第14話

 庭に死体をみっつ埋めた数日後、ドリーの予言の通りぼくたちの家がなくなった。


 消えるという形ではなく、家は今もまだ同じ場所にある。

 さしおさえられるという形で、ぼくたちの家はぼくたちのものではなくなった。


 生前両親が趣味としていた収集と浪費は、借金をしてまでの大がかりなもので、それは数千万にまで膨らんでいた。


 まだこどもであるぼくたちにそんな大金が返せるわけもなく、家や家具、父の収集物や母の宝石たちにさしおさえの紙が貼られた。


 7月1日午前零時、ぼくたちは立ち退きを余儀なくされた。


 ぼくはすべてを失った。


 古戦場跡公園にうちすてられた廃車となった路線バスが新しいぼくたちの家だ。


 ドリーワンでぼくが持ち帰ったものもすべてさしおさえられたけれど、廃バスで目を覚ましたときぼくのもとに戻ってきていた。


 今朝もぼくはいつもどおり自販機でジュースを買った。


 ドリーはまだ眠っている。

 寝息を立てて、よだれを少し垂らした、妹と同じかわいい寝顔だ。

 この顔で、人をふたり殺したのだ。


「あの家、取り壊されるのかな」


 寝顔にぼくは話しかける。


「取り壊されて新しい家が建つとしたら、地面を掘り返すくらいのことはするだろうな」


 ドリーは夢を見るのだろうか。


「死体、見つかっちゃうな」


 妹は夢を見ない女の子だった。


 梅雨のうっとうしい湿気が、服を肌に張り付かせる。

 いつか妹が大須に遊びにでかけたときに買ってきてくれた服だった。


 お兄ちゃん、いつまでもお母さんが買ってくる服を着てちゃだめだよ、お兄ちゃんの服はいつもバブルのにおいがするんだもん、麻衣と遊びにでかけるときはこれを着てね、そう言って手渡された。

 結局病院以外では一度もいっしょにどこかにでかけることはなかった。


 ぼくの背が伸びたのか、服は少し小さい。


 腹が減った。


 ポケットの中に、ぼくの全財産が入っている。

 2815円。


 昨日はコンビニの裏のゴミ箱に遺棄された弁当をふたりで食べた。

 コンビニの弁当にはおいしく見せるための薬がふりかけられている、妹が教えてくれたことがある。その薬は人体には害で、腸内細菌を死滅させるという。

 潰瘍性大腸炎にかかってからは妹に食べるなと言われていた。


 昨日は公園の公衆トイレで3度下痢した。うち、二度血便が出た。


 だけど、どうしようもない。


 痛む下腹部を手で押さえて、ぼくは座席から立ち上がった。


「どこ行くの?」


 ドリーがぼくを呼び止める。


「朝ごはん。サンドイッチでいいか?

 あそこのコンビニはいつもBLTサンドが売れ残るんだ。高いからな」


 廃バスを降りようとしたとき、運転席にあるはずのないものが目に映った。


 いや、たぶん、あるべきはずのものなのだ。


 運転席にはみっつの死体が折り重なって座っていた。




 長い坂を登った先に、古戦場跡図書館はある。

 自転車ではこの坂は少しつらい。

 後ろにドリーを乗せているからだ。なんて、ドリーには口が裂けても言えないけれど。


「コバルト文庫は?」


「あっち」


「じゃ4時にここにね」


 ぼくはここ数日、図書館で調べ物をしている。

 新聞の縮刷版でぼくと同じ境遇の人間を探すために、犯罪者たちについて記された書籍からその末路を知るために。


 脱落者とドリーや棗が呼ぶドリーワンの元契約者たちの多くは、たてこもり犯のように契約期間中になんらかの事件を起こし逮捕されている。


 たとえば宮崎勤。

 五人の幼女を誘拐、殺害し、六人目の幼女にいたずらしているところを目撃され逮捕されている。

 殺害された五人と六人目は、皆身元不明で名前も年も彼の供述からのみしかわからなかった。

 行方不明届けは出されておらず、歯形からも戸籍からも、後にはDNAの塩基配列からも、とうとう被害者たちがどこの誰だったのかわからずじまい。


 不自然な縁取りと、局部のモザイクが六人の共通点だという。


 彼は幼女の夢を見続けたのだ。

 六人目は身元不明のまま児童施設に預けられたが、事件からまもなく二十年が経過しようとしている現在、まだ施設に在籍している。

 幼女のままで。


 彼の供述にはたびたび「ねずみ顔の男」という人物が登場する。


 おそらくぼくにとってのドリー、棗にとってのチドリがこのねずみ顔の男なのだろう。

 ねずみ顔の男はおそらく幼少の頃に亡くした彼の祖父なのだろう。


 彼は祖父の葬儀のあと、その骨まで食べている。

 間違いない。

 おそらく幼女たちを殺したのはこのねずみ顔の男だ。

 宮崎には夢から持ち帰った幼女たちは殺せない。



 それから、酒鬼薔薇聖斗。

 自分の通う中学校の校門に、男児の生首を飾ったという少年の供述と、遺体の司法解剖の結果がまるで一致していない。

 供述には糸のこぎりで時間をかけて頭部を切断したとあるが、遺体は鋭利な刃物で短時間に切断されたことを示していた。

 切断された頭部はあごのラインにそって飾りやすいように切断されていたが、少年の供述では首を少し残して切断したことになっている。


 他にも犯人は左利きと推定されるという司法解剖の結果に対し、少年は右利きであるとか、矛盾が多い。


 つまりは少年の供述は捏造されたものなのだ。


 そればかりか生首には縁取りとモザイクがあるが、後から山中で発見された首から下にはそれらがない。被害者の特定も頭部からではなく、首から下の遺体によって行われている。


