第十二話・命の奪還(B)
ヨモギは夢を見ていた。鉄ヶ山が敵地に向かう姿を目の当たりにしたことで不安になったのかもしれない。
鮮血が吹き上がり、べたついた呼吸音とともに、父が、母が地面に伏する。動禅台に埋もれた、掘り起こされることのない出来事だ。
ヨモギの両親は殺された。誰もが認める秩序を守る者の手によって。もっとも敬意を受ける者の手によって。
ヨモギの両親は、ガーダーに殺されたのである。
あの動禅台で見たガーダー達はまさに鬼だった。ガーダーの標的になるということは、この国での行き場を失うことと同義である。抹殺とも駆逐とも違う。駆除、処分だ。
ヨモギの両親は人格を持った人ではなく、動く標的にすぎなかった。
両親を殺したガーダーは、仕事を一つ終えた後、ヨモギへと向かってきた。
血を浴びたガーダーを見て、ヨモギの心は恐怖で満たされていった。今も恐怖心だけが強く残っている。
だが、そこからの記憶は混濁してわからなくなっており、そこまできたヨモギの夢もまた、急撃に閉じていった。
同時に恐怖も薄れていった。赤黒く染まったガーダーは、いつしか現れたフォールの背中が遮って、ヨモギに安心感を与えたからだ。
チホのときもそうだった。ヨモギはもともとガーダーに疑念を抱いていたのだ。
鉄ヶ山が払拭してくれた。鉄ヶ山に動かされた。
なのに、ヨモギは鉄ヶ山のことを知らない。思えば、交わした言葉さえ少ないのだ。祈ることさえできない。
だが、今のヨモギは、思うことで祈りよりも強い繋がりを信じることができる。
それで、涙した。
鉄ヶ山は自分を隠している。夢の中でさえも見ることのできないその深遠を見ていると、自然と涙がでてくるのだ。
ヨモギは気がついていた。
夢の中の鉄ヶ山は、一度もヨモギに振り返ってくれたことがない。
***
「久しぶりだね、シン。待ってたよ」
本条睦丸は異様なアーマーを纏っていた。
装甲面が少なく、紐状に配置されたそれが、体に密着したアンダースーツを拘束するように配置されている。
「ごめんねこんな格好で。まだ任務中だからさ」
施設の最上階、最奥にある部屋に本条はいた。操作していた端末には、蛹の情報が表示されている。
ギチギチという音を立てて本条が歩いてきた。警戒はまるでしていないようだった。
「何年ぶりかな? まるで連絡してくれないからさ、心配したよ」
本条の口ぶりはどこかわざとらしかった。
鉄ヶ山のなりゆきを知っていながら、それを認めたくないかのようである。
「本当におまえなのか、ムツ」
鉄ヶ山はそんなことおかまいなしに質問をぶつける。それは本条の眉をしかめさせるに十分なものだった。
かつての親友。それだけではない。それを超えた関係でもあった。
だからこそ、だ。
鉄ヶ山は本条に、本条は鉄ヶ山に、個を超えた共感を持っている。
自己の半身の起こした行動がわからない。認められない。そのジレンマが起こす苛立ちは並大抵のものではないのだ。
「ひどいな、シン。まさかボクを忘れたっていうの?」
予感は互いにあった。
「誤魔化すな。あれを本当におまえがやったのかと聞いてるんだ」
避けられない。そういう予感だ。
「ああ、クリサリスのこと? そう、ボクだよ」
「そんな……なぜあんなことを……」
「カンパニーの意思だからだよ」
「それだけなのか? 本当に、たったそれだけの理由なのか?」
「それだけってことないんじゃない? 開門計画のためなんだから。あれがなにかわかってて言ってるの?」
「あれがなんだと言うんだ」
「性染色体回収装置だよ。クローンでは失敗した遺伝子視点での能力者を作り出すためのものさ。しかも、今度は人の形にこだわらない。感応剤じゃないんだよ? 感応細胞の時代なのさ。マインド能力を表現できる外部肉体。感応生物を作り出すのさ。生物の名前は、ファントム」
避けられない。
「それだけのことだろう」
「十分じゃないか」
避けられない。
「ムツ、頼む。やめてくれ。こんなことはやめて、退いてくれ」
「どこへ? 知ってるよね? ボク達ガーダーに逃げ場なんてないって。過去も経歴も抹消されている。ガーダーは、ガーダーであることが全てなんだ。今の君でさえ家族に会えていないのが証拠さ」
「秩序をこの上なく愛した、『最後のエース』の言葉じゃない」
「じゃあ君みたいになれっていうの? 落伍者だなんて呼ばれて満足なの? それこそ『百戦鬼』らしくないよ」
戦いは避けられない。
鉄ヶ山がマスクを装着する。ゆっくりと、視線をはずさずに。
薬剤の吸入と催眠により、戦いのために体を調整する。
沈黙。
見つめあい、微動だにしない。それだけがお互いにできる精一杯の最後通牒だった。
