第40/β話 阿武隈の娘 後

天文七年 初春 棚倉


 「元よ。済まぬが一つ聞いても良いか?」


 何でしょう?今日は習字の授業、館からは川の向こう側、常隆寺で手習いを受けているのに……珍しいよね?わざわざ爺様がこんな時間に……。


 「なんでしょうか、お爺様」


 字を教えてくれているお坊さんに一つ頭を下げてから、私は縁側に顔を出したお爺様の近くに歩いて行った。


 「いや、なに。昨日から白毛の村長の娘の南が家に帰ってきていないというのでな。南とは仲の良い元なら、何ぞ知っているのではないかと思ってここに来たのじゃが……その顔では、元は知らんようじゃな」

 「……はい。ここのところは習いごとの休みが無くて……最後に会ったのは梅に怒られた正月の時が最後かと……」


 え?

 なに?

 良く分からないけど、南ちゃんが家に帰っていない?!


 「そうか……それは邪魔したな。何か思い出したことがあるのなら、習い事が終わって館に戻った時にでも話してくれると嬉しい。ではな、習字を頑張るのだぞ。行基上人ゆかりのこの寺でお主もしっかりと学ぶのじゃぞ」


 ……南ちゃんがどこにいるかわからない??


 その日は、それからというものまったく頭が働かずに、お坊さんからも叱られっぱなしだった。

 夕餉も大好きな猪肉だったはずなのに、味も覚えていない……。


 ちゅいー、ちゅいー、ちっちち。


 山の鳥でも館に降りてきたのかしら。鳴き声が気になって眠れやしない。


 南ちゃんが見つからない……どうして?あの南ちゃんなのに!

 しっかり者で、美人で、優しくて、いい匂いがする南ちゃん……どこにいるの?!


 南ちゃんと最後に会ったのは、正月。白毛の村で一緒にきのこ汁を飲んだ時だ。

 あの日は、梅にこっぴどく叱られて……そのおかげで、その日から今日までずっと習い事。館と常隆寺を往復するだけ……。


 そういえば、どうしてあの日はきのこ汁を作ってもらったんだっけ?

 たしか、太郎丸が産まれたばかりで館は忙しなかった。

 お客さんも沢山来ていて、私は窮屈な挨拶に飽き飽きしてて館を抜け出した……。

 そうだ、麓の里で南ちゃんと会って、市が空いているからって八槻社に向かったんだった。

 そこで、出会った牛蛙が気持ち悪くて市には行かずに帰った……。


 まさか、南ちゃんは市へ行った?

 確か、一昨日から市が八槻社で開かれていたはず……。


 こうしちゃいられない!


 床の間には、去年に爺様が贈ってくれた太刀と脇差がある。

 太刀は重くて動きにくくなっちゃうから、脇差をもってふすまを開ける。


 夜も更けているというのに、だいぶ館の裏手が騒がしい。

 あの辺りは、家臣の屋敷や兵の修練所やらがあるあたりのはず……何かあるのだろうか?


 まぁ、ちょうど良い。

 私が抜け出すのに絶好というもの!


 庭木を伝って塀を越え、南側の斜面を駆け下りて麓に出る。

 そこからは大回りになるけれど、館側の山すそではなく、一度久慈川を渡って常隆寺側の山すそを北へ向かってから八槻社へ向かう。

 急いではいても、息を上がらせることがないように、しっかりと腰を落として走る。


 ……着いた。八槻の社だ。


 ……?変ね。

 いくら市の開催期間だとはいえ、ああも入口に明かりをつけるものなのだろうか?

 不思議なものだが、入り口に人の注意が集まってるのならば、好機!

 裏手の竹やぶ側から侵入しよう。


 かさっ、かささっ。


 音をなるべく立てないよう、葉が風で揺れるのに合わせてかき分けていく。


 ……参った。中に入ったは良いけれど、南ちゃんがいると確認したわけでもないし……。


 ぎゅふふふ。


 嗚呼いやだ、あの牛蛙の鳴き声を思い出しちゃった。


 きゃ~!


 ん?女性の悲鳴?

 確かに聞こえた!場所は……明かりのある方ではあるけれど……その裏手の建物かな?


