第54話 先入観とは自らの願望でもある。
文化祭──正確に言うとあの告白──から四日が経っていた。
先生からの連絡は何もなく、LIMEの通知が鳴る事はなかった。通知がないのに何度もLIMEのトーク画面を開いては小さく溜め息を漏らす事を、日に何度も繰り返している。
あの日、先生を校門まで送って別れてから教室に戻ると、案の定面倒な流れになった。あの女は誰だの、付き合っているのかだの、俺に対して興味も示さなかった連中が集ってきて、面倒この上なかった。付き合っているかどうかなど、答えられたら苦労はない。その返事待ちなのだから。
そんなヤッカミや男からの嫉妬もあって、後片付けでは結構な頻度で力仕事ばかりぶん投げられた。これに関しては文句を言うつもりはない。俺は自分勝手に中抜けしたのだし、神崎や双葉さん(ついでに佐々岡も)には負担を掛けてしまったからだ。もともと彼らの為にも働くつもりではいた。
文句を言うほどではないが、少し困惑している事もある。あの一件があってからか、飯田瞳がやたらと話しかけてくるようになったのだ。元々苦手なのに、用事がないのに話しかけてこられても正直ちょっと面倒というか、気後れするというか……何を言われるんだろうとびくびくしてしまう。彼女の目的がいまいちわからないのだけれど、いちいち俺と佐々岡の会話に混じってくるので、気持ち的にいつも落ち着かないのだ。
『きっとあの子は、湊くんにちょっかい出したいだけじゃないかな』
先生の言葉がふと蘇る。
飯田瞳が俺をバカにしているわけではなくて、ちょっかいを出したいだけなら……一体、どういった意味があるというのだろうか。
いや、正直そんな事はどうでもいい。ただ、どういうわけかそんな飯田瞳も交えて、神崎と佐々岡の四人で一緒に下校する羽目になっているこの現状をどうにかしたいと思うのだった。
佐々岡や神崎と一緒に帰るのは構わない。しかし何故そこに飯田瞳がくっついてくるのか、本当にわけがわからない。ちなみに神崎の彼女・双葉明日香は他クラスの友達と一緒に遊ぶだとかで、今日は別々に帰るようだった。
「で、カテキョとはどうなったんだよ、カテキョとはよ? 俺様の休み時間を削ってやったんだから教えろよ!」
信号待ちの間、スマホを見ていると、佐々岡のバカがそう言いながら俺のスマホに手を伸ばそうとしてくる。
とっさにロック画面に切り替えて、「うるさいな、その代わりお前の分の片づけ全部やっただろ」と一蹴してやる。いや、もうほんとにこいつはカテキョカテキョうるさい。思えばこいつに目撃された所為で神崎にもバレたわけで、面倒しか持ち込まない奴だった。
「あんたバカなの? そんなの訊かなくてもわかるじゃない」
ここ数日の様子見てれば振られたんでしょ、と俺の心臓をクリティカルヒットで抉ってくるのは、飯田瞳だ。デッドボールが急所に直撃したかのような痛みに、何も言い返せなくなってしまうのが悔しい。というより反論の余地なく大正解なのだ。
「神崎くんもそう思うでしょ?」
「うーん……どうだろ? 実際に振られたところを見たわけじゃないから、何とも言えないよ」
神崎は苦笑いして、俺をちらりと見て首を竦めていた。神崎の気遣いに感謝しつつ、信号へと目を向ける。
信号が赤から青へと変わり、同時に横断歩道を渡り出す。文化祭を終えてから一気にぐっと冷えた気がして、思わず空を見上げた。晴れ間のない曇り空は見るからに寒そうで、季節的にあり得ないと思っていても、雪でも降らしてくるのでは、と思わされてしまう。
「……ていうかさ」
飯田瞳がタピオカ屋でミルクティーを注文しながら、不意に言葉を発した。タピオカを飲みたいと言うので、俺達は一同足を止めて彼女の商品が出来上がるのを待っていたのだ。
「あんな綺麗な人があんたの事なんて相手にするわけないじゃん。絶対大学に彼氏いるって」
店員から商品を受け取ると、飯田瞳は続けた。
「誰にでも顔色いい事言ってる八方美人タイプでしょ、あれ。同性の友達いなさそう」
何故か先生を敵視したような言葉を放つ。それに、その表情からして本当に憎しみを持っているようにも見えた。
「それな~。ああいう純情そうなのに限って実は遊んでたりして。ま、あれだ。年下遊んで楽しんでるだけだって。お前遊ばれてたんだよ。な? 元気出せって」
佐々岡がそれに悪ノリして嬉しそうに肩を叩いてくる。彼としては周囲にこれ以上上手く行っている奴を増やしたくないので必死なのだろう。
普段なら、きっと俺もそれに合わせて「うるせーな」とか、適当に合わせて乗り切れたはずだ。でも、自分が不安なせいもあるのだろうけど……先生の事をろくに知りもしない連中に、彼女を悪く言われるのはとても腹が立った。
何にも知らないくせに。男性慣れしていなくて、そのせいで嫌な目とかにも遭っているのに。そんな事情を何も知らないのに、八方美人だとか、年下で遊んでるだとか……好きな人を悪く言われて笑い流せるほど、俺はお人好しではなかった。
「お前らに……あの人の何がわかるんだよ!」
思わず、声を荒げていた。
ただ、俺をバカにするだけなら良かったのだと思う。実際、あれ以降音沙汰もないのだから、脈ナシの可能性は高いし、振られたと感じてしまっている俺もいる。
だが……それでも、彼女を悪く言って良い理由には、ならない。
「うん、僕もそう思うよ。知りもしないのに人の事を悪く言うのはよくない」
神崎が神妙な面持ちで俺の言葉に同意をした。
「イメージとか先入観なんて、自分の都合の良いように持ってるだけなんだからさ。そう思う事によって、自分が得をするからそう思ってるんでしょ? それでどんな得をするのかは本人次第だけれど、人に押し付けるのは良くないよ」
口調こそ穏やかで柔らかいが、神崎の言葉そのものは鋭利な刃物のように尖っていた。彼は今、二人を咎めているのだ。
確かに、彼の言葉は言い得て妙だった。先入観なんてものは、自分にとってそう思う事で得があるからこそ、勝手に作り上げているものに過ぎないのだろう。『あいつはきっと〇〇な奴に違いない』という先入観とは即ち『あいつには〇〇な奴であってほしい』という自らの願望に過ぎないのだ。先入観と自分の願望は強く紐づいている。
「なっ……何よ、二人して!」
神崎の言葉が癪に障ったのか、飯田瞳が顔を真っ赤にした。
「もういいわよ、勝手に騙されてれば? ばっかみたい。あたしこっちだから!」
ちょうど分かれ道になっていたところで、飯田が機嫌悪そうにキッと俺を睨んで別の道をずいずい進んでいく。「ほら、佐々岡も来なさいよ!」と、何故か佐々岡も道連れにされていた。
いきなり怒り始めた飯田瞳と「俺の家、そっちじゃないんだけど……」と愚痴りながらも渋々飯田について行く佐々岡の背中を見送ってから、困惑した表情を神崎に向けた。何故だか知らないが、怒りの矛先は辛辣な言葉を放った神崎ではなく、俺に向けられていたからだ。
「え、何で俺が怒られてんの?」
「彼女には彼女の理由があるんじゃないかな?」
神崎が喉の奥で笑って、視線を飯田さんの背中に向けた。
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