岡島幸廼・2

「だから……彼女が事件に巻き込まれた全てのきっかけは、私にあります」

 話を聞き終えた媛崎先輩は、ただジッとこちらを見つめていた。

 怒りではない、強い感情を込めて。

 同情しているのか、哀れんでいるのか、見下しているのかは、わからない。

「彼女がこんな大事に巻き込まれるまで……私の感情が、行動が、どれだけおかしかったのか気付けなかったんです」

 今私が涙を流したところで、目の前の彼女にとっては火に油だろう。でもそれで良かった。冷静に聞き入られるくらいなら、もっと感情的に糾弾された方がマシだ。

「殴らないんですか? 大事な彼女が傷つくきっかけを作った張本人ですよ?」

「……殴りたいよ……思い切り。だけど……岡島さんの話を信じるなら、有喜ちゃんと私が出会えたきっかけを作ってくれたのも……貴女だから」

 媛崎先輩は、きっともう冷たくなっているであろうコーヒーに口をつけ、ゆっくりと、言い聞かせるように紡ぐ。

「それに岡島さんの言う通り、大事な彼女を私は守れなかった。殴る権利があるのは、有喜ちゃんしかいない」

 それからは、互いに探り合うような沈黙が訪れたけれど、私が彼女に差し出せる情報はもう話しきった。だから、次の議題へ進む。

「媛崎先輩、」

「なに?」

 流石に、前と違って冷たさを隠してはくれない。向けられる視線にも、きちんと疑念が込められている。

「どの口が言ってるんだと思うでしょうけれど、私は彼女に、福添に……償いたいです」

 薄っぺらい言葉ならいくらでも口に出来るのに、どうしてこうも、本心はぎこちなくなってしまうんだろう。

「……そっか」

 媛崎先輩は少し考えてから、慎重に答える。

「私は良いと思うよ、私はね。有喜ちゃんやお母さんがどう思うかはわからないけど」

「そう、ですね」

「あと……それは、今の有喜ちゃんの問題を解決した後の方がいいな」

 今の福添の問題? 怪我の快復や事件後のメンタルケア、と言った意味だろうか。

「お見舞いには行くつもりなんでしょう?」

「はい。まずは今までのことを全部謝って「なら」

 情けなくも必死に補足しようとする私を切り捨てるように、媛崎先輩は遮った。

「行った時にわかるだろうから今教えておくけど……有喜ちゃん、記憶喪失なの」

「…………えっ?」

 記憶、喪失?

 単語は脳裏に浮かんだものの、意味と紐付けるまで数秒を要した。

「そんな……」

 頭を強く打ち付けたとは聞いていた。けれど……そんな、そんな後遺症まで……わたしのせいで――。

「事件当日だけじゃなくて、高校とか中学とか、かなり広範囲の」

「そ、それは、媛崎先輩のことも、ですか?」

「うん。お母さんのことも」

「……」

「……でもね、大抵の場合は自然に回復するんだって」

 爆発的に上昇した心拍数が呼吸すらも危うくしたものの、そんな私の反応を受けてか、回復の兆しについて付け加えてくれた媛崎先輩のおかげでなんとか再び話への集中力を取り戻す。

