にとっては無意識にラケットを振る程度の事なのだ。
「どうでもいいけど、何故日増しに関西弁が濃くなるんだ。島根出身で東京に出てきてそれはないだろ」
「この前も言ったけど俺の出身は鳥取や。俺は吉本が好きなんや、日本語の範疇に入っていたら別にどんなイントネーションでしゃべろうとかまへんやろ」
「でも、よそ者が話す関西弁は大阪の人にはすぐそれと解るって言うよ。」
すると雅俊は黙り込んだ。どうやら気にしていたらしい。
沈黙の後、彼は口を開いた
「それは一般論や。俺はいつか完璧にしゃべりこなしてみせるで」
僕は彼の関西弁に関しては何も言わないことにした。
体育の授業が終われば昼休みだ。僕が雅俊と一緒に学食に向かおうとしているとスマホの着信音が聞こえた。
「俺のとちがう、ウッチーのとちゃうか」
雅俊に言われてスマホを見ると、西村満里奈さんのトークが届いていた。
「西村さんからだ」
彼女は僕と同じ学科の修士2回生だ。僕に連絡してくるときは栗田准教授からの指令を伝えてくることが多い。
「何て書いてあるんだ」
「栗田准教授が山葉さんに話を聞きたいと言っているらしい。面談の段取りをしろって事だな」
「ちょうどいいから准教授にも陰陽師を続けるように説得してもらったらええやん」
「そうだな」
「時間が空いてたら俺が准教授を案内してもえいよ」
「うん。とりあえず、皆の都合を聞いて日程を調整するよ」
何人かで説得したら彼女も気が変わるかもしれないと僕は少し期待する。
結局、栗田准教授と山葉さんの面談は土曜日の2時半からカフェ青葉で行われることになった。
比較的お客が少ない時間帯を選んだ結果だ。僕は午前中からアルバイトに入っているので、雅俊が店まで案内することになった。カフェ青葉の場所は少しわかりにくいからだ。
約束の時間の少し前に栗田准教授と雅俊は現れた。
「内村君無理を言って済まないね」
「いいえ、こちらに席を用意していますからどうぞ」
僕は予約席にしていたテーブルに2人を案内すると、飲み物のオーダーを聞いてから山葉さんを呼びに行った。
「山葉さん。栗田准教授が来たのでお願いします」
「ああ、そうだったな」
山葉さんにはあらかじめ面談の件を頼んでおいたのだが、彼女は何だか心ここにあらずと言った雰囲気だ。中西家の一件以来彼女には生気がなかった。
僕は洗い物が残っていたので栗田准教授に、後から話に加わると言ってカウンターの中の洗い場に戻った。
カフェのオーナーの細川さんは以前来たことのある雅俊のことを憶えていた。
「春先に葬儀やったときに手伝いに来てくれた子でしょ。実は山ちゃんが休暇を取りたいと言っているから彼にもアルバイト頼めないか聞いてみてくれない?」
僕は休暇の話は初耳だった。
「山葉さんが休暇って、どれぐらい休むつもりなんですか」
「それがね、期間未定で必要な技を身につけるまで実家のお父さんの下で陰陽師の修行をするつもりみたいよ」
「それ、このお店の業務にすごく影響しませんか」
「だから困ってるのよ。でも、あなたを危険にさらしたせいで苦しんでいる彼女をそのままにもできないしね」
僕は早く准教授達の話に加わらなければと思い、残っていた仕事を慌てて片付けた。
細川さんに断ってカウンターを離れようとしていたら、雅俊も僕に向かって手招きしている。
席に着くと栗田准教授が僕と山葉さんを交互に見ながら、話し始めた。
「内村君、話を聞いたところ彼女が実家に帰って陰陽師の修行をするそうじゃないか。千載一遇のチャンスだから是非僕も見学させて欲しいと思うのだ。ついては君も一緒に来てくれないか」
「それの話に彼女が同意しているのですか」
僕は驚いて栗田准教授に問い返す。
「今、了承をもらったよ。現地では彼女の実家の離れに泊めてくれるそうだ」
僕は思わず山葉さんの顔を見た。彼女はむすっとした顔でうなずいた。
「これまでのいきさつも聞いたのだが、今回の件は君にも原因があるかもしれない。内村君も同行した上で彼女の師匠でもあるお父さんに意見を聞くのも解決への近道になると思うな」
ぼくは何だか頭がくらくらしそうな気分だった。僕は准教授への報告は山葉さんが執り行う儀式のレポートにとどめて、心霊現象に関わる部分は伝えていなかったかはずなのに、栗田准教授は詳細までご存じな様子だ。
「ごめんやでウッチー、実は俺が研究室に遊びに行ってこれまでの話をあらかたしゃべってしまってたんや」
僕の様子に気がついた雅俊があやまった。
「後からウッチーのレポートを見て、その手の話はカットしたかったのかなと気がついたけど後の祭りやったね」
僕は過ぎたことは仕方がないと気にしないことにし、栗田准教授に尋ねる。
「栗田准教授は公に心霊現象とか認める立場を取られるんですか」
「いや、その手の話を学会で発表するかと言われれば現時点ではノーだ」
そこで准教授はカフェラテを一口飲んだ。
「でもそこに実在するかもしれない現象を既存の理論で説明できないと言うだけの理由で否定していては我々の文明は進歩しないだろうね」
意外な言葉だった。准教授は更に話を続けた。
「内村君は夢で心霊的な事象に反応することが多いみたいだから今度のゼミ旅行の行き先を恐山とか、座敷童が出る旅館にして彼にも参加してもらおうかな」
「それ面白そうですね。僕も一緒に行きたいな」
雅俊が無責任にあおる。
「うちの学生だから旅費の割り勘を払ってくれたら参加できるよ。まあそれは次の機会として、今回のいざなぎ流の里訪問。内村君には是非同行してもらいたい」
「山葉さん本当にいいのですか」
山葉さんは僕の方を見た。先日の刀の一件では彼女は少し気分が上向いたように見えたが、根本的な部分で自信を失っていることに変わりはない。
「私もそうして欲しい。父や栗田先生の助言をもらってなんとか問題を解決したいのだ」
「それでは陰陽師は続ける気になったのですね」
僕の問いかけに彼女は無言でうなずいた。
「山葉さんとウッチーの留守中は、俺ともう一人同じ研究室の学生にアルバイトとしてこのお店の手伝いに来てもらおうと思う」
雅俊が宣言した。
「雅俊に任せて仕事がちゃんと回るかな」
「ウッチーにできることなら俺にできない訳ないよ。」
僕が漏らした言葉に、倍返しのような返事が返ってくる。
雅俊の人間的なキャパシティを考えるとそのとおりなのだろう。
「ご存じと思うが山葉さんの実家は四国にある。飛行機で行きたい所だが、現地の交通事情を考えると自動車がいる」
山葉さんがうなずいた。
「それゆえ、僕が車を出すので2人とも同乗してください。経費は僕が持ちます。内村君については移動と宿泊、食時の費用は研究室持ちにするからね」
もはや、准教授の頭の中では僕の参加は既定事項になっているようだった。
結局、僕たち三人の四国行きはあっという間に具体化し、大学が夏休みに入ったら、いざなぎ流が伝承されてきた山葉さんの故郷に行くことになったのだった。
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