第70話 黒髪の異邦人

永禄七年 夏 xxxx xxxx


 「しかし、本当に貨幣造りに参加しなくて良いのか?」

 「しらん!しかしお屋形様の御命令だからな!」

 「御命令だからと言って……それで領内が荒れでもしたら如何する?」

 「……して、肝心のお屋形様は如何したのだ?」

 「それこそ知らん!……どうせ、どこかの部屋で怪しげな香を焚きながらあの女狐と子作りでもしておるのだろうよ!」

 「……ほほっほほ。麻呂の妹を女狐呼ばわりとは如何かのぉ?」

 「どこから出てきなすった……そこもとは京の宮中が住処でござろう……」

 「ほほほほ。これは嫌われたものじゃ。麻呂は愛する妹夫婦の機嫌を伺いに来ただけのこと」

 「ふん。白々しいわい」

 「で?その妹夫婦がおらぬこのような家臣の集まりに顔を出して何用ですかな?顔を出しただけならば即刻お引き取りを願いますぞ?!」

 「心底嫌われておるのぉ。よよよよ。悲しい限りじゃ……」

 「……で?見せたいのはその手元の紙切れですかな?」

 「ふん。さっさと見せる物だけ見せて京に戻られるが良かろう……」

 「……ほほほっほ。では、皆様のご要望通りにこの書状を見てもらいましょうかのぉ?」

 「「……」」

 「この書状は?!」」

 「見ての通りでおじゃるよ?」

 「そこもとを古河に連れて行けと?」

 「公方様とお屋形様の連名……なにゆえこのような?」

 「なぁに、麻呂の叔父が公方に近侍しておじゃりましてのぉ。その叔父の消息がどうにも越後や上野あたりで消えたとの話があるのでおじゃる。ようはその調査ということでおじゃるな。皆様には麻呂と数名の者達が古河に滞在できるよう手配していただきたいとのことでおじゃる」

 「「断る!!」」

 「!!……何と申しましたかの?」

 「断ると申したまで。古河は伊藤家の治める地、当家でどうこう出来るものではございませぬ。古河にお行きになりたいのなら、勝手になさりませ。お屋形様に直接命じられたのならまだしも、そのような紙切れ一枚でどうして我らが動くと思ったのか?そこもとはいつから我らに命令できる立場になられたのか?思い違いも大概になされよ!」

 「!!!!……なんという増上慢!!そもそもが麻呂自らこうして足を運んだからにはひれ伏して話を聞くのが筋でおじゃろう!」

 「そのような対応をお望みなら、宮中で行われておるままごとの中でおやりになれば良かろう。ここは京ではございませぬからな。寝言は寝てからと言いまする、そこもとが寝られるには、慣れた寝所の方が良いのではありませぬかな?」

 「!!!覚えておれよ!!麻呂に歯向かった事いつかは償わせてみせるぞ!」

 「……ふんっ!いなくなったか。あの青瓢箪が!」

 「あやつが当家に来てからというもの、良いことが一個もありませぬな」

 「そうじゃ、あやつのせいで儂らは銅銭の鋳造が出来ぬのだぞ?しかも闇で流通しておる甲州金の回収を命じてきておる。頭がおかしいのではないか?公家とは政が専門ではないのか?」

 「かような悪政ばかりしか考えられぬ公家だからこそ、武家に権力を奪われて久しいのであろうさ」

 「……しかし、如何する?あの書状の花押は本物じゃったぞ?」

 「確かに、本物の花押は面倒ではあるが……知らぬ存ぜぬで通すが良かろう」

 「そうじゃな。それが良い」

 「して、話は変わるが、古河に赴いた儂らは領内での新しい銭、三國通宝を使うことを認めるがお主たちは如何する?」

 「なに?お主らは使うのか?」

 「お屋形様がおっしゃったのは、作ることはせぬ、ということだけだ。使う分には問題なかろう」

 「……そうよな。一度使ってしまい、領民の手元に入ってしまえば取り上げることは不可能であろうしな」

 「「左様、左様。それが良い」」

 「……それに、ここだけの話。儂らがお屋形様についておるのは、無敗の軍神であったからじゃ。戦場にも出ず、城で怪しげな香ばかりを吸っておる者に当家の当主が務まるか?儂らの主が務まるか?」

