第40話 ブレーキランプ
「どうだい、少しはやる気が出ただろう?」
後ろからポンと肩を叩かれて坂崎はチラリと視線を菊池に向け、
「俺のドラムについてこれてからなんぼなんで、まだなんともはっきりとは言えないけど」と、少し斜に構えた返事をした。「まあ、あれくらい歌えるなら、俺を呼んだのは正解ですが」
「ムーさんが後ろにいてくれると僕もやりやすいんで、ぜひお願いしますよ」
2曲やって息を整えていた圭太が坂崎に近寄って頭を下げると、
「ほかの仕事のこともあるしな。ちょっと考える時間もらうよ」と、いつもは気さくな坂崎が、珍しく言い淀んだ。
「ゆっくり考えていいよ。この子は学校を優先すると先生に約束しちまったからな。本格的に活動するのは3年後。だけど、その前にネットとかでじわじわと顔出ししとこうと思ってんだ。だからこそ君たちの力が欲しい。よろしく頼むよ」
いたって真面目な顔で言う菊池に、何も言わず坂崎と上田が頷いた。
⌘
「圭太、やっぱりバイク?」
恵から聞かれて、「うん」とだけ返事をする。
「高校生乗せてるんだから、気をつけてよ。こけたりしたら大変よ」
「心配すんなって」
そう言いながら、ヘルメットを圭に渡して先にバイクに乗って待った。圭はヘルメットを着けて後ろのシートに収まり、圭太の腰に腕を回した。
いつもの土曜日は仕事のために中目黒に引っ越した恵のアパートに泊まり込んで、日曜日の夜に電車で帰るのだが、明日の日曜日に部活の集まりがあるので横浜に帰ることになっていた。
バイクで走ると夜風が心地よい。後ろからギュッと圭が腰に回した腕に力が入るのがわかる。
「怖いか」
圭太が大声で聞くと「大丈夫! 楽しい」と背中から圭が叫んだ。
「よっしゃ」
圭太はさらにスピードを上げる。圭は本当に楽しそうに何か英語で叫んでいた。二人を乗せたバイクは夜風を受けながら東京から横浜へ駆け抜けてゆく。カーブのコツがわかってきたのか、圭も一緒になって体を傾けてバイクのステップが火花を散らし、ますます息が合ってくるのを感じた。そのバイクが奏でる軽快なエンジン音は、まるで二人の音楽の始まりを告げるプロローグのようだった。
圭の家に着いたのはもう夜中だった。圭太はできるだけ静かに家の前にバイクをつけた。待っていたのだろう、玄関の明かりがぱっと灯り、そっと扉が開いて西川先生が顔を覗かせた。圭はバイクを降りるとヘルメットを取って、無言で左手で拳を作って圭太に向かって突き出した。圭太もその拳に自分の拳を軽く合わせグータッチを交わすと、西川先生に頭を下げそっとアクセルを開けてバイクを出した。
バックミラーに見送る圭の姿が映っていた。圭太は「また明日」とブレーキランプを点滅させてからスピードを上げて東京へ向かったのだった。
見送った圭がじっと圭太の去った方向を見ながら立ち止まっていて、「早く家に入りなさい」と西川先生に促されてやっと家に入った。
⌘
次の日の朝、西川先生と圭が朝食を摂っているときのことだ。
「ねえ、先生。日本ではブレーキランプを5回って、なんかの合図?」と圭が口をもぐもぐとさせながら聞いた。
「それはね、有名な歌があってさ。5回点滅は『あ・い・し・て・る』のサインって昔から決まってんのよね。あっ、バター取って」
西川先生がトーストにバターを塗りながらドリームズ・カム・トゥルーの「未来予想図Ⅱ」の歌詞のことを話した。
「あの歌、私、好きなのよねえ」そう言う先生は、圭が顔を真っ赤にしていたことに気がつかなかったようだ。
⌘
日曜日、聖華学園高等部の音楽室に、軽音楽部のメンバーが集まっていた。しかも、いつもは土曜日に来る圭太がなぜか端っこに座っている。
「静かにして」
西川先生に言われて、ガヤガヤと喧しかった音楽室が静まった。
「では、秋の学園祭に向けて、スカイ・シーの選抜メンバーを発表します。このチームは、もちろん学園祭の大トリでライブをやるので、しっかり練習してください。それから、スカイ・シーのメンバーに入れなかった人も、今年は残った人たちでグループを組んでもらい、スカイ・シーの前にライブをやってもらう予定なので気を抜かないこと、いいですね」
ゴクリと唾を飲み込む音が聞こえそうなくらいの緊張感が音楽室に張り詰めていた。西川先生が手にした紙を読み上げる。
「まず、ドラムは西田さん、ベースを後藤さん。それから、ギターをキャプテン、頼みましたよ」
そう言われて、キャプテンがコクリと頷いた。
「それから、キーボードとピアノを三枝さんにやってもらいます」
ここまでは、誰もが事前に思っていたメンバーだったのだろう、黙って聞いている。
「さて、ボーカルは——」西川先生が一旦言葉を止めた。「ボーカルは、高橋圭さんにやってもらいます」
小さなざわめきが広がった。
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