 幸いにして人の気配はこちら側には無いけれど、どうにも嫌な予感はするので、気を付けて闇の深い建物の影を選んで進む。


 「きゃ~!!」


 今度ははっきりと聞こえたわ。

 目の前の屋敷、塀に囲まれているここだ!


 ふん。漆喰でつるつるになっているのなら別だけど、こんな凸凹した土壁なんて、何尺あったとしても登るのは苦じゃない!

 伊達に叔父上方から山猿呼ばわりされてない!ウキキ!


 「黙れ!この売女が!この儂に可愛がられるという栄誉を頂きながらなんだその反抗的な目は!!こうしてやる!こうしてやる!!童の癖にこんなに良いものを!!!」


 裸になった牛蛙が屋敷の中で大声を挙げながら蠢いている。

 何よあれ?気持ち悪いったら、ありゃしない……って、あれは南ちゃん!!!


 牛蛙は裸にした南ちゃんに覆いかぶさり顔を殴りながら蠢いている!!


 許さん!!!


 私は塀から飛び降り、一目散に南ちゃんに駆け寄る!


 おちつけ!叔父上からは口酸っぱく教わった。

 人を殺すにはきちんと急所を狙わなければいけない。しかも、刀というのは使い方によっては簡単に折れてしまうし、刃も鈍る。

 狙うのは、内腿、腋の下、首筋に心の臓。

 刀は振るのではなく突く、そして的確に筋を切り裂くべし。


 移動の音はさせても余計な声は出さない!


 「ぎゅふふふ。ふ?な、なんだお前は!!」


 牛蛙に剣術のたしなみは無いようね、慌てるだけで何もしない。

 しかも身体を起こして急所を私に晒している。よし!殺せる!!


 脇差を抜いてしかっりと首筋を斬り裂く!


 ビシュ!


 飛び散る牛蛙の血。


 どさっ。


 「南ちゃん!南ちゃん!!大丈夫!!」


 私はただの物になり果てた牛蛙を蹴り倒して、南ちゃんを抱き起す。


 「……私はだいじょうぶ……大丈夫だから泣かないで、元ちゃん……それよりも早く逃げなきゃ。この辺りには沢山の男の人がいるの、皆、刀を持ってたわ。いくら元ちゃんが強くても多勢に無勢?元ちゃんまで捕まっちゃうわ。早く逃げてね?」


 確かに、今の騒動で人が来ている気配……ここにいたら南ちゃんを盾にされちゃう!


 「すぐに迎えに来るから、それまでの辛抱だよ、南ちゃん!いいね!」


 予備に丁度よさそうな脇差が床の間に飾った有ったので、それを失敬して部屋を出る。

 そのまま館に人を呼びに行っては南ちゃんが危ない。

 集まってくる前に刀持ちの数を減らす。


 「ん?どうしたんだ??あの助平親父め、一人で商品に手を付けるなとあれほど言っておるのに……」


 不用意に近づいてくる刀持ちを角で待ち伏せ、すれ違いざまに首筋を下から斬り裂く。

 驚いたもう一人の股を軽く斬り上げ、倒れこんだところを後ろからしっかりと斬り裂く。もちろん首を。


 近くに人はいない……刀を抜き取り、近くの無人の部屋に放りこんでおく。


 これも叔父上から学んだ。

 味方の武器は増やせ。敵の武器は壊せ。

 壊すのは無理だから、隠してしまいましょう。


 「うわああああ!」「敵襲だ!!!」「出会え、出会え!!!」


 ん?何??

 私ではない。外の方から争う声ね。


 私は周りを確かめながら、ゆっくりと喧騒の方へと近づいていく。


 「こんのぉ糞坊主共!!人の領内で何をしておるか!!」

 「いや、父上。ここは別に我らの領地というわけでは……」

 「野武士風情が何を生意気な!!我ら武士にかなうと思うてか!!!!」


 あれは、爺様に父上……叔父上方も……。

 館が騒がしいと思ったら、どうしてここに……。


 平家の真紅の旗。


 真紅の旗を掲げて、五十人ほどの伊藤家の兵が社の者どもを斬り伏せていく……。


 「ん?元!!!なんであなたが!!いや、それよりもここは危険です。私と一緒に外に出ますよ!」


 思わず、ぼうっとみんなの戦ぶりを呆けて眺めていた私の肩を掴んで伊織叔父上が声を掛けてきた。

 伊織叔父上の端正な顔立ちも、戦の火と血で中々に壮絶なものに……って、そうじゃない!


