第68話 四国連合造幣会議

1564年 永禄七年 正月 古河


 昨年の伊豆攻めはあっさりと終わった。


 伊勢軍とは一度も干戈を交えることなく、韮山城、下田城は開城した。

 やはり、蒲原城の攻防戦において、当主氏康、嫡男氏政が討死していたのが大きかったのかもしれない。風魔衆の内応工作によって伊藤家方についた家臣を抑える人物がいない状況になったわけだからな。


 伊勢家の当主親子が討死したその一方で、今川義元、氏真親子は蒲原城を自ら開城し、松平の軍門に降った。


 援軍に来た家の方の当主親子が討死し、援軍を貰った側の家の当主親子は命永らえている。

 なんとも皮肉な様相ではあるが、これも戦国の習いなのであろうか。


 「ほう、ほう、ほう。これが噂に名高い伊藤家の澄酒、清酒、焼酎でござるか!澄酒と清酒は京から送られてきたものを飲んだことがありますが……う~む。このかぐわしさは、関東のものの方が一段上に感じられますな!がはははは」


 急に現実に引き戻される。


 うん。俺は知りませんでした。松平清康ってがはは笑いの人だったんですね。


 「ほれ!家康よ。其方も飲んでみるが良い。酒があまり得意でないお主でも、この酒は試して見ねば大損だぞ?!」

 「はぁ、お屋形様がそうおっしゃるのならば……」


 どうやら松平家は屋形号を自称しているらしい。

 まぁ、今川の旧領を全て併呑したのだから、別におかしなことは無いような……。

 けれども、その理論で行けば古河公方を配下にしている当家の場合は、御所とかって使っても大丈夫になっちゃうのか?知らんけど。


 「はははは。清康どのはイケる口ですが、家康殿は酒精はあまり得意ではないということですかな?」

 「左様です。わしの孫ながらどうしてこうなったのやら……ですが、酒は苦手ながら女子には手が早いようでしてな。こやつめ、自身の妻を今川の縁者から選びましたわ。まったくどこで知りおうたのやら」

 「そのような言い方は……単に、駿府の館で保護した時に向こうが儂を選んでくれただけです……瀬名に言わせると、どうにも儂は愛嬌のある顔だということで……狸顔にも不満は無いようです」

 「「……」」


 家康君は天然なのか、それとも場をわきまえない嫌味野郎なのかどっちなのかな?

 あんまりふざけた事言ってると首が物理的に飛んじゃうぞ?姉上の刀で。


 ちょっと生々しく家康の生首を想像しちゃったので、おそるおそる姉上の方を見る。

 ……良かった。まったく気にしていないらしい。

 膳を整えに来た多恵に何やら話しかけている。


 「……ささ。当家は酒だけではなく肴も自慢でしてな。明から参った料理人が腕を振るった大陸の品々が格別でしてな。確か明では医食同源と申したか?のぅ?景藤よ?」


 やめて、爺様。

 俺に振らないで!

 狸発言で微妙な心持なのですよ……救いは景竜がここにいないことか。


 「……そうです。明の考えでは身体を作るものは食。即ち、身体に良いものを取ることは、より良い身体作りへの第一歩ということですな。とくに正月のこの膳は無病息災、健康への祈りが込められた膳となっております。ささ、どうぞどうぞ」


 無難に膳をアピールして食を進めてもらう。

 前世世界では、「何かを食べながらの会議では、何も食べない会議に比べ肯定率が三倍近くにも上がった」との論文があったからね。

 宴席で困った時は食べ物と飲み物を進めるのがベストですよ!


