ドリーワン ~夢を見たとき、その夢からひとつだけ現実世界に持ち帰ることができる。夢を見なかった場合、現実の世界において大切なものを順番にひとつずつ失う。 ~
第26話 ドリーワンワンスモア・ドロップアウツⅢ 花房ルリヲの失敗 ①
第26話 ドリーワンワンスモア・ドロップアウツⅢ 花房ルリヲの失敗 ①
都市伝説――今ではフォークロアと記述するべきなのかもしれないが――に少しでも関心がある者なら、こんな都市伝説を耳にしたことがないだろうか?
「酒鬼薔薇聖斗が医療少年院を出所してあなたの住む町で何食わぬ顔をして生活している」
今ではどの地方にも存在する都市伝説のうちのひとつである。
切断された男児の生首を中学校の校門に飾り逮捕された少年も今では、20年前の事件当時から一切年をとっていなかったという死刑囚と同じ年の青年となり、都市伝説の中の人物にまでなっていた。
それくらいには、青年が10年前に引き起こした連続児童殺傷事件が人々に暗い影を落としていた、ということなのだろう。
当時は彼に影響を受け犯罪に手を染める少年たちも少なくなかった。
断言しよう。
酒鬼薔薇聖斗はあなたの町には存在しない。
もっとも、あなたが神戸市須磨区の住人でなければの話だけれど。
彼は、彼が産まれ育った町に帰ってきていた。
そのことにこの町の住人たちは無自覚であり、知るのは私とふたりの娘だけである。
申し遅れた。
事件直後一家離散した彼の廃屋となった家に今ではひとり住んでいる彼の、私は後見人といったところである。
私の名前は花房ルリヲ。
一応職業は小説家ということになっている。
小説家だが、こうして小説じみた文章を書くのは実は生まれて初めてののことである。
小説家としての代表作は「口裂け女、人面犬を飼う」。
角川スニーカー文庫から好評発売中である。ぜひお手にとってみてほしい。
この小説じみた文章のわずかながらの読者には、ドリーワンという奇妙な夢見る力に翻弄され手記を記した加藤学という名の少年をご存じの方もいると思う。
私は彼の叔父――神戸のおじさん――であると説明したほうがわかりやすいかもしれない。
私はもう何年も小説を発表していないが、それでも毎年生活に困らない程度の一定の印税を得ることができており、双子の雪と夜子という娘たちと三人で、10年前の事件のことなどもはや誰も思い出すことのないこの神戸市須磨区で、平凡で退屈だが幸せな毎日を過ごしている。妻はいない。
十年ほど前にインターネットの巨大掲示板に出入りしていた者なら誰もが酒鬼薔薇聖斗の本名と顔写真を目にしたことが一度くらいはあっただろう。
けれど、彼は事件当時14歳だったから、彼の名前を、いくら既に不特定多数の人々に知られているとはいえ、ここで明かしてしまうわけにはいかないし、少年Aと記述するのはいささか気がひける。
彼の事件を小説化した桜井亜美の作品から引用して、彼の名をダイドウカズキと呼称することをどうか許していただきたい。
彼自身彼女の小説を随分気に入っているらしく、「××××という名前ではこの町では暮らしにくいだろう」と言う私の言葉に「じゃあ、ダイドウカズキで」と彼自身がそう名乗りたがったくらいである。
彼女の小説を彼は医療少年院で読んだそうだ。
私はダイドウカズキを、今時珍しい話ではあるが、弟子に迎え入れることにした。
だから私が彼のために用意した名刺には片仮名でダイドウカズキの名が記されている。
私が小説の作法を教えるまでもなく、彼は廃屋となってしまった家ですでに何本かの小説を書き上げ、そのうちの一本は小説すばるの新人賞の最終選考にまで残った。
ダイドウカズキは私より上手に小説を書いてみせるのだった。
すごいな、と褒めてやると、医療少年院でたくさん本を読みましたから、と彼は嬉しそうにするわけでもなく、そう言った。
彼の事件について新聞記事やワイドショー以上の情報、つまりは彼と彼の引き起こした事件について書かれたいくつかの書籍を読んだ者なら、彼が直感像素質という類稀な能力を持って生まれたことをご存じのはずである。
それは将棋や囲碁のプロになるために必要とされる能力のひとつで、目で見たものをそのままそっくり瞬時に画像としてキャプチャし脳裏に焼き付けることができる力である。
だから将棋や囲碁のプロたちはいとも簡単に何千何万という棋譜を記憶し、記憶からそれらの棋譜を引き出すことで常に最善の一手を選択することができるのである。
彼の場合、直感像素質は小説を記憶するという点において開花したようである。
彼の脳裏には医療少年院時代に読んだという古今東西の文学小説がキャプチャ画像として何千枚も何万枚も取り込まれているようなのだ。
だから彼は物語をあらゆる書籍から引き出した最善の文章で表現する。
誰でも処女作というやつは好きな作家に多分に影響を受けたものになりがちだが、彼の処女作は誰かに似ているようで誰にも似てはいなかった。
天才、だと思った。
私は畏れおののき、そして嫉妬した。