 「叔父上!こちらに!み、南ちゃんが!!」

 「?!白毛の娘ですね?どこです!案内しなさい!」

 「こ、こっちです!」


 私は我に返り、南ちゃんのところまで叔父上を連れて行く。

 屋敷の中に、敵はもういないのだろう。人気のない屋敷内を奥へと進んでいく。


 「み、南ちゃん!!」


 やっと、最初に侵入した部屋へ私たちがたどり着いた時。

 南ちゃんは床の間に飾ってあった太刀を取り、自分の首元に押し当てていた。


 「ご、ごめんね。元ちゃん……わたし汚くなっちゃった……もう、生きていたくないよ……」

 「な、なんで?南ちゃんは汚くないよ?……私の大好きな南ちゃんだよ?」

 「だめなの……もういやなの……いきていたくないの……なくなっちゃったいの……」

 「南ちゃん駄目だよ。そんなものから手を放して?危ないよ?」

 「ごめんね……ごめんね……」

 「なんで謝るの!!南ちゃんは南ちゃんで、私の大好きな南ちゃんだよっ!」

 「ごめんね……ごめんね……」


 ぶっ……ぶしゅ。


 「ああ!南ちゃん!!!」


 刀を首に押し当てた南ちゃんに駆け寄る。


 「駄目、駄目だよ南ちゃん!!まだ、私たちは子供なんだよ!大人になってないんだよ!!どうして……」

 「もとちゃん……わたしのだいすきなきれいな……お坊様が言ってた……人は生まれ変わるんだって……次にもとちゃんに会う時も友達だ……よ?」

 「駄目、駄目!!!!みなみちゃ~~ん!!!」


 私はあったかい南ちゃんの血の中でずっと泣いていた。

 ずううっと、ずっと、泣いていた。


 そして、気が付いたら屋敷の自室で寝ていた。


 ぴちち。ぴちっちち。


 雀の声。朝になったの?


 「起きましたか、元?」

 「ああ、伊織叔父上……ということは昨日のことは夢?」

 「……」


 ああ、叔父上のその苦しそうな顔でわかりました。

 あれは本当のことなのですね。


 「元には全てお話ししましょう……あれは……」


 伊織叔父上の話を纏めるとこうだ。


 八槻社に新しく来た男はただの悪人だった。

 水戸の商人と手を組んで顔立ちの良い娘をかどわかし、堺やら京やらどこぞに売り飛ばす組織に属していた。

 付近で童の拐かしが多発したので、調べていた父上たちは、早々に八槻社の者達に辿り着き、昨日に乗り込んだということだった。


 「では、どうして南ちゃんは?八槻の市に行かなければ??あの日に私が市に行くことに賛成しなければ?八槻で市が行われていることを知らなければ??」


 ああ、駄目だ。色んなことが頭をぐるぐる回る。

 涙も止まらない……。


 「元……」


 慰めてくれようとしているのでしょう、叔父上が私の肩をそっと……ぎゅふふふ。


 「いやっ!!!」


 気が付いたら、私は叔父上を突き飛ばしていた。


 「あ、いや……そういうのではなく……なんだか、怖くて……」


 少し寂しそうな顔をしていましたが、叔父上は優しい声色で話しかけてくれます。


 「大丈夫ですよ。あなたは今少し寝ていなさい。寝て起きて……お腹がすいたら梅に声を掛けると良いでしょう……それでは、お休み」


 すうっ。

 静かにふすまが閉められます。


 なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!なんだろう!


 この理不尽が戦国の世だということは勉強したことでわかった。

 けど、こんな残酷なことが起きるなんておかしいじゃない!

 この世には神様も仏様もいないの!!


 ……そうね。

 私は理解した。


 この世が汚いというのなら、私が力づくで綺麗にしてやるしかない!

 今に見ていなさい!この私が二度と南のような可哀想な子がうまれないようにしてやるわ!


 まずは叔父上の下で剣の修行と政の勉強ね。

 伊藤家による平かな世……必ず叶えてやるわ!

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