第8話 幼馴染の逆襲。 

 火曜日、水曜日と続けて休んだ瑞季は、木曜日になってようやく登校してきた。火曜日の時点でメッセージは送っていたのだが丸一日既読はつかず、返信が来たのは水曜日の昼過ぎ。彼女が言うには、火曜日はなんと丸一日眠りこけていたらしい。


「へぇ、颯太も火曜日遅刻したんだ?」

「どうしてそんなに嬉しそうなんだよ……」


 何日も休んだ理由はメッセージで聞いてもよく分からなかったが、他人に言いたくないこともあるだろう。幼馴染がこうして元気な姿を見せてくれた、それだけで俺はひと安心だ。


「それでさ、昨日と一昨日のノートを見せて欲しいんだけど……良い?」

「別に良いけど……悠翔に聞いた方がためになるんじゃないか?」

「いやいや、アイツはダメ。そもそもあの天才肌がノートをまともに取ってると思う?」

「あー、確かに……」


 そもそも瑞季の成績なら俺のノートを見る必要などないと思うのだが、まあ不安な気持ちも分かる。じゃあ仲の良い女子たちに見せてもらったらと言いかけたものの、それは流石にやめておいた。彼女は俺の字がまあまあ綺麗で、ノート自体もそこそこ真面目にとっていることを知っている。別に減るものでもないし、何より俺たちは幼馴染だ。困った時はお互い様である。


「ほい。あ、火曜日の午前中の分は他の人に見せてもらってくれ」

「ありがとー! じゃあそっちはあたしが写真撮らせてもらって送ろうか?」

「それは助かる」

「期末の範囲だしね」


 言われてみれば、一週間後はもう期末テストだ。そろそろ本気で勉強しないと不味い、それどころか背水の陣である。前期中間テストは瑞季と一緒に対策したおかげで何とか乗り切れたのだが……。


「な、なぁ――」

「あ、あのね颯太――」


 ちょうど声が被ってしまい、お互いに顔を見合わせる。


「どうした、瑞季?」

「そ、颯太こそ」

「あ、いや……その、期末テストに向けてだな……前みたいにまた勉強を教えて貰えたらなって」


 改まって言うのがどうにも恥ずかしくて、俺はこめかみを掻きつつ彼女の顔から目を逸らした。薄茶色のボブカット、澄んだ赤っぽい瞳。幼馴染だからあまり意識していなかったが、瑞季だってなかなかの美人だ。


「あはは、実はあたしもそう言おうとしてた」


 瑞季は真面目な顔でそう言い、それから二人して吹き出した。笑っている彼女の顔は何故かいつもより楽しそうに見えて、俺は絢奈に何となく後ろめたさを感じてしまった。


「マジか、それはありがたい。……一応絢奈にも伝えておくけど、良いよな?」

「――もちろん。浮気なんて言われたら大変だしねー」

「う、浮気って」

「でも、颯太の家でするんでしょ?」

「勉強食ってお菓子を食べるだけだからな」

「ぷっ……あははっ! 勉強を食うって何それ? 颯太ってば、ちょっと動揺し過ぎでしょ」

「うぐっ……この……!」


 今日の瑞季の雰囲気は、いつものサバサバした感じとはどこか違った。やたらと色っぽいというか、積極的というか。距離感も何だか近いような気がする。ただ一緒に勉強する約束をしただけなのに、何故か調子を狂わされている自分がいて。


(おいおい……俺は絢奈と付き合ってるんだぞ)


 そういましめた俺だったが、昼休みには俺と絢奈の屋上ランチタイムに瑞季も混ざってきた。絢奈の恋人としては追い出すべきだったのかもしれないけれど、絢奈も瑞季も同じ美術部で仲も悪くない。二人とも賑やかで楽しそうに話しているし、たまにはこういう時間も良いかもなと俺は自分を納得させた。


 しかし――瑞季が放課後も俺たちについてくるという段になって、いよいよ何かおかしいぞと流石の俺も思わざるを得なかった。彼女は俺と絢奈が付き合っていることを知っているし、高校に入ってからは俺とここまで一緒に居ようとしたこともない。他人を妨害するような性格ではないし、そもそも俺とはただの幼馴染なのだ。


「瑞季先輩、今日はどうしたんですか?」

「どうしたって……二日ぶりの学校だし、颯太とも絢奈ちゃんともたくさん話したくて」

「寂しかったってことか?」

「まぁ……ね」


 そう呟いて後ろ手を組み、流し目で俺を見る――夕焼け色に染まった幼馴染の姿は、今までになくあでやかに見えた。

 俺の隣をぴったり歩く瑞季と、対抗心を感じたのか俺の手を握ってきた絢奈。両手に花と言えば聞こえは良いかもしれないが、内心は冷や汗ダラダラで。この数日の間、瑞季にはいったい何があったのだろうか。これからの俺たちの関係はどうなるのだろうか。結局、会話はほとんど弾まなかった。



「今日は済まなかったな、絢奈」

『先輩? 急にどうしたんですか?』

「ほら……あまり二人きりになれなかったし」

『あー、瑞季先輩のことですか』

 

 その夜、俺は絢奈と初めて通話した。スピーカーを通して聞こえてきた彼女の声は、思いのほか明るかった。ご機嫌斜めというわけでもなさそうだ。


『確かに先輩と二人でいたかったですけど……でも、別に瑞季先輩のことも嫌いじゃないですし。むしろ先輩が追い出そうとしたら止めてました』

「そうなのか?」

『瑞季先輩の気持ちも分かるんです。それに、わたしがいるせいで瑞季先輩の時間が奪われちゃってるのは事実ですし』


 ただ、その明るい声が、どこかひどくうつろに聞こえて。


「いるせいで、なんて言うなよ。別にアイツ、絢奈を恨んでなんかいないと思うぞ」

『そう……かもですね。でも、そういう問題じゃないんです。――もっと言えば、先輩の時間もわたしが奪っちゃってますから』

「絢奈……?」

『……あ、ごめんなさい。何でもないんです。とにかく、わたしは大丈夫ですからっ』


 気づけば、俺は口にしていた。


「絢奈。今週末の日曜日は空いてるか?」

『えっ? ……空いてますけど』

「じゃあ、デートしよう」

『で、ででデートっ!?』


 ドンガラガッシャーン、なんていうお手本のような慌てふためきようが聞こえてきて、俺は無性に心が温かくなった。


「ごめんな、急に驚かせて」

『い、いえそんな……っ! こ、心の準備が出来てなかっただけっていうか……』

「ふふ、まったく可愛いな。絢奈は」

『もうっ、揶揄からかわないでくださいよっ』 

「そんなことはないさ。で、行き先なんだが――」


 たとえこれから何があろうと、俺は彼女の笑顔を守ろう。

 この夜、俺はそう強く誓ったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る