この物語はタイトルにある通り、私の失敗談である。
今思えば、彼を私の弟子に迎え入れたこと、それが私の失敗のはじまりであったかもしれない。
ダイドウカズキを私のもとに連れてきたのは、私の双子の娘である雪と夜子であった。
ふたりとダイドウカズキは幼ななじみであった。
彼にはふたり弟がいたが、彼は逮捕される日の朝、飼っていたガバメントという奇妙な名前の亀の世話を雪と夜子に頼んでいった。
まるでふたりの弟よりも雪と夜子こそ自分の兄弟であるかのように。
だから雪と夜子は、彼が逮捕され、彼の家が一家離散して廃屋となってしまった後も、彼の帰還を亀のガバメントといっしょに廃屋となった家で待ち続けた。
廃屋は我が家から徒歩数分の距離である。
ちょうど彼の家と彼が正門に男子児童の生首を飾った中学校の真ん中に我が家はあった。
学校が終わると、娘たちはふたり揃って亀のガバメントを抱いて廃屋で夜までの時間を過ごす。
そして私がふたりに定めた門限である午後10時きっかりに、ふたりは帰宅する。
そんな生活をもう10年娘たちは続けていた。
私がそれを咎めることはなかった。
何故なら私は酒鬼薔薇聖斗なる少年が起こしたとされる数件の児童連続殺傷事件について、冤罪であることを知っていたからである。
確かに彼は中学校の正門に児童の生首を飾った。
しかしその生首は後に私たちがタンク山と読んでいるドラえもんの学校の裏山のような山で発見された頭部のない遺体とは別人のものであった。
生首には写真から切りとって別の写真にはりつけたかのような違和感があり、切断された首の切口にはモザイクがかかっていたという。
彼は夢から生首を持ち帰ってしまったのだ。
それを何故中学校の校門に飾ろうと思ったのか、その生首の口に犯行声明文をふくませたのかはわからないが。
誰でもない誰かの生首を校門に飾った、彼がしたことといえばそれくらいのことでしかない。
少年は、ダイドウカズキはドリーワンの契約者であり、バモイドオキ神という名の案内人がいた。しかし生首を校門に飾り逮捕されたことで脱落者となったのである。
私になぜそんなことがわかるかといえば、私もまたドリーワンの元契約者であるからである。
夢から小説を持ち帰り、それを発表しつづける。
私につけられたキャッチコピーは確か、夢見る都市伝説小説家、であったのだけれど、まさしくその通り、わたしは一度も小説を書くことなく小説家になった。
だからドリーワンの契機を満了し、失ったものをすべて取り戻すことを選択した私には、小説を発表することなどなどできようはずもなかった。
わたしに残されたのは案内人であった妻との間に出来た双子の姉妹だけであった。
繰り返すが、ダイドウカズキは冤罪であった。
しかしタンク山で発見された遺体は確かに行方不明になっていた情緒に障害のある男子児童のものであり、それ以前に通り魔的に殺された女子児童もいた。
警察は当時流行していたプロファイリングによって、容疑者は少年などではなく、30代から40代の医学的知識にたけた左利きの男性を犯人像として挙げていたが、少年が逮捕されてしまったことにより事件は解決したことになってしまった。
真犯人が野放しになったまま、無罪の少年は10年間の医療少年院入りを余儀なくされたのである。
同じドリーワンの契約者として同情を禁じえなかった。
だから私は娘たちが彼の帰還を待ち続けることを咎めなかったのである。
そして初夏のある日、確か秋葉原で連続通り魔事件が起きた日だと記憶しているが、娘たちは私の前に大きく成長した少年を連れてきたのだった。
「ごぶさたしています、××××です」
青年は私にそう挨拶をした。
青年は私を、「雪と夜子のお父さん」と十年前と同じように呼び、
「ぼくの冤罪を信じて、神戸連続児童殺傷事件の真相を究明する会をたちあげてくれたこと感謝しています」
そう言った。
十年間、私は作家として、そして彼をよく知る者として、彼の冤罪を訴え続けてきた。
しかし彼の容疑が晴れることはなかった。
ドリーワンについて公表することなどできるはずもなかったし、彼の冤罪は少年法を改訂するために仕組まれたものであったから、私や松本サリン事件で冤罪を被った友人がいくら冤罪を主張したところで、彼を救うことはできなかった。
十年間という歳月を医療少年院で過ごした彼に私がしてやれることといったら、彼が第二の人生をうまくはじめられるよう手助けをしてやることくらいだ。
だから私は、小説を書いてみたいと言う彼を弟子として迎え入れたのである。
1ヶ月が過ぎ、2ヶ月が過ぎた。
そして今日、私を訪ねてきた者がいた。
加藤麻衣。
愛知県の古戦場跡町に住むわたしの姪である。
姪は、書斎でひとり、ダイドウカズキが医療少年院でしたためたという彼の処女作に目を通していた私の背後に、物音ひとつ立てることなく忍びこんで立っていた。
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