 「では伊藤家自慢の膳を頂こうではないかな?家康よ」

 「はっ!」


 そっそそ。まずは歓待を受けてね。


 俺も頂こう。

 ……。

 うむ、今日の陳さんも絶好調である。

 特にこのトンポウローがたまらん。


 「……なるほど。伊藤家を初めとする奥州では、普通に獣肉を食べるというのは本当だったのですね」

 「そうですね。奥州ではそこまで忌避されてはおりませんね。また、明も南蛮も琉球も肉は食いますからね。逆に、日ノ本ぐらいではないでしょうか?肉を食わぬのは……まぁ、僧侶の方々や、私の知らない国々では、肉食を禁じているところも沢山あるのでしょうが」

 「……確かに、噂通り伊藤家の後見殿は海の外について博識なようですな」


 ……おやおや?

 そのような噂が?

 領内でしか……というか、戦以外で領外に出たことは無いのでそんなに噂になるような人間かな?俺ってさ。


 「それは、なんともお耳汚しでございます。ただ、私は伊藤家で交易に関する役目をこなしているだけですので、そのあたりの話が大きく伝わってしまったのでしょうかね?」

 「御謙遜を……。後見殿が流ちょうな南蛮言葉で彼らと直接交易をし、伊藤家を繁栄させていることは東海に位置する我が松平家のみならず、畿内でも有名な事ですぞ?」


 ……?なぜ畿内でも?


 「ははは。後見殿は気付いてないようですが、勿来の湊には、明や南蛮の船だけではなく、博多や堺の商人も商売を行っているのでしょう。堺の商人が知ることになる出来事というものは、その日のうちに畿内で広まります。後見殿の噂話が畿内で広まっていても何の不思議もございませんぞ?」


 ……そりゃ、そうだね。

 なんとも不覚。商人の情報網を俺が使っていおいて、逆の情報の流れが無いはずないよな。

 こりゃ、それなりに警戒されちゃってるのかな?そちら側の人たちに。


 ……けど、日本の中では別にいっか。元から「欧州情勢に強い伊藤家」って看板を掲げて欧州の国々との交易の網を広げようとしていたんだもんね。

 こっちから、宣伝しなくても、ただで宣伝してくれるのなら儲けもんか。

 うん。受け取り方を変えよう!おう!


 「いやいや、それほどでも、ただ、多少はスペインの言葉が操れるというだけのこと。当家に来た宣教師の教え方が上手であったのでしょうな。あまり苦労せずにしゃべれるようになり申した」

 「左様でございますか。それはなんとも羨ましいものですな」

 「まぁ、これも何かの縁なのでしょうな。ただ私は、懸命に関東を栄えさせるための努力をするだけですな。ともあれ、言葉を覚えられたおかげで伴天連坊主とも無理の無い意思の疎通が出来るようになって助かりましたね」

 「ほう。それはどういった?後学の為にも是非お伺いしたいですな」


 なんか、ねほりんぱほりんに俺の話を聞いてくるのね。

 方々で要注意人物扱いされてるんだろうな~。

 ああ、いやだ。こんなに平和主義者で引きこもり特性を持った戦国武将は、日本広しと言えども少ないと思うんだけどね。


 「別に南蛮人だからと言って危険視する必要はないということですな。彼らも布教さえ認めてもらえれば、それ以外のところではだいぶ我々の話を聞いてくれますからな。当家では伴天連坊主と真言の坊主が一緒の寺で読み書きそろばんを領民に教えておりますぞ?……当家の領内にはあまりおらぬのでわかりませぬが一向宗・・・でも互いを受け入れるのではないでしょうか?」

 「「!!!」」


 露骨に嫌そうな顔をする清康と家康。

 ふん。このぐらいの嫌味は言わせてほしいものだ。


 「ははは。今までは隣国というわけではなかった我ら。これからの両家は、仲良く愛鷹山を境に東西を接することになるのです。今後は互いの領内を見てまわり、それぞれに理解を深めていきましょうぞ」


