第20話 めぐちゃん

 ——圭太? どうしたの、珍しい。

 横浜まで来たついでということもないが、圭太は保土ヶ谷にいる恵という姉に電話をした。

「いや、ちょっと用があって横浜に来たから、どうしてるかなと思って」

 7歳年上の姉は一度結婚をしたが性格が家庭向きではないらしく、すぐに離婚をして英語の通訳や翻訳などをやりながら、時々思いついた時に教職の免許を生かして臨時採用の職員をやったりして気楽に生きている。

 ——2年ぶりぐらいでしょ、あんたが電話してきたの。元気なの?

「うん。なんとかがんばってるよ。めぐちゃんは? まだ横須賀の学校?」

 年が離れている姉に甘やかされて育てられた圭太は、いまだに子供の頃と同じように彼女を「めぐちゃん」と呼んでいる。

 ——あそこは一昨年まで。今年の3月まで、横浜の学校に産休の臨時で入ってたんだけどねえ。契約が終わったから、また新しいとこを探してるとこ。今はプーってとこね。あんたは? 仕事ちゃんとあるの?

「仕事は大丈夫だから。結構有名どころのバックで弾いてるよ」

 ——あんたさあ、お父さんたちにたまにはちゃんと報告しなよ。連絡ないって心配してたよ。

「わかった、わかった。今度電話しとくよ」

 ——絶対よ。今日は? こっちには寄れないの?

「明日も仕事だし、これから東京に帰るんだ。また横浜には何回かくるから、そのうちに寄るよ」

 ——あら、横浜で仕事なの?

「あー、実は横浜の高校生にすごく歌の才能ある子を見つけてさ。うちの事務所にスカウトしたくて」

 ——横浜の高校? どこ?

「ええっと、聖華学園ってとこ。学校が厳しくてね。なかなか手強いよ」

 ——音楽やる子なら、スカイシーとかの子なの? 西川先生、いた? 

「西川って英語の先生だよね。姉貴、なんで知ってんの」

 ——3月まで臨時教員で入ってたの、そこなのよ。子供たちに西川先生と2人で英語を教えててね。西川先生、軽音の顧問だし。

「……今な、めぐちゃんに後光がさして見えた」

 ——嘘つけ、都合のいい時だけ。ハハハ。で? 西川先生、なんて?

 圭太は藁にもすがる思いでケイとの出会いからこれまでの経緯をすべて恵に話した。


 ——あの学校は結構校則とかも厳しいとこだからね、髪の毛もじゃもじゃの髭面男が突然訪ねていって、女子高生をスカウトに来ましたなんて、めっちゃ怪しいじゃん。そりゃああたしでも通報するわ。

「だろうね。それもわからんでもないけど、あの子は特別な才能を感じるんだ。俺もこの世界で飯を食ってるけど、なんか、まだ出会ったことがない、奇跡の声というか」

 ——次、いつ行くつもり? 一緒に行ってあげるわ。あんたがそこまでいう子なら、私も聴いてみたい。

「本当に?」

 ——あたしは、身内のひいき目で姉バカって言われるかもしれないけどさ、圭太のギターが特別な才能だとずっと思ってたのよ。そのあんたにそれを言わせる子ってすごい興味がある。一緒に行かせて。西川先生にも会いたいし。

「ありがとう。なんかめぐちゃんは希望の光だよ」

 ——でしょ? 圭太は私が育てたんだから、もっともっと感謝しなさい。

「はい、感謝しております。じゃあ、また行くときは電話する」

 そう言って電話を切った。


 その日から2週間ほどは、新人アイドル用の曲の音入れの仕事があり、代官山のスタジオにこもっていて、なかなか横浜に行くことができなかった。やっと休みが取れる水曜日、姉に連絡してその日は横浜にバイクで向かう。横浜駅前で姉を拾い、そのまま聖華学園に走らせた。

 ちょうど授業中だったせいか、学校は静まりかえっていた。姉は慣れた様子で門衛の老人に声をかけると、驚いたように老人も笑っている。

「許可は取ってるからついてきて」

 この間のこともあり、緊張しながら圭太は姉の後ろをついていくと、この間とは違い校舎の中へ姉は入っていくので、遅れないように気をつける。こんな場所で1人にされたら、変質者扱いされそうだ。

 プレートに「職員室」と書かれた場所で立ち止まると、姉がそっと扉を開けて中を覗き、

「こんにちは」

と職員室の中へ声をかけると、職員室の中から声が聞こえ、姉は「来ちゃいましたあ」と大袈裟に手を振りながらズカズカと部屋の中へ入っていく。圭太がどうしたものかと入り口で立ち止まっていると、

「圭太、あんたも来なさい」

と姉に導かれるまま、そろりと室内へ入ったのだった。


 部屋の片隅に応接テーブルが置いてあり、2人はそこへ案内された。しばらくすると、「あの」西川先生がお茶を盆に乗せてきて、こちらに2個、向こうに1個と分けて置く。

「あなた、まだこの部屋にいても、全然違和感ないわねえ」

 西川先生は恵にそう言いながら、圭太の方へ目を向けた。

「あら、あなたこの間の……」

「先日はいきなり失礼しました」

 圭太はとりあえず頭を下げた。

「あなたたち、お知り合いだったの?」

「実はこれ、私の弟なんです。なんかご迷惑を先生におかけしたみたいで」

 そう言って姉も頭を一度下げ、今度は圭太を見ながら、

「だいたいさ、ご挨拶なんだから、あんたヒゲぐらいちゃんと剃ってくるもんよ。みっともない。あー嘆かわしい。」

と睨みつけた。

「えーっ、弟さん? あなたの?」

 西川先生は恵と圭太の顔を交互に見ながら、いたく驚いた様子だ。

「本当に気が利かないギターバカの弟で。お恥ずかしい限りです」

と、恵は本気で照れているみたいだった。

 

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