媛崎茜・3

 朝陽に目が覚めて、春江さんと別れた後に送られてきたメッセージを読み返す。

「有喜の記憶のことなんだけど……忘れてる量が量だからね。無理に思い出させようとしても、ショックが大き過ぎて……ダメージを受けちゃうかもしれないんだ」

「ダメージ、ですか?」

「そう、今以上の後遺症がうまれてしまうかも……しれない。ごめんね、かもしれないばっかりで」

「いえ。その……そういうものだと思いますから」

「ありがとう。えっと、だから、なるべくは自然な流れで行く予定だよ。有喜が知りたがる事以外を教えるつもりは、今のところない、かな」

「わかりました」

 これは明らかに、春江さんから私に向けた釘刺しだ。

 私と恋人であることを有喜ちゃんが思い出したら、それを起爆剤に五年分以上の、大量の記憶が戻り新たな後遺症を残してしまうかもしれない。

 慎重に、少しずつ、なるべく自然に全てを思い出せるようにサポートする。

「まずは……」

 出来ることをするんだ。

 有喜ちゃんの身の回りのお世話は春江さんがいるし、犯人については警察や司法が動いている。

 だから私がやるべきことは、不安の種を潰すこと。

 有喜ちゃんが快復した後に、一つの懸念も残さないこと。

 その為に会わないといけない人がいる。

『私だって……まさか……こんなことになるなんて……』

 そう呟いた彼女に、ならばどんなことになると思っていたのか、問い質す必要がある。


 ×


 生まれて初めて、体調不良でもないのに部活を休んだ。いわゆるサボり。しかも後輩を引き連れて。なんて悪い先輩なんだろう。

「茜先輩にお誘いいただけるなんて光栄です!」

 学校から少し離れた喫茶店は、夕飯の支度にはまだ早い時間だからだろうか、たくさんの主婦さん達がお話に花を咲かせていて、私達が多少話していても浮かなくて助かる。

「ううん、ごめんね、部活まで休ませて」

「いえいえ! 茜先輩にお会いするために部活行ってるんですから! むしろありがたいですよ!」

 キャラメルマキアートを注文した岡島さんは、昨日私に病院の情報をくれた時とは打って変わって明るく、普段通りの、跳ねるような声で私に答えてくれる。

「それでね、話っていうのは……」

 緊張で渇いていく喉と唇をコーヒーで軽く濡らして切り出そうとした私を――

「福添の事、ですよね」

 ――岡島さんが遮る。

「うん」

「最近の茜先輩、福添ばっかり見てますよね。もしかして、お付き合いされてるんですか?」

「……うん。してる」

 どう答えるか一瞬悩んだけれど、尋ねる声には確信が含まれていたし、問答したいのはここじゃない。先に進むためにも正直に答える。

「そう…………でしたか」

 その声は、一分前とはまるで別人で。

 今まで貼り付けられていた、岡島さんの仮面が、ようやく剥がれた気がした。

「つくづく――」

 年相応のキラキラした、人懐っこい雰囲気が霧散して、妙に大人っぽい、脱力と共に諦念を纏ったような、少し、怖いような――。

「――私のやってきたことは、つくづく、無意味でしたね」

 すみません、と店員さんに声を掛けた岡島さんは、キャラメルマキアートを半分以上も残したまま、ブレンドコーヒーを追加で注文した。


 ×


「どういうことか……教えてもらえるかな」

 まだ、何もわからない。

 岡島さんが今まで、いろんなことを偽っていたということ以外は。

「いいですよ。もう全部お話します。福添を危険な目に遭わせてしまった時点で……もう、全部全部全部ぜぇんぶ失敗です」

 彼女は届いたばかりでまだ熱いはずのマグカップを握りしめ、私ではなく虚空に向けて呟く。

「どうしてこうなっちゃうんだろうなぁ。あーあー。私はただ……ふふっ……あーもう、むかつくなぁ。にしても……媛崎先輩ですか……」

 突然、私の呼び方が変わって少し驚いた。今まで見ていた彼女は、どこまでが本当の岡島さんだったんだろう。

「流石は福添ですね。まぁ……住良木先輩でも勝ち目なんてありませんでしたけど」

 自虐気味に笑みを浮かべた岡島さんは、ようやく私と目を合わせ、「さて」とコーヒーを飲み干して続ける。

「私と福添が小学校、それに中学も同じことはご存知でしたか?」

「そう、なんだ。知らなかった」

「ダメじゃないですか、恋人のことはなんでも知っておかなきゃ。変質者に襲われでもしたらどうするんですか? あっもう襲われちゃったんですよね。あはは」

 必要性の感じない茶化す内容は無意識に私の表情を変えたらしく、彼女は「そんなに睨まないでくださいよ」と、笑みを崩さないまま言う。

「福添がヘンレズと呼ばれて小中高といじめられているのは……私が教えましたもんね」

「そうだね」

 私が有喜ちゃんとお付き合いする前に、彼女が『そういう意味で女の子を好きだ』と教えてくれたのは岡島さんだった。あれにも何かの意図があったんだ。

「その発端、まぁ小学五年生の時になるわけですが、きっかけは私なんです。――本当なら、私がいじめられるはずだったんです」

 今まで接してきた明るい彼女も、さっきまでのからかうような彼女も、たぶん、何かを隠すための仮面で。

 視線と声音が低く下がり、姿勢一つから大人びた雰囲気を放つ今の彼女こそ本当の――。

「全部お話します。私がお話できる全部を。少し長くなってしまうかもしれませんけど……殴るのは、全てを聞き終えてからにしてくださいね」

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