第8話 女神イヴァ


-イヴァリア歴15年6月18日-


1人の女性が、アルスト城の中庭に続く通路を歩いていた。


聖女と呼ばれていた彼女は、綺麗なその体のラインが分かる少しタイトな黒い修道服に身を包み、ブロンドの髪を美しくなびかせながら優雅に歩いていた。すれ違う者は皆、彼女のその妖艶な瞳に心を奪われている。


「ああ・・・メリア様・・・本日もお美しい・・・。」


「とても2児の母親とは思えませんなぁ。」


うっとりとした表情で彼女を見ているメイドや王の側近たちを、微笑みながら横目で流し中庭へと入っていった。


中庭を歩いて行くと、ガゼボ(西洋風あずまや)にあるベンチに腰を下ろし、草花をボーっと眺めている女性が見えた。


鮮やかなネイビーのドレスに身を包み、顔立ちが整った美しいその女性は、とてももうすぐ30になるとは思えぬ若々しさがあった。


金色の長い髪を風に揺らしながら、悲しげに中庭を見ているその瞳は、どこにも焦点を合わせていないように思えた。


ガゼボにメリアが近づくと、入口に立っていた女性の付き人がお辞儀をし、後ろに下がって入り口を開けた。


カツカツという石畳を歩く音が聞こえた女性がガゼボの入口の方に顔を向けた。


「あら。来ていたのねメリル。久しぶりね。」


「はい。王女殿下お久しぶりでございます。」


「堅苦しい言葉遣いはいらないわ。座って、今日はどうしたの?」


「相変わらずね。シエナ。」


先程の様子とは打って変わり、おっとりとした目を細めメリアがふっと笑うと、シエナの隣に腰を下ろした。


「長男が洗礼で神国騎士に入ることになったから、その挨拶に来たのよ。」


「ええ!ユウマの事!?もう12歳になったの!?」


「そうなのよ。ふふふ。早いも・・・のね・・・。」


「驚いたぁ。」


目を丸くして驚いているシエナを見て、クスクス笑っていたメリルの目が妖艶に変わり、口がニタァっと開いた。


「そうでしょうぉ?でも、あなたの若々しい美しさの方にわたしはいつも驚くわぁ。」


「やっと、本来の口調になったわね・・・・イヴァ。」


シエナがキッと彼女を睨んだ。


「あら?いつから気づいてたのぉ?」


「最初からよ。メリルはそんな線の出る服を着ないわ。」


「あらあら。さすがねぇ。そうなのよ。この子地味でねぇ。」


「今日は何しに来たのよ。」


「そんなに毛嫌いしなくてもぉ。」


「あなた・・・どれ位の頻度でメリルに憑依してるの?」


「憑依とは失礼な言い方ねぇ。女神の降臨って言ってほしいわぁ。」


「私は頻度を聞いたのですよ!?」


「あらぁ。」


話が噛みあわない彼女とのやり取りが嫌いだったシエナは苛立っていた。


「まぁ・・そんなに頻繁ではないわよぉ・・これ疲れちゃうし。」


「それなのにわざわざ私を揶揄いに来たの?」


「そんな訳ないでしょ。うふふ。あなたを見かけたから寄ったのよぉ。それにちゃんとルアンドロに用事があったわよぉ。ユウタの伝言もあったし。」


「何よ・・それは。」


さらに視線を強めるシエナを彼女は横目で流し、ニヤァっと不気味な笑顔を浮かべた。



****



「おお!!メリル、久しいな。ユウタは息災か?」


王の間で一通りの礼儀を交わした後、彼女は立ち上がり微笑んだ。


「ええ。息災ですわよぉ。ルアンドロ。」


第13代アルスト王である、ルアンドロは先の大戦後に国の名前を「神国 イヴァリア」とした改名したが、国の統治はそのまま『イヴァ』の意向でルアンドロが担う事になっていた。


しかし、ルアンドロは王位の上に『神位』という位を設けた。その事により、年に数度降臨する『女神 イヴァ』の『お告げ』がこの国では絶対的なものになってしまっていた。


「おお!!イヴァ様でございましたか。」


「ええ。久しぶりにこの体を借りたのよぉ。この方が話やすいし。」


「これはこれは。皆、下がれ!!」


人払いしたルアンドロは、王の座を降りると膝を着き頭を垂れた。先の大戦で軍の指揮を執り、勇ましく戦場を駆けた男とは思えぬほど、肥満体系になったルアンドロは屈んでいる格好が辛いのか「ふぅ・・ふぅ・・・。」と苦しそうに息をしていた。


