第39話 たくさんのものを置き去りにして

「はぁ、はぁ、はぁ……」


 ――走る。


 それは風の如しと言えるほどのスピードではないが、たくさんの景色を次々に後にしていった。

 足の疲労。生々しい筋肉が引きちぎれていく感覚。

 

 それもすべて後になっていく景色に置き去って、俺は走った。


「今なら……間に合うッ!」


 手持ちのお金がたまたまあってよかったなと思うと同時に、俺の頭の中は茜のことでいっぱいだった。


 あの後、茜に何度も連絡を取ろうとしたが応答なし。

 その代わりにマネージャーさんに連絡をして、状況を報告した。

 どうやら今茜は家にいるようで、駆け付けたマネージャーさん曰く、ただの熱らしい。


 だが、俺は今東京行の新幹線に向かって走っていた。

 その理由は当然、茜に会いに行くためである。


 あいつは幼い頃から、風を引かなかった。

 病気も怪我もしなくて、生粋の健康体。


 そんなあいつが熱を出すときがあれば、それは自分を追い込み過ぎたとき。

 そしてそれが今来ているのだ。

 

「俺が行かなきゃ、ダメだろ……ッ!」


 幼馴染としての勘が、そう言っている。

 だから俺は……東京へ向かう。


「ほんと、つくづくあいつの幼馴染でよかったって……そう思うよ」





   ***




「すみません、送ってもらっちゃって」


「いいんですよ。私にできることは、これくらいですから」


「……すみません」


 もう一度運転席に座る茜のマネージャー、樋ノ口さん。

 今日も誰よりもビシッとしていて、弱点がない。


 俺はもう一度頭を下げて、窓の外を眺めた。



 ――東京。



 実はこれが人生で二回目の東京訪問なのだ。

 一度目は、実は茜と二人で昔来たことがあるが……今はその話はいい。


「茜の容態は……」


「今はベッドで寝かせています。なのでこれから熱は下がるかと」


「……ほんと何から何まですみません。迷惑かけて」


「いえいえ。ほんとにいいんですって。なんせ私は――茜のマネージャーですから」


 そう言って、樋ノ口さんはふふっと笑った。

 その姿はまるで無邪気に笑う子供のようで、今までのお堅そうなイメージは粉砕された。


 茜は、いいマネージャーさんを持ったんだな。


「最近、仕事が忙しくて、相当疲労が溜まっていたようです」


「茜は昔から、自分の体が悲鳴を上げるまで突き進んじゃうんで」


「なるほど、確かに」


 どうやら樋ノ口さんにも思い当たる節があるようだ。


「でも、そんなことは他の人にはできませんよね。少なくとも、私には絶対にできません」


「そう……ですね」


「まぁそこが、茜の魅力でもあり、才能でもあるんですけどね」


 そうだ。

 俺はそうやってひたむきに、貪欲に目標に向かって努力する茜が好きで、憧れたのだ。

 

「そろそろ到着します」


 数分後、車はあるマンションの前で止まった。




「茜?」


 樋ノ口さんから受け取ったスペアキーで茜の家に入る。

 樋ノ口さんはスペアキーを貸してくれた上に、気を遣って俺と茜の二人きりにしてくれた。


「ほんと、すげぇマネージャーさんだ」


 さすが大人気モデルというべきか。茜の家は相当広く、これで一人暮らしは持て余しそうだなと思った。


 いくつもの部屋がある中の一つ、寝室に茜はいた。


「……」


 寝息だけが聞こえる。

 まだ茜はぐっすり眠っているようだ。


 起こしては悪いなと思い、ベッドに寄りかかって床に座る。

 

「……ふはぁ」


 急に疲労が、俺の体を襲った。

 そして俺は、気づけばそのまま眠ってしまった。


 

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