珈琲は月の下で No.3

久浩香

想いが通じる5分前(恋愛)

 サークルの新入生歓迎コンパは、アスレチック場やキャンプ場等の様々な施設が完備された自然公園内でおこなう。夕方から、バーベキューテラスで飲食した後、併設された宿泊所の30畳の和室で雑魚寝するんだ。1泊した後は、敷地内のレストランでモーニングを食べて解散する。というのが毎年恒例の行事だ。


 新歓なので、1年生に手伝わせるわけにはいかない。つまり、3年の先輩の指示の元、僕達2年生は働き蟻とならざるを得ない。でも、まあ、そんな事は、どこでもそんなものだろう?

 ただ、今年の1年女子の中には、ちょっとしたトラブルメーカーがいたんだ。元からそうなのか、大学デビューなのかは解らないけど、多分、その子の存在に惑わされた先輩のせいで、僕達は誰も、飲み物を買ってくる指示を受けなかった。ビールサーバーや、先輩方からの差し入れ分があったので、全く無いってわけじゃ無かったけど、量が少なすぎるし、呑めない子は水を飲むしか無かった。


 急いで追加の買い出しをして、ダンボール10箱程の飲料を買い込んだ後、それぞれ手分けして、宿泊場所に運んだり、水を飲んでる人達にジュースを配って回った。僕が、バーベキュー台の前に立って食べている子達の後ろにあるテーブルの上にダンボールを置き、水を張った盥やバケツの中に、種類毎にまとめて置くよう気を付けながら、買ってきた飲料を移し変えていると、件のトラブルメーカーが、呑んでいた酎ハイを片手に近寄ってきた。


 名前は、渡辺美紀。

 新入生の中では、ダントツに可愛いらしい女子なんだけど、それだから性質が悪い。彼女は、“写真を撮る事”に興味があった訳じゃなく、“男を獲る事”が目的だったようだ。入部とともに、あからさまに『彼氏募集中』を掲げ、いつの間にか、男子部員の間の席におさまっている。そりゃあ、うちのサークルは、部員同士の恋愛を禁止しているわけじゃないけど、やっぱり、そういうのはトラブルの元でもあるから、よっぽど『公認の仲』って感じにならないと、慎むようにするのが暗黙のルールだし、例え『公認の仲』であっても、普通、人には羞恥心というものがあるから、部室でベタベタしたりなんかしない。

 それなのにこの子は、気が付けばパーソナルスペースをぶち破ってくるし、隙あらばボディタッチをしてくるんだ。副部長の三宅先輩が注意したみたいなんだけど、『え~。こんなの普通ですよ。私ってサバサバ系じゃないですか? だから、つい、大袈裟なリアクションを取っちゃうんですよねぇ。ってゆうか、男の先輩と喋っちゃいけないんですかぁ?』とかなんとか、言い返されたらしい。


「ねぇ、ねぇ。先輩。先輩ぃ。先輩の誕生日ってぇ、いつなんですかぁ?」


 …そして、どうやら僕は、この渡辺さんにロックオンされている一人なんだそうだ。自称サバサバ系の彼女は、肉食女子としてなかなかの手腕を兼ね備えており、脈絡もなく「お話して♡」と近づいて来る。どうせでも、女子に対しあまり良い印象の無い僕は、ぐいぐい来る彼女に辟易して、買い出し係を買って出たといっても過言では無い。

 だけど、まあ。取り合えず、今は、ただの後輩だ。三宅先輩から忠告されたとはいえ、何も起きていない内から、これぐらいの質問さえ邪見に返したら、僕の方が、自惚れだとか、冷たいだとか言われる可能性が高い。


「あ? えっと…誕生日? 10月8日だけど?」


 僕は手を止めて、彼女の方へ顔を向けた。

 春とはいえ夜風は冷たい。半袖シャツは寒いんじゃないか? それから、ボタンを3つ外すのも、ちょっと、やりすぎ感がある。開襟部からタンクトップと、その…谷間の入口が見えちゃってるんだよ。僕だって男だから…目に入ったら、そりゃあ、見るさ。


「へぇ。そうなんですね。えっと…10月8日ってことわぁ~……て「煩悩ですね」んびん…って、えっ?」


 背中から聞こえてきた声に、僕と渡辺さんはギクッとして顔を見合し、揃って後ろを振り返った。声を発した人物は、右手に割り箸、左手に紙皿を持ち、デニムのジャンバーを着たベリーショートの子だった。