 「しっ!声が高いぞ!」

 「しかし、皆も少しは考えておろう?」

 「「……」」

 「その沈黙が答えということだな。儂もすぐにどうこうということは無い。長尾家にはそれなりに恩義はあるし、ここに集うておる皆との仲も心地よいものと感じておる……だが、儂は領内に悪政を強いることには抵抗するぞ」

 「儂もじゃ!」「おう!お主だけではない!」「儂の領地を荒廃させてなるものか!」

 「……今少し見守ろうではないか。当家はここまでの大身となったのじゃ、その身の振り方だけは慎重にせねばな」


1564年 永禄七年 夏 鎌倉


 「兄上!見えてきましたぞ!あれが相模ではありませぬか!?」

 「おお!!父上!見えてきましたぞ!あれが林の湊ですか!?」


 一丸、中丸も数え十歳だ。

 いつまでも羽黒山と勿来の行ったり来たりではなく、たまには領内を見て回るのも良いだろうと、俺が鎌倉に向かうのに付いて来ている。


 「ううう……一丸兄上も中丸兄上も元気ですね……私はとても、とても……ううう」


 もちろん、一丸、中丸と兄弟として育てている仁王丸も一緒だ。

 だが、仁王丸はどうにも船に弱いらしい、出発から一刻もせずに気分を悪くしてしまっていた。


 「ははは。仁王丸様は船が苦手の様子ですな。しかし、ご心配なされるな!船酔いで死ぬものはおらぬというのが古来からの船乗りの話。世界中を探せば何人かはおるかも知れませぬが、少なくとも俺の知る限りは無事です。まもなく陸に付きますから、それまでの辛抱ですぞ!」

 「……ありがとう、信長殿。慰めになってないけど……うううぅ」


 確かに船酔いで死ぬものはいないとは前世世界でも良く言ったものだ……主に釣り人の間ではな。


 「仁王丸はまだ、奥で休んでおれ。港に着いたら呼びに行くからな!」

 「……はい。義父上……うううぅ」


 胃のあたりを抑えながら、船室に入っていく仁王丸。

 俺も酷い船酔いは経験があるからな……その辛さは解るが、どうにもできんのだ。

 耐えればあと一刻とせずに陸が踏めるぞ!


 「しかし、吉法師よ。今回は天候に恵まれたな」

 「そうだな、波も荒れずに風も程よい。湯本を出て二日目、しかも日の出ているうちに着けるとはな……途中からは帆の数も減らしてこれとは、なんともツイておるな」

 「まぁ、これが勿来で造られる最後の武凛久なのだ。村上衆もいつもより力が入ったというものなのであろうさ」


 そう、俺達が乗っているこの船が勿来武凛久の最終艦の「黒狼丸」だ。

 前方に線条付き大砲一門、後方二門。片舷にスプリング付きスライドを備えた四貫砲を八門ずつ。

 実戦こそこなしてないが、景能爺を初めとする作成部門と信長をはじめとする実働部門の双方が絶賛する船が出来上がった。


 線条付きは半里近くも飛ばせるので、その飛距離に大いに感動したものだが、砲弾は一貫、榴弾とかはまだまだ作れていないので、性能的にどうかな?とは思うが、信長にしたら使い方は幾らでも考え付くとのことだった。


 うん。そこは現場指揮官に委ねよう。


 一方の四貫砲は射程が短い。二三町が良いところじゃないか?

 海の上での三町なんか、ほぼすれ違いのように思えるが、こちらも信長に言わせると大したもののようだ。すれ違いざまに八門の四貫砲が火を噴けば、ガレオン船でも落とせる自信があると豪語している。

 うん。俺は良く分からないから、よろしくね。今後も丸投げするから!


 「で、今回はなにゆえに鎌倉で会うのだ?何ぞアルベルト卿に事情があるのか?」

 「さぁ、詳しいことは解らんが、去年に勿来であった時に、「他の南蛮船が来る心配のない鎌倉で次回は会いたい」と……なにやら会わせたい人物がいると言うておったが……どんな人物なのであろうな?」

 「……聞いているのはこっちだ!……しかし、会わせたい人物か……なにやら、不安を掻き立てる言葉ではないか!な、太郎丸よ!」


 不安を掻き立てられる言葉で喜ぶな!っての!