 少年はただ夢から生首を持ち帰り、この間母親の頭部を交番に持参した少年のように、混乱し、校門に飾っただけだ。


 首から下の遺体が偶然発見されたものなのか、少年を犯人に仕立てあげるためのでっちあげなのかはわからない。


 わかっているのは、この事件の直後に少年法が改法されたということ、山中で発見された遺体の本物の頭部はいまだ見付かっていないということだけだ。


 少年も幼少の頃祖父をなくしており、そして彼にはバモイドオキ神という神が常に傍らに存在した。


 少年はその神に何度も手紙を書いていた。


「お兄ちゃん」


 神は、少年に――


「お兄ちゃん、この本借りて帰りたいんだけど」


 四時はとうに過ぎていた。


 待ち合わせ場所に現れないぼくをドリーが迎えにきてくれたらしい。


「なんだ、コバルト文庫見てたんじゃなかったのか」


 花房ルリヲ作「口裂け女、人面犬を飼う」。

 ドリーが手にしていたのは神戸のおじさんの代表作だ。

 口裂け女と人面犬のシリーズは、角川スニーカー文庫だった。


「いいよ、ぼくのカードで借りてあげる」


 ぼくたちは手をつなぐ。

 手をつなぐと、ドリーはいつもとてもうれしそうに、幸せそうにぼくに笑いかける。


 ねずみ顔の男に、バモイドオキ神。

 ドリーはぼくにとって本当にそういう存在なのだろうか。




 合成映像の縁取りとモザイクに彩られたピンク色の自動演奏のピアノが、聞き覚えのあるクラシック音楽を奏でる。

 あくびをかみ殺しながら廃バスを降りたぼくは伸びをして、固いシートで眠り凝り固まった体をほぐす。

 公園の水道で顔を洗い歯を磨き、鉄棒にかけられた洗濯物のシャツを着る。

 シーソーに座って、昨夜コンビニのゴミ置き場から拾ってきたサンドイッチを食べた。

 夢から持ち帰った冷蔵庫は廃バスの裏に隠してある。


 死体を埋めた砂場には近づかないようにしていた。


 けれど、ドリーが昨日、シンデレラ城を砂で作ってしまった。

 だから、梅雨に壊されてしまわないように、ぼくはお城に傘をさした。


 ジャングルジムに登り、雲ひとつない空を見上げる。


 なぜか今日はとても気持ちが晴れやかだ。

 ドリーワンも、ドリーも、悪い夢も、他人も、こわいものなんて何もない。


 今日ならなんだってできる気がしていた。

 ぼくはジーパンのお尻のポケットに突っ込んだアルバイト情報誌をめくった。


「おはよ、お兄ちゃん」


 ベビードールのドリーがバスから顔を覗かせる。


「おはよう」


 ジャングルジムから、ぼくは飛び降りた。


「よかった。お兄ちゃんが麻衣のこと覚えててくれてた」


「なんだよ、それ」


「昨夜、テレビで映画見たでしょ?」


 テレビも夢から持ち帰った。ハイビジョン対応テレビとまではいかないけれど、旧型の大型テレビだ。

 リモコンがないのと、チャンネルにモザイクがかかっていて番組からチャンネルを推測するしかないのが玉に瑕だけれど、夢から持ち帰ったものは冷蔵庫もこのテレビも電気の供給がなくても使えるという利点があった。

 公衆電話は電話線がどこにも繋がっていないのに通話が可能だ。


「あー、渡辺謙の、頭の消しゴム?」


「なんか、そんな感じのやつ」


 ドリーの頬に涙の乾いたあとがあった。


「お兄ちゃんに忘れられちゃう夢を見てたんだ」


 最近わかったことだけれど、ドリーも夢を見る。


「忘れるわけないだろ」


 少しだけ濡れたタオルを手渡して、顔を洗ってくるよう促すと、ぼくはドリーの朝食を冷蔵庫にとりにいく。


「これ、いい曲だね、ショパンかな」


 顔を洗ったドリーはピアノの前の椅子に腰掛けた。その後ろでは、自動演奏のピアノが鍵盤を叩いている。


「おまえ、ピアノ曲は全部ショパンだと思ってるだろ」


「違うの?」


 そういうぼくも、聞き覚えはあってもこの曲の曲名も作者もわからない。


「寝癖も直した方がいいよ」


 ぼくはドリーの頭を手ぐしでといてやった。


「お兄ちゃん、今日は何だか優しいね」


 途端にはずかしくなり、なおした髪をくしゃくしゃっとやる。

 いつものようにばかと罵られて、それでもぼくは不思議と悪い気はしなかった。


「ね、今日も図書館行く?」


「いや、今日はちょっとひとりで出かけてくるよ。留守番してて」


 そう言って、ぼくは電話ボックスに入り、再びアルバイト情報誌を広げた。

 赤い丸をつけた求人先の電話番号をプッシュする。


「お電話ありがとうございます、アピタ古戦場跡店です」


「あの、アルバイト情報誌を見て電話したんですけど」


 電話ボックスのドアが開く。

 ドリーがぼくの手から受話器を奪い取る。


「仕事を探すつもりだったら、やめた方がいいよ」




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