第18話 遅れてきた応援
顔の赤みが引くのを待たずにルハナはその場を一旦後にした。組合宛ての
拠点としていた広場は所々地面が黒く焼けていたり、抉られている以外は平穏を取り戻していた。ケラも回収できる物を持って組合まで引き上げたのだろう。解体用の机や受験者から受け取ったモンスターの素材を保管していた箱の破片が無くなっている。
ルハナは
ルハナは鞄からモンスター除けの香を全て取り出した。様々な薬草が入っている小さな袋を一つ一つ解いて、中を改めていく。すると三つ目のモンスター除けの香の袋から、更に小さな小袋が出てきた。それは薬品か何かで麻の袋を塗り固めてあるらしく、手では解けない。ルハナは鞄に入っていた小刀で小袋を裂いた。パンパンに詰め込まれていた中の薬草が裂け目から出てくるのと同時に独特な香りが鼻腔を抜ける。
モンスター寄せの香である。
やはり、とルハナは思う。今回焚かれた香はケラが持参していたものと、ルハナが組合から借りていた備品に含まれていたもののみの筈なのだ。そして中級以上の狩人であれば、モンスター除けの香程度は自作する。几帳面なケラであれば、それはほぼ間違いないだろう。つまり、モンスター寄せの香が混入する確率が一番高いのは、ルハナが借りた備品ということになる。
ルハナは事態を報せる為に手早く組合に文をしたため、町の方へと飛ばした。その表情の険しさから、ドラゴンを倒した今でも彼が油断していないことが窺える。
***
状況がきな臭いと判断したルハナは、取り敢えずスバキの元に引き返すことにした。情報が欲しいのだが、恐らく彼が組合に直接向かうよりスバキの元に来る増援に聞く方が速いと判断したからである。少なくとも常時であれば、既に到着していておかしくない時頃である。
来た道を戻り森を再び抜け、平地に転がる雌のドラゴンの亡骸の上で足を伸ばして腰掛けているスバキの姿を確認できるくらいのところまで近づくと、別の方向からそこに向かっている三頭の馬が見えた。少し遅いようだが、彼らがきっと応援の狩人達だろう。
遠くからでもそのうち一頭に騎乗している一人の男に見覚えがあり、ルハナは腰の大剣を抜き頭上で大きく振る。日の光を鈍く反射するそれは馬で駆けてきた三人の注意を簡単に引いた。スバキに向かっていた三頭の馬はルハナの方へと進行方向を変える。
近づいてきたところで先頭の馬に乗っている男が誰なのかはっきり見えたルハナは口角を上げる。
「ジガ!」
敬称なしでその人物の名を呼ぶルハナの様子は実に親しげである。ジガと呼ばれた男も馬から飛び降り、ルハナに笑顔を返す。
「ルハナ! お前、無事だったのか」
ルハナほどの背丈で、猫っ毛の黒髪を片手で掻き上げる男。腰にはルハナ同様長い剣を差しており、鮮やかな赤の装備はドラゴンの皮で誂えた上物。二級狩人、ジガ・ロージャである。年こそはルハナより十近く年上だがホーネット帝国軍時代からの仲間である。
二人はいつものように肩をぶつけ合い、片腕を互いの首の後ろに回す様に固い抱擁を交わす。その力強さからルハナが大した怪我を負っていないことがジガに伝わる。
ジガは雄のドラゴンの死骸、次いで雌のドラゴンの亡骸の上に座っているスバキの方を一瞥してからルハナに尋ねる。彼の緑の瞳に宿るのは驚きか興味の色か。
「お前の報告では紅のドラゴン一頭との事だったが、番だったのか。下級狩人六人相手の試験官の依頼をこなしている最中だと聞いてたが……どちらも討伐できたという事は運よく蒼魔導が使える中級狩人と合流できたのか?」
恐らくドラゴンが番であったが無事討伐でき、解体班の派遣を頼む
ルハナはスバキの方を見やると、彼女は手持ち無沙汰なのか横たわっているドラゴンの腹に乗ったまま伸ばした足を揺らしている。声は聞こえないくらい離れているが、ルハナ達の視線に気付いた彼女はひらひらと片手を振る。それでも会話に参加するつもりはないのか、全く動く気配はない。 ルハナとしてもその方が都合が良い。スバキの方を顎で示しながらジガに声を掛ける。