 亀の甲より年の功。爺様のまとめで、何とか顔のこわばりを取ってもらえたということで……これからはちょっと黙っていないとね。


永禄七年 正月 古河 伊藤景元


 まったく、景藤の奴め。

 そりゃ、あそこまで、ねほりはほりと聞かれれば気分の良いものではないであろうが、あまり相手の嫌な所をつつかんでも良いであろうにの。

 昔から、藪をつついて……などとも言うであろうに。


 「本日は私が佐竹家を代表して古河にお邪魔致しております」


 あれから何日も経ったのじゃ、気分を変えねばな。


 今日は義里殿が横浜の造船所について、佐竹家の返事をもって来たとのことじゃ。


 「承知致しました。それでは佐竹家からのお返事を聞かせていただきましょうか」

 「では、早速……佐竹家としましては横浜での造船所の案に賛成させていただきます。条件も提示されたものは全て飲む方向で家中の全ての者が了解いたしました。ただ、銅銭鋳造に関しては、伊達家、長尾家も含めた四家でもう一度話し合いを持った後に、賛否を決めさせていただきたい。以上です」


 ふむ。どうやら義重殿は落ち着きさえすれば、冷静な判断が出来るのかの?

 いや、義昭殿と義里殿の二人が主導しての判断の線が強いか……。


 「ならば、細かいところは後程、普請奉行の伊織と詰めて頂くということで……大まかな流れを景藤の方から説明させましょう」

 「はっ。では私の方から……まず今の勿来での建造状況ですが、大工二百、鍛冶二百、雑役五百程度で一隻が百日近く掛かります」

 「百日ですか!」


 おう。だいぶびっくりしておるな。

 それも熟練の船大工が付きっ切りでなんじゃがな。


 「人を増やせばそれだけ早く造れますが、あまり増やしても費えが増えるだけで、それほど効率的な仕事は出来ないように思います。時間を短くするために、効率的に造船を行うのならば、複数の船渠で同時に作るのがよろしいかと……こうすれば全体として見た場合に時間を大いに短縮出来ましょう」

 「……しかし、一つの船渠ごとにそれだけの人数、千名近くを集めなければならぬのでしょう……流石に、当家ではすぐに横浜へと動かせる船大工はそこまでおりませぬ」

 「当然、指導を行う大工、鍛冶は当家から出しますし、横浜は当家の領内ですので雑役をこなす者は武蔵で集めます……叔父上、雑役をこなせる人足は何名ほどが横浜に集められましょうか?」

 「そうですね。最大で、四千名と言ったところですかね。私が把握しているところでは、雑役には重なる仕事も多いでしょうから、船渠も十が限界ですかね」

 「十ですと!!!」


 おお。伊織も吹っ掛けるわい。

 確かに、無理をすれば十の船渠を動かせるであろうが、それだけ一偏に船を作ってもあまり意味はなさそうに思えるがのぉ。


 「まぁ、最大でということですね。私が考えるところですと造船船渠が二ないし三、修理船渠が二つというところが良いのではないかと思います」


 ……二人とも十分に吹っかけておるの。

 よう、そこまで顔色も変えずに吹っ掛けられることよ。

 そういった腹芸は景虎の得意分野だと思っていたのだがのぉ。


 ん?

 ……まさか、二人ともその数は本気の数なのか?


 「……正直な所、そこまでの人間が必要とは思っておりませんなんだ……今一度戻って、家中で話を詰めねばなりませぬ。ただ、造船所を造ることは間違いないことですので、まずは造船船渠と修理船渠の二つで造りだすことは可能でしょうか?」

 「そうですね。そのような拡張性を求めて横浜を提案させていただいたところもありますので、船渠を増やすのは追々で構わないかと……では、まずは佐竹家の造船船渠が一つ、当家の造船船渠が一つ、修理船渠を一つの計三つということで進めていきましょうか。叔父上、申し訳ないですがそのような形で資材と人員の準備をよろしくお願いいたします」

 「解りました。それでは小机城に人と物を集めますね」

 「……よろしくお願いいたしまする」


 ううむ。義里殿もだいぶ疲れたようじゃな。

 しっかし、伊織の奴め。散々景藤のことを築城魔王などと呼んで揶揄っておったが、今や奴自身もいっぱしの建築魔王ではないか!