 ……

 …………


 「ここから、鎌倉城までは四里と少しだ。皆は先に行っていてくれ、俺達はアルベルト卿と二三話をしてから鎌倉に向かうからな……よろしく頼むぞ、忠嘉!」

 「はっ。お任せあれ!では、若様方、まずは酔いが収まるまではゆるりと歩き、その後は馬で一気に鎌倉まで参りましょうぞ。なに一刻もかかりませぬからな。鎌倉に付いた後は温泉にでも入ってゆっくりと後見様のご到着を待ちましょうぞ」

 「「はい!!」」「……はい……うぅ」


 子供たちの警護は忠嘉に任せ、俺達は佐島の丘上の教会へと向かう。


 ……

 …………


 「待たせてしまったかな?アルベルト卿」

 「いや、コンスル景藤。そのようなことは無い。我らも今しがた着いたところだ」


 今しがた、は流石に社交辞令も過ぎるだろう。

 アルベルト卿は一通りの祈りを捧げ終わっていたようだからな、待たせてしまったか。


 「して、ここには人もおらん。奉仕の信徒たちも下がっているようだしな。話を聞こうか」

 「うむ……コンスル景藤に引き合わせたいのは、そこで祈りを捧げている夫婦と子供だ」


 アルベルト卿が祭壇に向かって祈りを捧げている一組の夫婦を指し示す。


 「ほぅ!なんとも綺麗なはちみつ色の髪をした女性ではないか!」


 確かに。吉法師もびっくり。

 俺もびっくりのブロンドの女性である。前世世界の記憶を含めても天然もののブロンド何ぞほとんどお目に掛かったことは無いからな。

 そりゃ、吉法師なぞは声が出ようというものだ。


 「レオン!マリア!こっちへ!……こちらが話しておった東ジパングのコンスル。伊藤家の景藤殿だ」


 アルベルト卿が、そう夫婦に俺を紹介する。

 ……覚悟してはいたけど、やっぱりコンスル名乗ったら東日本の支配者的な紹介になるわな……。


 「お初にお目に掛かる。コンスル景藤。私はレオン・サンタクルスと言う。こちらは妻のマリア・ルイーサ、そして娘のサラだ」

 「お目に掛かれて光栄だ。レオン卿。私は景藤、後ろにいるのは腹心の織田信長。彼もスペイン語はある程度は解るので、ゆっくりしゃべってもらえれば問題は無い」


 うん。ちょっと嘘をまぶしました。

 最近ではスペイン軍と行動を共にしたりする信長君の方が、俺よりスペイン語は上手だったりします。


 「織田信長と申す。伊藤家では海軍提督を拝命しておる」

 「マリア・ルイーサです。何卒よろしくお願いいたします」


 おや??

 マリア・ルイーサさんってどこかでお会いしましたっけ?

 ん??


 「早速なのだが、コンスル景藤。お気づきの通り、レオンは我が一族に連なる者でな、少々事情があって本国から離れているのだ……でだ。そのなんというか……」

 「気にするな。言いにくいことでもなんとでも言ってくれ。ここはジパング。いくらフェリペ二世であろうとスペイン艦隊を派遣することは敵叶わぬ地球の裏側よ」


 ……まぁ、こういった状況で言いにくいことってのは、要するにレオン君を亡命させてほしいってことでしょ?

 しかし、レオン君ってまだ十代だよな?イベリア半島の黒髪美男子ってやつだな。

 夫妻で並ぶと黒と金の美男美女カップルで、何処の少女漫画の主人公だよ!ってツッコミを入れたくなるぐらいのお人だな。


 「……相変わらずの洞察力と事情通だな。そう、レオンは我が一族ではあるが、実の父親がカディスの領主、そして彼はその嫡男……だった」


 お!廃嫡仲間?


 「なんだ、ここに廃嫡仲間が三人も揃ったではないか?太郎丸よ」

 「お前は廃嫡とはちと違うであろうが……それで?アルベルト卿」


 まぜっかえすな、吉法師。


 「ああ、ここからは私の方から……私はカディス公の嫡男で、ゆくゆくはここにいるアルベルトの兄、アルバロの下で一軍を率いるはずであった……あったのだが、俺は運命の女性と出会ってしまってな。神のご加護か、こうして俺達は結ばれ、可愛い娘も生まれたのだが……この可愛すぎる俺の娘がな……」

 「そこからは私が変わって……私はマリア・ルイーサ……正式にはマリア・ルイーサ・アマーリア・クリスティーナ・デ・アウストリア……カサ・デ・アブスブルゴ……スペイン国王フェリペ二世の従姪となります」


 おいおいおい!

 「デ・アウストリア」とかオーストリア大公ってなるんじゃないか!え?ん?

 またまてまて、だいたいオーストリア大公ってハプスブルグの家長が継ぐよな!KKの元にもなるんだしさ……しかも、この時期のハプスブルグはローマ皇帝も兼ねてるよな。三十年戦争でドロドロの関係が待っているが……。


 うわ~、ヨーロッパ世界のど真ん中の王族じゃねーか!


 「ああ、それほど、混乱なさらないでも大丈夫かと……たしかに、私はオーストリア女大公を名乗るよう従祖父から言われておりますが、実権を持ったことは今までに一度たりとも御座いません。後宮の隅っこしか知らないで育った、二十二の娘です。ただ……この身に流れる血が欲しかった人たちが多かったのでしょう……これまでに何人もの夫を持ちました。命を何度も絶とうと思ったこともありましたが……こうして、今では最愛の夫と結ばれ、娘にも恵まれました……」


 イケメンのレオン君はマリアさんの肩をそっと抱いた。


 うむ。ここまでのイケメンだと何をしても絵になるな。


 「それだけの血統だ……なるほどな。皆まで言わんでも良いさ。こうして見ると、娘さんも母親に瓜二つ……色々と想像は付く。俺も、信長も子を持つ親だ。あなた方の気持ちはよくわかる」


 マリアさんも自分と同じ境遇を娘に体験させたくはないのであろう。

 国を捨てたくなる気持ちは解る。


 「……私からの願いというのは他でもない。どうかこの親子をコンスル景藤の治める地で生活させてやってはくれないだろうか?レオンは若いが、我が兄が直々にアルマダの次代提督にと望むほどの逸材だ。海と船に関しては、ヨーロッパ世界でも一ニを争うほどの人物。どうか、召し抱えていただきたい」


 ……ヨーロッパの航海術を叩きこまれている逸材か……良いじゃないか!

 遠距離航海技術に、これからの新型船の造船……俺が、どうしたもんやら、と悩んでいた全てを兼ね備えた人材。

 うむ。決まりだ。


 「ああ、そう頭を下げないでもらいたい、アルベルト卿……話はわかった。レオン卿、どうだ?俺の下に仕えるか?勿来に屋敷を作るので、そこで家族と暮らすが良い。仕事はこの信長の副官として、当家の海軍を強化して欲しい……ゆくゆくは艦隊を率いてもらいたいものだ。どうだ?」

 「……?!よろしいので?今までの話をお聞きになれば、私を匿えばスペイン王国と敵対する可能性もありますが……?」

 「なに、構わんよ。そもそも、スペイン王国にジパングまで大艦隊を派遣する力はあるまい。当家の領地に来るスペイン軍はアルベルト卿の部下たちばかりだ。気にするな!……問題は我らの言葉……日ノ本の言葉を覚えてもらわねばならんことぐらいだが……」


 そうだよね。

 言語は大事です。

 勿来にいながらスペインとの人脈が築けたのも俺がスペイン語を話せたからだもんね。


 「これでも、物覚えは良い方です。頑張って覚えて、少しでも早くカゲフジサマのお役に立ちます」

 「おお!期待しておるぞ!……だが、まずはマリア・ルイーサ殿とサラを休ませることだな、皆さんは馬には乗れるかな?」

 「はい。乗馬は私も、マリアも嗜んでおります」

 「では馬を使おう……まぁ、ジパングに馬車は無いのだがな。距離は……なんだ二ミージャ半と言ったところか?鎌倉という城に俺の息子たちもいる……温泉もあるので身体も休まるぞ!」

 「おお!それは良いではないか!レオンよ……よかったな!」


 軽くウルっと来ているアルベルト卿。

 いやぁ、人格者のスペイン人が集まってくれて良かったね。

 ラスカサスがラテンアメリカで目撃していたセニョーレスのようなタイプだったら、即刻首を刎ねまくっているところだったよ。良かった良かった。


 「くくく。これで、遠洋航海の技術と道具が手に入るな!今までは蝦夷地どまりではあったが、これからは呂栄やアカプルコなどにも足を延ばせるということではないか!」


 おやおや、信長様は新たな野望に目覚められたようですね。

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