第41話 不安! いったい氷上の身に何が!

「氷上いっ! 止めろおっ!」


 肩に鈍い痛みが走る。

 ギリギリで間に合った俺は、先輩を抱えて地面を転がる。


「くっ!」


「紅様、しっかり!」


「寸止め、するつもり、だった。水取、私が、本気だと、思った? あー、なんか、ますます、ウザい」


 倒れた俺達目がけて、氷上はトンファーからかまいたちと衝撃波を放ってきた。


「何の冗談だよ。やりすぎ――」


 氷上の長い前髪の奥に冷たい色が見えた瞬間、俺は抗議の口を詰まらせてしまった。


 何で、周りの全てを憎んでいるような悲しい目をしているんだよ。


 お前、寸止めするつもりだったって言っておきながら、振り抜いていたよな。


 本気で先輩を殴ろうとしていたよな。


 いったい、何を考えているんだよ。


「紅様、下がって。くっ。きゃああっ」


 動きを止めてしまった俺の代わりに、前に出てくれた先輩がトンファーから放たれた攻撃の直撃を食らってしまった。


 先輩は地面を転がり、制服がビリビリに裂けた無惨な姿で横たわる。


「光亜麗先輩! くそっ、氷上、どうしたんだよ。さっきから変だぞ!」


 氷上は俺を無視して歩きだし、校門を越えた。


「氷上!」


 俺は駆け出そうと踏み込んだが、思いとどまり、傷つき倒れた先輩を抱き起こす。


「先輩、しっかりしてください。怪我はしていませんか」


「不覚ですわ……。取締委員会四天王が、一年生に敗北するなんて……」


「大丈夫。怪我は浅いです」


 制服が破れてエロいことになっているが、怪我は擦り傷くらいのようだ。けれど、滑らかな白い肌の所々に血がにじんでいて痛々しい。


「恋人、言う、くせして、追いかけて、こない」


 ぞっとするくらい冷淡な声がしたから振り返れば、氷上は校門を越えたところで、じっと俺を見つめていた。


 闇のように濃い隈の上で、大きな眼球が俺の瞳を射抜く。


 俺は戦慄してしまい、震える唇は動かなくなってしまい、氷上の名を呼ぶことさえ出来ない。


 氷上が踵を返して離れていく。

 俺は射すくめられていてる。


 坂を下り、木々の作り出す薄暗い影へと沈んでいく姿を見送るしかなかった。


「氷上……。何で……」


「悔しいですわ。美月さんみたいな、学園生活に不満を持っている方を救うための取締委員会ですのに……」


「……すみません」


「紅様は謝る必要なんてありませんわ」


「いや、でも、クラスメイトだし。俺も、止めることが出来なかった」


 先輩が立ち上がろうとしたのか、身体を強ばらせる。

 けど、体力が万全ではないらしく、諦めて身体から力を抜くのが分かった。


「紅様、私は大丈夫ですから、氷上さんを追いかけてください」


「……でも。氷上、人の話を聞ける様子じゃなかった」


「だからこそ、ですわよ。他人を拒絶しようとしているのでしたら、なおのこと、一人にしては駄目ですわ。さあ」


 先輩の手がそっと俺の胸に触れる。


「私にはずっと、氷上さんが泣きながら、助けて、一人にしないでって言っているように聞こえましたわ。紅様は、違いますの?」


「お、俺は」


 正直、俺はどうすることが正解なのか、分からない。

 俺には、助けを求める氷上の声なんて聞こえなかった。

 ただ、俺を拒絶しているように思えてしまった。


「早く! 私も回復したら追いかけますわ。だから、紅様は氷上さんを追って!」


「は、はい」


 俺は先輩が急かすから、押しだされるようにして立ち上がり、校門へと向かう。


 けど、鉛になってしまったかのように脚が重くて、ぜんぜん前へ進まない。


「走って。……走りなさい!」


「……はい」


 俺はもやもやする気分を吹き飛ばしたくて、がむしゃらに走ろうとした。


 でも、深い海に沈んだかのように身体に抵抗を感じるし、直ぐに息が切れてしまう。


「氷上……。おい、氷上、何処だよ……」


 左右の林に気配を探る。


 奥の木々が鬱蒼と密集しているあたりは夜のように暗くなっており、氷上が潜んでいるとしたら探し出すことは無理だ。


「氷上、出てきてくれよ。教えてくれ。俺がお前を怒らせたのか? なあ……」


 俺は少し走ったら手近な木々の陰に視線を配り、また走りだすことを何度か繰り返した。


 学園の外へと繋がる外門まで辿り着いても氷上の姿を見つけることは出来なかった。

 俺が追いつけなかったのか、何処か途中で隠れていたのか、どっちだろう。


 きっと、未だ学園内にいる。

 俺は根拠もなくそう考え、外門にもたれるようにして座った。


 俺は、ただ待った。


 けど、けっきょく氷上は現れなかった。


 部活を終えた生徒がちらほらと帰宅し始めたので、俺は待ち続けるのを諦めた。


 光亜麗先輩に合わせる顔がない。


 知り合いに会いたくないから、俺は外門を出て、一人で家に帰った。


 いったいどうして氷上は急に、あんなにも不機嫌になったんだ……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る