永禄七年 春 古河 伊藤元景


 「こうして当家にお集まりいただき感謝の念に堪えません。今日は四国連合による貨幣鋳造の実務者での話し合いということで、忌憚のない意見を出してもらえればと思います」


 相変わらず、こういう挨拶を太郎丸にさせると、微妙にけったいな感じになるわね。

 ただ、堅苦しければ良いというわけじゃないから、この雰囲気が互いの緊張を消すことにもなるでしょう。太郎丸の挨拶にも、少しぐらいは探せば良い効果もあるとは思うわね。


 「……このまま初めても何かと進まぬでしょう。まずはそれぞれの家がどのような意見を貨幣鋳造に持っているかを話し、そこから話し合いを進めるのが良いかと思います」

 「たしかに、某は輝宗殿の意見に賛成ですな」


 輝宗殿の意見に皆が賛意を示したわね。

 今日の参加者は当家からは私と太郎丸。

 伊達からは輝宗殿と遠藤基信殿、佐竹からは義里殿、長尾からは直江景綱殿と真田幸隆殿。


 ……とりあえずは、輝宗殿の提案通りの流れで始めてもらいましょう。

 私は一つ頷いて、太郎丸に発言を促す。


 「では、まずはこの提案をさせて頂いた当家から。まぁ、提案をしたぐらいですから、もちろんのこと当家は全面的に貨幣鋳造を進めていくことを考えております。理由としましては、まずは第一に領内での銅銭不足の解消、第二に領内での欠け銭や割れ銭、鉄銭などを効果的に取り上げ、領内での商いを円滑に行うことが出来るということ、第三に我々以外、つまりは他国の影響を受けずとも良くなる点があげられます」

 「……なかなか興味深い話が聞けそうですが、質問は後にして先に進みましょうかな。続いては某の方から……」


 そうね。私も義里殿の意見に賛成だわ。

 ああなった太郎丸は、嫌に長ったらしい説明を始めるのよね。

 今日は時間も足りないわ、先に進みましょう。


 「それでは、義里殿、お願いいたします」

 「はい。佐竹家は貨幣鋳造に賛成致します。理由は伊藤家と似た感じですな。当家の湊、水戸、鹿島近郊では特に銭不足が目立ち始めております。是非とも速やかな鋳造が出来るような体制づくりに協力させていただきたいと考えております」


 あら、びっくりするぐらいに佐竹家が前のめりね。

 そんなに、早く船を造りたいのかしらね。

 どうにも銅銭云々よりもそちらの方が強く出ている気がするわね。


 「では続いて、某、遠藤基信から……伊達家も今回の貨幣鋳造に全面的に賛成致します。今すぐにでも具体的な鋳造に関してや数量の取り決めなどを話したいところですな」

 「ほう。伊達家はそれほどまでに新造貨幣を欲しておられるか?」

 「ええ。義里殿も内心では同じであると思っておりますぞ。今のところは何とかなってはおりますが、我々の国は有難いことに、大いに栄えておりまする。近い将来、このままにしておっては貨幣の数量が決定的に不足し、領民たちが満足に物を買えぬ時が来るのではないか、と強い危惧を家中の者すべてが抱いております」


 凄いわね。ついこの間までとは温度がだいぶ違うわ。

 よほど、晴宗殿と輝宗殿は勿来で熱心に説得されたようね。


 「では最後に当家ですな。長尾家も状況は皆様と同じようなものです。領内の求める銭の数量が十分に用意されているのかどうかを考えると、非常に疑わしいものがあります。数年後のことは内政を預かる者としてはあまり考えたくはありませぬな。そのような状況ではありますが、新しき貨幣を作ることに関しては断固反対するよう、お屋形様よりこの直江景綱、厳しく言いつかってきております」


 ……やっぱりすんなりとはいかないものね。

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