第3話 運命的な出会い。
「じゃあ、また後で」
「はい、先輩っ」
俺と絢奈が通う都立
彼女には風紀委員会の用事があるそうで、俺のクラスとは中庭を挟んで反対側の二階にある職員室へ向かっていった。下駄箱で上履きに履き替えた俺は遠ざかってゆく絢奈の後ろ姿に軽く手を振って、三階にある二年一組教室へと階段を上った。それにしても本当に元気な子だな、と一人になってみて改めて思わされる。このたった十分ほどの間に、もう普段の一週間分くらいは会話したんじゃないだろうか。家ではもちろん、俺は学校でも誰かとつるんで話すことは少ない。強いて言えば――。
「やっほー、颯太。なんか朝から疲れた顔してんねー」
「おはよう、
窓際の自席に座ったところで声を掛けてきたのは、俺の幼馴染である
「おっと、それは僕も気になるねぇ。いつも無表情の君に、いったい何があったんだい?」
どこか芝居がかった口調で
「別に大したことじゃない。ちょっと記憶喪失になったらしいってだけだ」
「き、記憶、喪失…………」
「瑞季くん!?」
「瑞季? おい! 大丈夫か!?」
俺が何気なくそう口にした途端、瑞季が顔面蒼白となって崩れ落ちた。危うく倒れかけた彼女の身体を悠翔が凄まじい反応速度で抱き抱え、俺にジト目を向けてくる。
「な、何だよ」
「はぁっ……まったく、君には配慮というものが無いのかね?」
「そう、だよ……びっくりしたじゃん……」
クラス中の非難がましい視線が一斉に突き刺さってきて、流石の俺も合点がいった。
「驚かせてごめん、瑞季。記憶喪失と言っても、瑞季との思い出はちゃんと覚えてるから安心して欲しい」
「ほ、本当に……?」
「ああ。例えば中学二年のある朝、瑞季が何故か黒い眼帯をつけて――」
「いやぁああっ! もう分かったっ! 覚えてるのは分かったからそれはっ! それだけは言わないでぇええーっ!!」
「……瑞季くん?」
困惑した様子の悠翔だが、一応理解はしてもらえたらしい。これまた四方八方から
「なるほど……絢奈ちゃんのことを……」
自分事のように涙ぐんでいる瑞季ってやっぱり良い奴なんだなと思いつつ、俺は顎に親指を当てて考え込んでいる悠翔に目を向けた。
「確かにエピソード記憶障害というものは存在するよ。しかし、ある人に関する記憶だけが何もかも、すっぽり抜け落ちてしまうというのは聞いたことがないねぇ……もちろん僕は脳科学者でも何でもないから、有り得ないと断じることは出来ないが」
「やっぱりそう思うか……俺も不自然だと思っていてさ」
「だったらどうして記憶がないの?」
そう言われると、結局のところ説明のしようが無かった。まるで何かの陰謀で、絢奈に関する記憶だけを巧妙に抜き取られたというのだろうか。でも、誰が何のために――?
「まあ、良いじゃないか。ねぇ、瑞季くん?」
「あたしっ!? そ、そんなことは……えっと……」
「そうだな。今はあまり深く追及しないでもらえると助かる」
会話を打ち切った悠翔は何故だかニヤつき出して、頬を薄く染めた瑞季は何やら口ごもっているが、取り敢えず俺は胸を撫で下ろした。その時ふとポケットの中で小さく震えたスマホを取り出してみれば、それは絢奈からのメッセージだった。
***
「……屋上って立ち入り禁止じゃなかったっけ」
「大丈夫ですよー」
「自ら率先してルールを破っていく風紀委員って……」
「だってほら、他にも人はいますしっ」
「赤信号も皆で渡ればってやつか? 意外と悪い子なんだな、絢奈って」
「そうでしょうそうでしょう」
昼休みに待ち合わせた屋上では、何組かのカップルが思い思いに散らばって昼食を口にしていた。ラブコメアニメのような青春が、こんなところに実在していたとは。この甘やかな光景を見れば、立ち入り禁止の屋上に足を運びたくなるのも確かに理解はできる。
「先輩っ」
「どうした?」
「わたし、ここで先輩と出会ったんです」
可愛らしいポニーテールが涼やかな初夏の風にそよぐ。微かに揺れる鮮やかな空色の瞳に、俺はどこまでも吸い込まれてゆくような気がした。
「一か月前の先輩は、ここで風景画を描いてたんですよ。覚えてませんか?」
「いや……ごめん」
「いえ、良いんです。放課後に見に行きましょう。それで、先輩はちょうど一番奥にイーゼルを立てて――」
屋上の端まで歩いていった絢奈は銀色の高い柵の傍に座り、持ってきたお弁当の包みを広げる。俺も彼女の隣に腰を下ろして、今朝食べた残りを適当に詰め込んだ弁当箱を開いた。七月上旬らしい陽射しを浴びたコンクリートの床はかなり温かくなっていて、あと一週間もすればいよいよ座れなくなりそうだ。
「――校庭で練習してる人たちとか、その奥の街並みを描いてましたね」
「それが俺と絢奈の出会いだって?」
「はい。実はその時、わたしは先輩が美術部の人だって知らなくて」
「あー……俺、結構サボってるからなぁ……」
責めてるわけじゃないんですからねっ、と彼女は笑った。
「あの時はもう放課後で、他に人もいなくって」
「じゃあどうして絢奈は屋上に来たんだ?」
「風紀委員で見回りに――って言いたいところですけど」
「……青春?」
「ふふ、その通りですっ」
校庭やその隣の体育館の方から響いてくる体育会系の部活の掛け声は、控えめに言って俺の性には全く合わないのだが、そんな自分でもそれに青春を感じてしまうのだから不思議なものだ。
「誰もいない夕方の屋上で、黙々と風景画を描いている先輩の姿……わたしはそれに凄く運命を感じちゃったっていうか」
「確かに運命的なシチュエーションかもな」
「そうでしょう? はい、あーん」
平然と微笑みながら、それでも少し赤い顔をした絢奈が卵焼きを差し出してくる。うわもう来ちゃったかちょっと心の準備がまだなんだが、などと
「……ど、どうですか?」
「うん、めちゃくちゃ美味い」
卵焼き自体も超美味しいし、それを美少女にあーんされるというのがまた格別だった。ドーパミンがドバドバ分泌されているのが分かる。
「よかったぁ……頑張って作ってきた甲斐がありましたっ」
「そっか」
お返しに俺もあーんしてやろうかと自分の弁当を見てみたものの、ミニトマトや冷凍食品のシューマイをあげるのは流石に少し気が引ける。幸せなことに、こんな素敵な彼女がいてくれるのだ。俺も明日からは本気を出して弁当を作ってこようと心に決めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます