其は微笑みの代価

千代田 定男

ビギニング

 そこには紫の花が一面に咲いていた。

 美しい紫がひしめく中を一人の少女が歩いている。どこを見ても咲いているその花が、彼女は好きだった。


 開けた場所に唯一ある物の前に、軽い足取りをおさえて近づく。そこにある物とは、なんでもない、ただの汚れた石碑だ。

 石碑に何が書かれているのかはわからない。簡素な上に、誰も掃除したりしないのだ。

 誰かがここに来ることもない。少なくとも、誰かが来ているのを、彼女は一度も見たことがなかった。

 いや、どうやら、彼女以外にもう一人はいるらしいことを彼女は知っていた。

 以前からときどき、この石碑に一輪だけ、そっと花が添えられているのを見ていたからだ。

 その誰かが供えているのも、ここにある名前の知らない紫の花だ。


 今日もその人が来ていたようだ。


 少女は、黒い髪をかきあげて、石碑に置かれた花を覗き込む。

 よく見ると、花からは、いつものものとは違う気配がしていた。

 置かれ方なのか、摘まれ方なのか。

 とにかく何かが違っている。

 もしかしたら、いつもとは違う誰かなのかもしれないと思った。

 少女は、なにか優しい、暖かみのある、しかし、どこか悲しい表情を浮かべる。


 少女の紫がかった瞳に映る紫の花。名前の知らない花。

 辺りを見回すが、やはり誰もいない。

 彼女は悪いと思いながらも、少しだけ花を摘んで帰ることにした。

 どこかで見たことがあるようで、懐かしいような、寂しいような……嬉しくなるようで、悲しくなるような、そんな花を、彼女は愛していたのだ。


 黒い髪が風に舞って、空の青に一筋、彼女の思いを挿し込んだ。

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