「ちょっ。ちょっとぉ。何なの? 煩悩? な、何、言ってんのよ? あんた」

 渡辺さんは、後ろに立つ彼女に動揺しつつ、目くじらを立てて食って掛かった。

『煩悩』という言葉が、彼女の図星を付き逆鱗に触れたようだ。かくいう僕も、渡辺さんの胸元に『煩悩』を巡らせていたので、渡辺さんを静止する事も忘れ、突っ立っていた。


「何って、先輩の誕生日が、10月8日って聞こえてきたから、10月8日じゅうがつようか108いちれいはち108つひゃくやっつと言えば、煩悩の数だな~って。でしょ? …あれ? 違ったかな」

 首を捻った彼女に、渡辺さんの顔は、更に赤くなった。


「ま、いっか」と言うが早いか、渡辺さんの剣幕などどこ吹く風というふうに、すたすたとテーブルを挟んだ僕の対面まで回り、テーブルの端に、紙皿と割り箸を置くと、「何があるのかな~」と、ダンボールの中を物色しつつ、邪魔物を排除するように、酎ハイやペットボトルを、盥やバケツに片づけ始めた。


「君は…えっと…」

「新井です。新井和子。ちなみに、私の誕生日は2月9日。肉の日です。覚えやすいでしょ」


 渡辺さんは、彼女が僕の手伝いを始めると、いつの間にか、ぷいっと去っていった。1年男子の輪の中に入っていった彼女に、中の一人が、自分の着ていたジャケットを彼女の肩にかけていた。

 なるほど。最初から、そうして貰うつもりだったんだな。


「あ、じゃあ、新井さん…何が飲みたいの?」

「ん~~。珈琲が欲しいんですけど……無いようですね」

「珈琲? 酒は? 呑めないの?」

「私、未成年ですよ。アルコールは、駄目です」

 胸の前で、小さなばってんを作る。

「……そっか」


 ふむ。

 お酒は二十歳になってから。とは、いうものの、『アルコールを受け付けない』と言って、断る奴は見た事があるが、それを律儀に守っている人間に会うのは初めてだ。


 コーヒー。

 コーヒー…ね。

 コーラや紅茶、お茶の類は一通り買ってきたけど、そういえばコーヒーは買ってなかったな。

 もう1回、車を出しても、もう店は閉まってるだろう。


「そういえば、入口のところに自販機があったっけ。えっと…ちょっと遠いけど…一緒に行く?」

「はいっ」

 彼女は、大きく頷いた。


 飲み物を出してる内に、段々と空のプラカップを持った部員達が集まり、空き箱となったダンボールを崩して、お役御免となった僕達は、特に話す事もなく、並んで坂を下っていった。


 僕は、千円札を自販機に入れ、彼女の分と、ついでに僕のコーヒーも買った。

「はい。どうぞ」

 そう言って差し出すと、彼女は、恐縮しながら、

「有難うございます」

 と、それを両手で受け取った。


 プシッ。

 自販機の灯りの前で、プルを開けたのは同時だったが、彼女は左手を腰にやって、首を後ろに伸ばしていく。190gの液体は、みるみる内に彼女の食道に流し込まれた。


「ぷはっ。美味うまいっ!」

 親父のような台詞を吐いて、唇を袖で拭う。なんとなくだが、彼女の父親のビールの飲み方が解ったような気がした。それから、そうじゃないかな。とは思っていたけど、やっぱり、彼女はノーメイクだったようだ。普通、女子は、口紅を気にして、こうも豪快に服で口を拭ったりしない。


 新井さんは、からになった缶をじっと見つめ、何を思ったのか、それを空──月の方角に掲げ、

「悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、愛のように甘かった…なんて、ね」

 と宣った。


「? 何、それ?」

「さぁ? よく、解りませんが、珈琲を称える賛辞の言葉だそうですよ。昔、誰かが、そんな事を言ってたそうです」

「へーーー」


 僕が、ボケーっと突っ立てると、

「もう一本、買っとこ」

 と、さっさと自分の財布の中から、小銭を出し、取り出し口の前にしゃがみこんで、缶コーヒーを取り出した。


 帰り道。僕が、コーヒーを飲みながら歩いていると、不意に彼女が口を開いた。

「ねぇ、先輩。先輩のお姉さんって、薙刀部だったんですよね?」

「うん?」

「覚えていませんか? 入部当初、私が薙刀部だったって言ったら、先輩が、そう仰ってたんです」

「そうだっけ?」


 僕は、記憶を辿った。

 そういえば、そんな話をした事もあった気がする。


「そうですよ。先輩。お姉さんの試合の映像を見た時、解説者が“上段の構え”って言ったのを、“冗談の構え”だと言ったと思ったって、仰ってましたよね。……私、それがもう、可笑しくって」

 新井さんは、そう言うと、くすくすと思い出し笑いをした。


 なんだろう。

 色気もそっけも何も無い彼女が、なんだかとても不可思議で、……………僕はどうやら、彼女に興味を持ってしまったようだ。



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