「あははは。ラクにしていいわよぉ。」


「はっ。」


ルアンドロは立ち上がる。


「今日はねぇ。2つ用件があったの。1つはこの体の子を神国騎士にしたから、大事に扱ってねぇって事。ユウタも「丁重に扱え。」って言ってたわぁ。」


「はっ。御心のままに。」


「それとね。こっちの方が大事なんだけど、神殿にある『女神の心』をね。もっと大きい・・・そうねぇ、今より3倍は大きいものにして欲しいのよぉ。」


「3倍・・・でありますか・・・?」


ルアンドロは焦った。今ですらイヴァリアにある水晶は、アリエナやグラティアにあるものより大きい直径60cm位あるものだった。その水晶の原石を見つけた時ですら「女神の奇跡」と言われていたのだが、その3倍となると、この地に存在してあるのかすら疑わしいものであった。


その様子を見ていた彼女が笑みを浮かべて、ルアンドロの頬を両手で包むと彼は天に昇ったような恍惚な表情を浮かべた。


「頼んだわよぉ?」


「はい!!必ず。女神イヴァの御心のままに。」


「いい子ねぇ。あと、この事はシエナには内緒よぉ?」


「はい!」


ツーっと、ルアンドロの顎を指でなぞった彼女は王の間を去って行った。


ルアンドロはその後しばらく恍惚の表情のまま突っ立っていた。


****


ニヤァっと不気味な笑顔を浮かべた彼女がベンチから立ち上がる。


「教えるわけないじゃないのぉ。」


「くっ!待ちなさい!!」


シエナはガゼボを去ろうとする彼女の肩を掴んだ。


「あれ???シエナ????」


しかし振り向いた彼女の目は、おっとりとしたものに変化していた。


「く・・・・メリル。」


シエナは『イヴァ』が消えた事に気づくと、メリルの肩から手を離し悔しそうに両手を握りしめた。


「あれ?ここ中庭のガゼボ??」


キョトンとした顔で首を傾げたメリルを見て、シエナはため息を吐いた。


「はぁ・・。そうよ。メリル、ここはアルスト城の中庭よ。あなた『イヴァ』に乗っ取られていたの。」


「まぁ。『イヴァ様』に御降臨いただいてたのですね!?」


シエナは嬉しそうに両手を合わせ、うっとりとした表情を見せたメリルに今度は苛立った。


「あなた!!!体を自由に扱われてたのよ!何とも思わないの!?」


「わたしは『女神イヴァ』の御心に沿う事を誓ったのですよ??御降臨いただいたことはこの上ない喜びですわ。」


「くっ。もういいわ。」


そう言うと、シエナは俯いたままガゼボを後にした。


「シエナ・・・。どうして分かってくれないのでしょう・・。」


残されたメリルは心配そうな瞳で、シエナが去った方を見つめていた。



****


シエナは幼少の頃から、人の本質を見抜く直感を持っていた。


『顔は笑っていながらも、心では別の事を思っている。』


『味方のように見えて、陰で裏切っている。』


そういう事が直感で分かってしまうため、シエナはあまり人を信用する事が無かった。


そしてシエナが12歳の時、16歳だった聖女メリルの祈りに応じるように姿を現わした『イヴァ』を目にした瞬間にシエナは思った。


『女神???ダメ・・・この人・・・絶対に信用できない。』と。


一緒にその場にいた人々は女神の再降臨だと喜んでいた。しかし肉体ではない精神体・波動体・・・何と表現すれば分からなかったが、自分の目の前にいるその女性は危険だと、シエナの直感はそう警鐘を鳴らしていたが


「ああ・・・美しい・・・。」


妖艶な瞳、スッと高い鼻に少し厚い唇を軽く緩ませて、膝まである髪をなびかせながら、両手を広げて降臨してくる彼女の美しさにシエナ以外の人々は見惚れてしまっていた。


降臨した『イヴァ』の虜になってしまった父親であるルアンドロや母親、兄弟姉妹、王族の者達にシエナは彼女の危険性を訴えたが、彼らは耳を傾ける事はなく、逆に信仰心が薄いと思われてしまった彼女は孤立していくのだった。


そして、末っ子である彼女を大変可愛がっていたルアンドロは、彼女の言動に困り果て、悩んだ末にシエナを彼女の自室と隣接する中庭以外、出入りする事を禁じた。


稀に体裁のため、王の間に呼ばれる事はあるものの、シエナはいわゆる籠の中の鳥となってしまったのだった。

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