第47話 フーミン
——だからさ、まだ圭が日本に行きたいって言ったわけじゃないけど、もしそう言ったときには背中を押してやりたいんだよ。だから日本にも身許引受人って言うんだっけ? ちゃんと住む所もありますって言えた方がいいのかなと思って。
「で、何年も音信不通の実家をやっと思い出した、と」
と皮肉ってみる。
——まあ、それは悪いとは思ってる。
「留学先はどこの高校を狙ってんの? ここに住みたいってことは横浜?」
——うん。横浜聖華。なんか、外国籍とか帰国子女向けのEnglish Friendとかいう制度があるらしくって、特待生枠で授業料とかも免除になるらしいから、私立だけどそこなら俺の稼ぎでも通わせてあげられるかなと思って。
「ああ、へえ、そうか。聖華……ね」
——ん? なんかあんの?
「いや、なんもないよ。うん。なんもない。いい学校だと思う」
——だろ? ちょっと考えておいてくれない?
「まあ部屋は空いてるけどさ。でも、戸籍上は姪かも知れないけど、知らない子であることには変わりないしなあ。まあちょっと考えとくわ。留学をどうするか決めたらまた連絡ちょうだい」
——うん。わかった。
毎回国際電話をかけていたら大変なので、今後のためにSNSのIDを交換し、史江が受話器を置いて時計を見ると、もう出勤時間だ。大慌てで準備をし玄関を出た。ふと振り向くと家族と過ごした古びたわが家が、あいも変わらず立っている。夫を病気で亡くしてから圭司がアメリカに行った後、また住み始めた我が家は平家の家で、一人で住むには実際大きすぎる家だ。
もし一人増えたら少しはまた賑やかな家になるのかな——。そんなことを考えながら史江は仕事へ向かったのだった。
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「おはようございまーす」
史江が正面玄関脇に置いてあった学校のパンフレットを片手に職員室入り口の引き戸を開けて入ると、奥から声がした。そして今年産休の臨時教員として入った同じ英語を教えている早瀬恵が机を拭く手を止めて立ち上がった。毎日一番に出勤して職員室のみんなの机を拭いて回るのを日課にしている。
「早瀬先生、おはようございます。いつも早くからありがとう。でも、無理しなくていいのよ」と史江が声をかける。
「結構好きなんで大丈夫です。なんか、じっとしてるの苦手なんで」
と早瀬恵は屈託なく笑っている。彼女のこんなところが好きだな、と史江は思う。彼女とは親子ほど年齢が離れてはいるが、同じ英語を担当し、好きな音楽が古いアメリカ音楽とビートルズという趣味が合うこともあって、彼女が臨時教員で来てから毎日を楽しく過ごしている。
自分の席に座り、さっき取ってきたパンフレットを広げた。パラパラとめくると目的のページがあった。
エフ、か。
——まさか圭司がアメリカで子供を育てているなんて、全く想像もしていなかったよ。音楽を諦めたってのは前に母さんから聞いたけど、それにしても。
そんなことを思いながら、ぼーっとパンフレットを眺めていた。
「西川先生、どうしたんです? それ、この学園のパンフレットですよね」
机の掃除が終わった早瀬恵がいつの間にか近くにいて、机に広げたパンフレットを覗き込んだ。
「なんでもないの。ちょっとエフのことを人に聞かれてね」
「エフって、English Friendのことでしたよね」
「そうなのよ。来年の募集要項を聞かれちゃってさ」
——実はまだ、なんも聞かれてもいないんだけどね。
「へえ、エフに応募するって、じゃあアメリカとかの人ですか?」
「まあね」
「さすが西川先生、国際的にお顔が広いんですねえ」
仰々しく恵がいう。だが、その顔が笑っている。
「やあねえ、いくらおだてても何も出ないわよ」
史江は笑いながらそう言って、パンフレットを閉じて机の上の本立てに立てた。
それにしても今朝方、圭司からちょっと話を振られたばかりだったが、もう気になって仕方がない自分がちょっとおかしかった。
——だってしょうがないじゃん。かわいい弟のためなんだから。
そう自分に納得させて授業の準備を始めたのだった。
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