願う。思いが届くよう願う。
とうに届いている。とうに知っている。その上で対峙している。
しかし、願わずにはいられなかった。そして、叶うわけもなかった。
「おまえを止める」
鉄ヶ山が口火を切った。火蓋を切った。
『百戦鬼』と『最後のエース』。かつては同じ部隊で双璧をなした二人である。実力伯仲、まったく互角の双子星。
しかし、今では『最後のエース』が一歩も二歩も上回っている。
旧式のバトルジャケットと新型のディサイドアーマー。第一世代プログラムとバージョンアッププログラム。どれをとっても本条の必勝を予感させるものだ。
「勝てない戦いを百戦覆したから『百戦鬼』。鬼をも殺す鬼。その果てに完成された、何にも囚われない自我の化身」
本条は鉄ヶ山をそう評した。その顔にはうっすらと笑みが浮かんでいる。
どこかで誰かが唱えた〝殺仏殺祖〝。歪んだ行程を経て生まれた『百戦鬼』の思考であっても、そう呼ぶことは適うだろうか。
だが、そうした評価に反して、本条はマスクを着けようとはしなかった。
「生身で感じたいな。シンのこと」
上を向いて、本条は呟く。胸元には鉄ヶ山の拳が近づいていた。
ミシリと鈍い音。鈍すぎる音。
本条の張った胸は鉄ヶ山の攻撃をものともしていなかった。
力を込めた本条の肉体は、恐ろしいまでにしなやかで、それでいて硬い。
続いて繰り出される鉄ヶ山の蹴りも突きもまるきり意に介していない。
どこをどう鍛えればそうなるのか。このままではまともに戦える相手ではない。
「くっ! これは!」
鉄ヶ山が距離を置こうとして、重心を変えたとき、本条の手が鉄ヶ山の腕を掴んだ。
「ねえ、どうして置いていったの?」
「……なに?」
本条の暗い言葉を聞き返して、鉄ヶ山はうずくまった。
拳が鉄ヶ山の鳩尾深くまで入り込んでいたからだ。
「ボクを置いていった」
本条の怒りは闘争を通して抑えられなくなりつつあった。
今にも噴出しそうな感情を、なんとか押し込めようとしていることが見た目にもわかった。
歯を食いしばり、首をきしませ、瞼を強く閉じ、そして体を震わせる。
「どうしてあのとき一人で逃げたんだよ! シンにはボクは必要なかったのかよ!」
怒りの声が漏れて、こだまする。
「……どうして一人でいっちゃったの?」
今度は静かな問い。緩急入り乱れはじめた本条だが、しかし、まだ鉄ヶ山を見る目に変化はない。
鉄ヶ山はその場に立ち上がると、マスク越しに本条の目を見つめる。
「巻き込みたくなかった。オレの問題だった」
本心だ。
「そう……大変な状況だったものね。でも、逆ならどうしたと思う? ボクがシンの立場だったら?」
鉄ヶ山は顎を下から掬うように拳を繰り出す。本条はそれを手で受け、体重をかけた。
軌道を逸らされた鉄ヶ山の拳は、目の横まで本条の手を誘導していた。
「答えてよ」
攻撃を受け流した本条の手が鉄ヶ山のマスクに触れる。
ゴーグル部分、目の上を撫でるような本条の手は、危険で、しかし、優しげなものだった。
「おまえがオレの立場だったなら、オレに言ってくれていただろう」
鉄ヶ山の答えに一つ息をついて、本条は鉄ヶ山から距離をとった。
「それがわかっているならさぁ……そう思ってくれてるならさぁ……」
蛹をモニターにしている画面に手をやると、本条の腕に力がこもっていく。
「シンだって、ボクを頼ってくれたらよかったじゃないかぁ!」
画面を抉り取るように握りつぶすと、本条は自分のマスクを取り出した。
「シン、まだ話はあるんだけどさぁ、どうやら邪魔が入ったよ。あのクッソヤローども、よっぽど殺されたいらしいな」
本条の声がにわかに鋭くなる。
本条は、乱暴に自分の顔にマスクをへばりつかせると、傍らにあった、長い鞭らしきものを手にとり、地面に強く打ち付けた。
地面には、跳ねた鞭の跡がくっきりと残っている。重さも速さも、見た目以上にある。
質量を無視し、威力のみを絶対的に伝えようとする特性。指向性作用。つまり、この鞭は、アームランサーと同じマインド能力表現体だ。
「今ボクは機嫌が悪いんだ。ゴミクズみたいにしてくれるぞ!」
鞭をしならせ、威嚇するように本条は宣言する。
扉に気配を感じて本条はそちらに鞭を走らせた。伸びた鞭が扉を貫通して、その先の通路の壁にめり込んだ。
そこに誰の姿も見えなかったが、しかし、裂けた扉の隙間から光弾が絶え間なく撃ち込まれ、本条の周囲に着弾した。
煙と炸裂した光の中、鉄ヶ山の隣に降り立つ者がいた。
「なにをやっているのですか百戦鬼!」
朱塔は鉄ヶ山の肩をひく。
「はっ! なんだ、本当に
本条が朱塔を嘲笑する。
