時に祈る
五三六P・二四三・渡
独白 私の章
私は教師という職業についている人を、例外こそあるが尊敬していた。
と言うと「どこまでが例外だ?」とよく聞かれる。
怠惰な教師というものは必ずいるものだが、私にはよく気持ちがわかるし、強く攻める気は起きない。しかし、あくまで限度はある。どれぐらいまでが許せるかというと、逮捕されるほどの教師ともなれば、建前であれ本音あれ、強く『あそこまで行くと例外の範囲内に入る』と強く主張する程度の社会性は、こんな私にもあった。
それでも私は教師という職業を尊敬している。
何故なら、私みたいな人間にモノを教えるのが仕事だからだ。高慢で自己愛が強く他人を見下しがち。コミュニケーションが満足に取れず、何を考えているのかわからない。そんなのが一部屋に何人もいて、一年以上付き合っていくことになる。そして将来という曖昧模糊としたものに対して、ある程度の道筋に導いてやらねばならない。考えただけで気が狂いそうだ。
よく言えば厳格な両親により、幼少期から目上の人は尊敬すべきと強く叩き込まれたために、上記のひねくれた目線以外の理由でも、学校の先生の前では礼儀正しくしてはいた。ただ中学生ともなると、周りは思春期真っただ中となり、教師というものもまた人間であると確信を持ち始め、更に学んでいることにも疑問を持ち始める。そこから現れるのはモノを教えてもらう立場でありながら、横柄な態度を取り始める生徒たちという、両親から教わったかくあるべき教室とは別の空間が形成され、私のアイディアンティは揺らぎを覚えた。その揺らぎは真面目に授業を受けない生徒たちへの憎しみや、なめた態度をとられても、おちゃらけた姿勢を崩さない教師に失望を生む。自身の勉学への取り組む態度にも疑問を覚えた。その結果は成績の低下というわかりやすい形で現れる。でありながら遊びぼうけていた同級生が自分より偏差値の低い場所へ進学すればいいのにと祈り、お決まりのようにそんなことにはならず、勉強も大してできず、社交性のない自分というものが完成した。
これまでを振り返って、じゃあどうすればよかったなどいうものは、今でもわからず、結局のところ人の成長というものは不確定なものであり、それを導くなんて私にはとてもできない。以上のことから自分は教師という職業には絶対ならないと、確信していた。
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