第85話 ガイオンの実家
「歯ぁ食いしばれぇぇぇ!」
「父ちゃん、まず落ち着けって! 待て待て!」
「ふんぬっ!」
登場するなりなぜか怒りに満ちているお父さんは、ガシッとガイオンの袖をつかんだかと思うと肩越しに担いで玄関に向かって投げ飛ばした。ガイオンの巨体がきれいな放物線を描きながら、私を通り越して外へと吹っ飛んでいく。
「わぁぁぁぁぁ!」
ドシーンッと盛大に地面に転がるガイオンが呻き声をあげた。
自分よりも体の大きな息子を軽々と投げ飛ばしたお父さんは、腕を組んで外に転がるガイオンを見下ろすと鬼のような顔で言う。
「タダでこの家の敷居をまたげるとおもうな、バカ息子」
「相変わらず無茶苦茶だなぁ」
ガイオンが痛そうに腰をさすりながら父親を見上げた。
一度、ダイバーシティで本気のガイオンと戦ったことがある私は、ガイオンがどれだけ強いか知っている。そのガイオンを軽々と投げ飛ばしてしまうなんて、このお父さんも相当強い。
てっきり久しぶりの再会で歓迎を受けると思っていたが、どうやらそうではないらしい。想像と違う成り行きに顔を引きつらせた私は、背後に怒りの炎が見えそうな父親を前に、これからどうするべきか即座に結論を出した。
やはりここは一度出直してくるべきだ。
一刻も早く立ち去ろう。
そう思ったのもつかの間。
恐ろしい顔で仁王立ちしているお父さんがギロリと私を見た。
絶体絶命。
瞬時に全身鳥肌になった私は、蛇に睨まれた蛙のように「ぎひっ」と変な声を出して固まった。
お、怒られる。
「お見苦しい所を見せて申し訳ないね、可愛いお嬢さんに青年たち。ガイオンのお友達かな? きっとバカ息子が沢山迷惑をかけただろう。さ、良かったらお茶でも飲んでいきなさい」
「はひぃ! ごめんなさ……え?」
てっきりガイオンに落とされた雷がこっちにも落ちると思ったが、ついさっきまで怒りに満ちていたお父さんがコロッと一変。今度はにこやかに笑顔を浮かべて私たちを歓迎した。
「わ……私たちは良いの?」
私はすぐそこに転がっているガイオンに視線を移す。
しかし、外に投げ飛ばした息子には目もくれず、お父さんは「いいからいいから」と言って私たちの背中を押して中へ招き入れた。
ガ、ガイオン。
確かにちょっと変わってるお父さんみたいだけど…こういう時はどうしたら良いの?
助けを求めるようにガイオンを見るが、頭をポリポリかいて私と同じように困った顔をしている。これは当てにならなそうだ。
半ば強引に家の中に入った私が、ガイオンのフォローをすべく勇気を振り絞って声をかけようとした時、再び怪獣のような大きな声がとどろいた。
「お前さん!」
爆音で鼓膜がビリビリ震え、咄嗟に耳を押さえる。
今度はなに⁉
「まぁた大騒ぎして、今度は一体何をやらかしたんだい⁉ ……あら? お客さん?」
奥からフライパンを持ってあらわれたのは一人の女性。ガイオンとよく似た意志の強そうな目は、聞かなくても彼女がガイオンの母親だということを物語っていた。
そしてお母さんが外にいる自分の息子を見て、驚きの声を上げる。
「あらっ! ガイオン、帰ってきたのかい? まったく、帰ってくるなら連絡くらいよこしなさい。それにしても、何でそんなところで転がって……まさか」
お母さんにギロリと睨まれたお父さんが、ギクッと体をこわばらせた。
「あんた! まぁた自分の息子を投げ飛ばしたのかい⁉︎ バカなことをして。こうやってあんたが厳しすぎるから息子たちが家に近寄らないんだよ。……ほらガイオン。父ちゃんのことは気にしなくていいから入っておいで」
「母ちゃん……」
お父さんは「このくらいでへこたれてどうする」とつぶやき、ガイオンはお母さんの優しい言葉に安心のため息をついた。私の横にいるユーリとサミュエルもホッとした顔をしている。
どうなるかと思ったけど、ひとまず丸く収まったようで良かった。
「ひぇー、参ったぜ。帰ってきて早々父ちゃんの背負い投げとは。相変わらず無茶苦茶だな」
腰をさすりながら入ってくるガイオンに「大丈夫?」と聞くと、苦笑いが返ってきた。せっかく久しぶりに帰ってきたと言うのに、この歓迎の仕方はちょっと気の毒だよ。
かわいそうになった私は、そっとガイオンの腰をさすって慰める。
……それにしても、何でお父さんはあんなに怒っていたんだろう。
「ところでガイオン。あんたなんで突然帰ってきたんだい?」
「ああ、それなんだけどな。ポルテに用事ができたんだ。このシエラの杖を作ってやるんだ」
ガイオンの大きな手が、ポンと私の頭に乗せられた。
「ポルテ?」
私は新しく出てきたポルテという言葉に首をかしげると、ガイオンが説明してくれた。
どうやらポルテとは、イルカーダにある小さな村らしい。私たちはそのポルテに行って、杖の材料となる木を調達してこなくてはならないようだ。
ここまで静かに説明を聞いていたガイオンのお母さんが、目を細めて優しく笑った。
「そうかいそうかい、このかわいい魔女のお嬢さんの杖ね。ポルテに行けばきっと良い杖ができるよ」
「本当?」
「ああ、本当だよ」
お母さんのお墨付きをもらった私は、嬉しくなって満面の笑みを返した。
厳しいお父さんとは違い、お母さんはとても優しい人のようだ。ガイオンはもしかしたら、顔だけじゃなく性格もお母さん似なのかもしれない。
私は二人を交互に見比べて、よく似た顔に「ふふふ」と小さく笑った。
「何笑ってるんだよ、シエラ」
「なんでもない」
一人で笑っている私を、変に思ったユーリが聞いてくる。
それから、沢山の棚と小物が並ぶ生活感のある茶の間に通された私たちは、お母さんが出してくれたお茶とお菓子で一息ついた。
のだが……。
ここで私は世界の広さを思い知る。
「おぉぉぉぉ! 美味しい!」
「出たな、シエラの『おぉぉぉ美味しい』」
ユーリが茶化してきたが、そんなことはどうでもよい。なぜならばこのお菓子、今まで食べたお菓子の中で一番美味しいからだ!