鞭を力づくで引き戻すと、本条は壁の向こうに隠れる影に向かって叫んだ。
「ハぁンスぅ! 現地徴用のキーパーもどきふぜいが、王都に牙をむくのかァ! 拾ってもらった恩を忘れやがって! 身の程を知れ、この薄汚いメスブタがァ!」
それはもはや怒号であった。
このクラスのガーダー相手に正面きっての突入は不可能に近い。カウンターのいい的なのだ。クルミの援護が間に合っていなければ、朱塔とてこの部屋に侵入できていなかっただろう。
「この責任は黒い鷲にこそある! おまえは、いや、澤本などというコミュニティは、しょせん隔離地域のゴキブリにすぎなかったということだ! 恥さらしどもが! 必ず、黒い鷲もろとも残らず駆除してくれるぞ!」
クルミはこの怒声を隙と考え、扉からエントリーしてきた。
「ハンス! 待ちなさい!」
朱塔の注意は遅すぎた。
鞭で天井からぶら下がった本条は、腕力で天井に向かって跳ねると、天井を蹴ってクルミに向かって跳び、その体を殴り潰していた。
ちょうど、クルミの腹部の上に拳で逆立ちする形となった本条は、そのまま顔の上に立ちあがり、地に向けて体重を勢いよく下ろした。
「いうっ!」
声にならない声をあげるクルミ。
「本条さん! よしなさい!」
「あんたが同次郎だよね? 同次郎って、たしか、
「……ええ、そうです」
「そう。まあ、どれでもいいけどね。君のバックにいるディプロクラスの正体はもうわかってるよ。君を抹殺してクリサリスの世話が終わったら、次はそいつを粛清するから」
クルミの頭の上に危うげもなく乗ったまま、本条は淡々と会話をしていた。
「ムツ! やめろ!」
飛び出そうとする鉄ヶ山の体を朱塔が引き戻す。
「あなたこそ頭を冷やしなさい! 一人で立ち向かえる相手ですか!」
風をきる音が朱塔の耳に届いたとき、朱塔の体は本条によって壁に叩きつけられていた。
「なれなれしいよ、君。ボクたちの喧嘩なんだ。余計な口はさまないでくれるかな?」
そう朱塔に言いながらも、後ろから狙う銃口に向かって鞭を放ち、本条は冷たい仮面をクルミに向ける。
「そこから撃つと味方にも当たるって、わからないのかな? 素人の分際で高度な武器を取るからそうなるんだよ」
引き金をひけないままクルミの腕が止まる。
決定的な差がある。この差は、経験の差からくるものではない。格が違う、という表現も間違いだ。本条は誰とも違う。
本条のそれは鉄ヶ山に近い、と言えば想像しやすいかもしれない。つまり、本条の戦闘理念もまた、『敢死必倒』なのだ。
死の縁をわざわざ土俵に選ぶ者の戦い方など、力関係の強弱から一線を画していて当然である。これを決定的な差と呼ばずになんと呼ぶのだ。
「朱塔、どうせ君のせいなんだろう? シンは裏切るようなヤツじゃない。君がたぶらかしたんだ。シンは重要な任務で隊を離れていただけなんだ。シンは裏切ってない。そうに決まってる。だから、君だ。君が悪い」
「違う! ムツ! オレは!」
鞭の柄が鉄ヶ山の首を打つ。頚動脈が反射を起こして、鉄ヶ山の体が崩れた。
鉄ヶ山、朱塔、クルミの三人をして、手玉にとられている。こうなってはもうなりふりかまってはいられない。
朱塔が起き上がり、腕にとりつけられた装置・チャージャーに手をかける。ゲージアップだ。
この三人の中で、本条と同条件の者がいるとすれば、やはりそれは、同じスペシャルの朱塔だけなのだ。
「なにがスペシャル以上のスペシャルだ。勘違いしてないかい? 君は自分が正当な評価をされていないと思っているだろうが、逆だよ。君は目一杯過大評価されてその程度なのさ。みんな知ってるよ、君がプライドだけの雑魚だってね!」
チャージャーで埋まるような差ではない。第一世代の練度と最新プログラムの完成度。この融合こそ、新生ガーディアン計画が残された意義なのだ。
だったら、第一世代ではない朱塔だけでは勝てるわけもない。
ならばどうするか。答えは簡単だ。第一世代の錬度を加えてやればいい。
「いきますよ! 百戦鬼!」
本条が鉄ヶ山に視線を向けると、ブースターに手をかけた鉄ヶ山が見えた。
「クルミ!」
鉄ヶ山の声にクルミが頷き、距離をとると、三人が本条を囲む形となった。
鉄ヶ山のブーストレベル2、朱塔のゲージアップ。この二つを混合しようというのである。
本音を言えば、鉄ヶ山は一人で戦いたいところだろう。しかし、それが許されないこともわかっていた。
「シンの足元にも及ばないくせしやがって、シンの横に立つなァ!」
再び本条の怒号。これが合図だった。
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