05

 彼女の音が、これまでにないぐらい、乱れた。


「ねえ」


「うん?」


「治療を、受けて。おねがい」


 心音。息遣い。激しく乱れて、波打つ。どうしていいか、分からなくなった。


「おねがい。あなたに、わたしを。見てほしいの。どうしても。あなたに」


 ぽたぽたという音。涙。


 雨の音と同じだと、なんとなく、思った。


「どうしても、なのかな?」


「うん。どうしても。治療を、受けて、ほしい」


 この耳を。彼女の音を。失いたくはない。


 でも。


 目の前で泣く彼女に対して、なんの手段も、自分は持っていなかった。


「一過性のもので、いいなら」


 くるしまぎれに思いついたのは。


「数時間だけ目が見えるようになる治療が、あったはずだ」


「うん」


「それを一回試して、それで、目が見えるのが気に入ったら。完全に治療するよ。それでいいかな?」


 数時間なら。耳は、大丈夫なはず。彼女の言うとおりに目を少しだけ開けて、そして、すぐ閉じる。もとどおり、目が見えなくなれば。この音を、失わなくて済むかもしれない。


「数時間だけ、なら。それが、僕の譲歩できる、ぎりぎり」


「わかった。それで、それでもいい。おねがい」


 彼女の音。激しさが引いていって。また、もとどおり。安定する。


 雨の音。


「ありがとう。ごめんなさい」


「いいんだ。目の治療をしないのは、僕の問題だから」


 予報だと、あと数日で雨はやむはずだった。

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