マルベリーマッシュルームのように、程よい甘さと後から追ってくるほろ苦い味。そして甘酸っぱい乳白色のムース。それがスポンジ生地にしみ込んだシロップと合わさって、言葉通り頬っぺたが落ちそうなほど美味しい。
「こんなものがこの世に存在していたなんて!」
目を輝かせる私に、ガイオンのお母さんが教えてくれた。
「はっはっは、気に言ってくれて良かったよ。これはね、古くからこの地方に伝わるティラミスっていうスイーツだ。原料は色々変わってるみたいだけどね」
「ほうあんあ」
「おいシエラ、口の中に放り込み過ぎだ」
呆れるサミュエルの前でお母さんが豪快に笑った時、私は密かに良いことをひらめいた。
……そうだ、今度サミュエルにティラミスを作ってもらおう!
斜め向かいでティラミスを食べているサミュエルが、私のぎらつく視線を感じて片方の眉毛を上げた。
「ところでガイオン、仕事の方は順調なのかい?」
「ブーッ!」
お母さんが何気ない質問を投げかけると、お茶を噴き出したガイオンが目を泳がせた。それを見たお母さんのおでこにシワがよる。
「あー……それなんだが……」
ガイオンが言いづらそうに言葉を続ける。
「つい最近辞めてきた。だから今は無職だ、無職」
開き直ったガイオンがガハハと笑うと、お母さんに怒られて大人しくしていたお父さんが再び烈火の如く怒りだした。
「ぬわぁぁぁんだとぉぉ⁉ お前、必死に母さんが止めるのを振り切って『世界で一番強くなるにはエルディグタールに行くしかない』とか大見え切って出て行ったくせに、辞め、辞め……辞めただと……⁉」
怒りで震えるお父さんの言葉が途切れる。
まずい。
これはまたひと騒動ありそうだ……!
私の予感が的中し、お父さんは噴火した山の如く立ち上がると、ガイオンの襟首を掴んでそのままどこかへ引きずって行った。
「お前がそんな
「勘弁してくれよ父ちゃん、俺3日も馬車で移動してきたんだぜ? せめて明日に……」
「やかましい!」
あっという間に姿を消したガイオンとお父さんに、私とユーリが呆気にとられてポカンと口をあける。
「ど、どうしよう、ガイオンが連れていかれちゃった」
……お母さん、ここはもう一度「あんた!」を発動するところだよ!
私は助けを求めるようにお母さんを見るが、なぜかお母さんは涼しい顔でお茶をすすっている。
どうした、お母さん?
「大丈夫だよシエラちゃん。二人が向かったのは道場だから、ちょっと稽古をするだけさ」
いつも通りだとでも言うように、お母さんがにっこりと笑った。さっき旦那を止めた時と様子が違う気がする。
これを似たもの夫婦と言うのだろうか。優しいお母さんだと思っていたのだが、どうやら厳しい一面も持っているらしい。
嫌な予感がした私は、念のために確認してみる。
「もしかして、魔法を使ったりしないですよね」
「もちろん、魔法なんか使わないさ」
「よ、良かった」
その言葉に、私はホッと胸をなでおろした。
ガイオンはジュダムーアに魔石を生前贈与している。その事実を知っているのは私だけ。万が一魔法を使うようなことがあれば、いくらシエラブルーの遺伝子を持っていたって体に無理がかかるかもしれない。現にアイザックだって、私が側にいる時しか大きな魔法は使えないのだ。
でも、魔法を使わないなら大丈夫か。
安心した私がお茶を一口すすったとき、お母さんが再び口を開いた。
「体を強化する程度の魔法はいつも使ってるけどね。あれがなきゃ、お腹に穴があいちまうから。ま、親の私が言うのもなんだけど、ガイオンはまあまあ魔力を持ってるから心配はいらないよ、はっはっは!」
「えぇっ⁉ そんな!」
私の中で、それは「ちょっと稽古をするだけ」とは言わない。
まずいよお母さん、今は前と状況が違うんだから!
どうしよう、このままじゃガイオンのお腹に穴が開いちゃう……。
血だらけのガイオンとそれを見て青ざめる両親を想像した私は、大惨事を予感して立ち上がった。
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