「むしろ無理に思い出させようとする方が危険だから、有喜ちゃんが望むこと以外は話さないであげてほしいの。わかる?」

 彼女が伝えたい内容を十全に把握しているかと言われれば自信はない。

 けれど端的に表せば、余計な事を喋るなと、そう言っていることはなんとなくわかる。

「……わかりました」

「約束してね、私はまだ貴女を信頼してないよ」

「……はい」

 当然だ。されて当然の警戒だ。私は罪人で、彼女は恋人なのだから。

 だから……多くは望まない。

 五年前、私を救ってくれて、今まで守り続けてくれた福添に、償えるものならどんな贖罪でもしたい。返せるものならどんな方法でも恩返しがしたい。

 それすらも許されないのならば、ただ、愚かな私を――罰してほしい。

「まだ間に合うかな」

「えっ?」

 ぽつりと呟いた媛崎先輩はコーヒーを半分以上も残したまま立ち上がり、

「行こう」

 私には一瞥もくれず会計へと向かう。

 早足の彼女に追いつく頃には、日が完全に暮れた今からどこへ行くのかを察し、じんわりと冷たい汗が背を伝った。


 ×


「春江さん、こんばんは」

「あら茜ちゃん、学校お疲れ様。今日はお友達も一緒なのね」

「はい。良くなかったでしょうか?」

 面会時間終了の直前、ところどころ電気が消された病棟を進んでいると、病室から出てきた女性に媛崎先輩が声を掛けた。

「んーん。あの子、健康過ぎて退屈だーとか言ってるからちょうどいいかも」

「そうでしたか、安心しました」

 この人は……福添のお母さんだろうか。とてもよく似ている。雰囲気も、香りも。

「でも例の件だけ、よろしくね」

「はい」

 例の件とはおそらく、福添の記憶に関することだろう。私も余計な事を言わないように注意しなくては。

「あの、岡島幸廼と申します」

 媛崎先輩との会話が一段落ついたのを確認して自己紹介すると、福添のお母さんと思しき人物――春江さんは笑顔で返してくれた。

「幸廼ちゃん、よろしくね。……ん、岡島……岡島さん……」

 そして一瞬、思案顔を浮かべて、

「……」

「あっ気にしないで、こりゃたぶん気の所為だ。それじゃ、私はちょっとごはん買ってくるわね」

 またすぐに向けられる柔和な笑み。

 福添が過去に、私のことを家族に話していたのだろうか。……少し、怖い。けれどこれは全て自分のしてきた行動の結果だ。償うというのなら、愚かな自分にも向き合わなければならない。

「有喜ちゃん、入るね」

 ノックをした媛崎先輩がドアを開けると、

「あっはい」

 頭に包帯を巻いて、ベッドの上で小説を読んでいる福添が目に入った。

 心臓が痛む程に緊張している。けれどそれが足を止める理由にはならず、媛崎先輩の後を追う。

「調子はどう?」

「き、昨日とそんなに変わらないですよ」

「そっか。面会時間、ギリギリになっちゃってごめんね」

「いえ……あの、お気になさらず」

 二人の会話がとてもぎこちなく見えるのは……記憶喪失のせい、なのだろうか。

 特に福添は、媛崎先輩と目を合わせようともしていない。これは一体……。

「えっ、あっ、あれ? あれ!?」

 媛崎先輩から逃げるように視線を泳がしていた福添は、やがて息を殺していた私に焦点を合わせると、目を大きく見開いて声を上げる。

「もしかして岡島さん?」

「「えっ」」

 私と媛崎先輩の、似たような声が重なった。

 疑問ではなく、驚愕の吐息。

「わ……私のことを……覚えてるの?」

 怖い。

 だけど、謝らなくては。償わなくては。私のせいで、彼女は――。

「うんっ! いや覚えてたのは小学生の岡島さんなんだけど……面影って残ってるもんなんだねぇ! あのまま成長したらこんな美人さんになるんだぁ」

 小学生の頃はまだ、今ほど露骨に接してはいなかった。そもそも接点だって、福添が飛び降りた時の事件くらいで……。

「なんか漠然としてるんだけど……私が大変だったとき、唯一手を差し伸べてくれたの……確か岡島さんだったよね……?」

 偽り、ではないにしろ、真実ではない。抜け落ち、湾曲し、あまりにも美化されている。いや……真実を知らない彼女にとってはそういう認識だったのか……?

「そ、それは……」

「なんか……やっと知ってる人に会えて安心しちゃった」

 親のことも、恋人である茜先輩のことも忘れているのに、私との――良い思い出だけを、覚えてくれていたの……?

「あの時は……って言っても詳しいことは思い出せないんだけど、ありがとうね、岡島さん」

 やめて、やめてよ。そんな、私も見たことのない笑顔で、私を見ないでよ。

 せっかく私は……今までの罪を、自分の愚かさを知ることができたのに。

「気にしないで……いいのよ」

「えっと、岡島さん? 大丈夫?」

 福添の、向日葵のように大きくて、たっぷりと光を蓄えた瞳が私を捉え、足をすくませる。


 私が――私だけが、彼女の記憶にいる。

 孤独な神と、ただ一人の信仰者。

 私と福添有喜の、二人ぼっち。

 ずっと先の未来にあると信じて、ずっと思い描いていた理想が――今、ここにある。


 その事実が、殺したはずの醜い感情を、鮮明に蘇らせた。

「……有喜――」

 心の中で何度も叫んだ名を初めて口にすると、体の奥底から痺れるような快感が湧き上がり、私の脳を酩酊させる。

「――他人行儀な呼び方はやめて。私は貴女の、彼女なんだから」

「っ」

「え、えぇ!?」

 隣にいる媛崎先輩が鋭く私を見据えたのを視界の端で捉えた。一歩前へ出て、動揺を隠そうともしない福添だけを瞳に映して続ける。

「小学校も中学も……高校も同じ。離れたくなくて、一緒の高校を受験したのよ。貴女を追いかけて私も地元を出たの」

「わ、私と岡島さんが……本当に?」

「ええ。昨日は来られなくてごめんなさい。気が動転してしまって……」

 なぜさっきまでの私は、正しくあろうと藻掻もがいたのだろう。

 罪をそそぎ真っ当な人間になろうと、一瞬でも考えたのだろう。

「だけど元気そうで安心したわ、有喜」

 今ならばよくわかる。

 無駄だったんだ、そんな努力。

 歪んでしまった魂は永久に、元のカタチには戻れないのだから。

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