「ジガ。実はドラゴンを倒せたのは彼女のおかげなんだ。受験者の一人のスバキ殿だ。現在は九級狩人だが、実力は間違いなく上級に匹敵する。囮役を引き受けてくれたから私は雄のドラゴンの首を落とせた。雌の方に至っては完全に彼女の手柄だ」
ジガは改めてスバキの方に目線を巡らす。見開かれたその瞳は間違いなく興味で輝いている。
「へえ。お前がそんな手放しに誉めるなんて相当強い娘じゃないか……どれ。これは一つ挨拶と行こうか」
ジガはスバキの方へと足を向け、馬を走らせて乱れた濡れ羽色の髪を両手で撫でつけ整える。後ろからついてくるルハナは溜め息交じりに彼の行動を軽く注意する。
「ジガ。女性とあらばやたらめったら口説くのは、お前の悪い癖だ」
気心知れたルハナとジガではあるが、女性に対する接し方は真逆である。短めの亜麻色の髪に透き通るような青目のルハナと、やや伸びた黒い猫っ毛に垂れ気味の緑の瞳を持つジガは、系統こそ異なるもののどちらも整った容姿である。だが表情乏しくどこか近寄りがたいルハナはその寒空のような瞳の雰囲気と違わず、必要以上他人とは関わらない。対してジガは人当たりが良く、どこか軟派な印象を人に与える。特に女性相手には、息をするように甘い台詞を吐く。ジガはその彼の信念通りに豪語する。
「ルハナお前、女性を前にして口説かないのは騎士として失格だぞ」
「帝国軍の騎士の心得には女子供には優しくあれとは書かれているが、口説くべきなどとは書かれていない」
「その一環だよ、一環。口説くのは」
「ならばお前は子供相手でも口説くのか?」
「見込みがありそうな娘なら予約ぐらいはするかな」
歩きながら真剣な表情で言ってのけるジガに、ルハナは呆れて言葉が出ない。お互いに剣士としての腕を認めているが、こと女性の扱いに関してはどこまでも平行線を辿る二人である。
ルハナとジガが無駄口を叩きながら歩いていると組合からの返事が来たらしく、馬に乗っている狩人の一人が離れてしまったジガを声を張り上げて呼び止める。
「ジガさん! 組合から指示が来ました! 紅のドラゴンが討伐できているようなら北の山脈を目指すようにとのことです!」
その言葉でルハナは確信を得た。今回の事態は人為的なものである上、恐らく被害が出たのはここだけではないのだろう。だからこそ、増援が来るのもいつもより遅かったのだ。
応と返事をするジガにルハナは静かに語り掛ける。スバキからも援軍の二人からも聞き取れないであろう小声で。
「ジガ。組合に援軍要請の
同じような小声でジガが返す。
「俺が組合を出た時点で十六通。殆んどが大型モンスターの予期せぬ出現。何個かは中型モンスターの群れとの遭遇。約半数は町の北側からだった」
笑顔を維持しているものの、どこか引き締まった様子であるジガ。まさか先程まで女性を口説こうと意気込んでいたとは誰も思うまい。
ルハナは北の山脈を見やる。スバキの証言と今朝方見た依頼の張り紙から考えてもドラゴンは山脈から来たのだろう。集中している応援要請と合わせて考えれば北の山で何かが起きていると推察するのは自然な流れだ。
「
ルハナの質問にジガは緑の目を怪訝そうに細める。
「狩人の階級? なんでそんなもん気にするんだ?」
「私が組合から借りていた中級狩人向けの用具一式に入っていたモンスター除けの香の一部に、モンスター寄せの香の小袋を忍ばせてあるものが紛れ込んでいた。ご丁寧に加工されて。恐らく火にくべてから暫くしないと、燃え出さないようになっていた」
懐に仕舞っていた裂けたモンスター寄せの小袋を取り出し、そっとジガに見せる。彼はちらりとそれを見てから顎に手を添え考え込む。
「言われて見れば
「一応私から既に報せてある。香の回収は組合が動いてくれるだろう。問題は……」
「誰がこれらを忍ばせたのか、ということか……」
話の本筋が見えたジガはルハナの考えを代わりに述べる。悪徳な香を狩人組合の備品に紛れ込ませられる人物だけでは犯人は特定し辛い。組合の職員、或いは狩人であれば備品が管理されている倉庫にいても怪しまれないだろう。ましてや中級狩人用の装備一式などそう貴重なものでもないので、厳重に管理されていない。それでもいたずらに備品を壊したりしないのは、狩人にとってそれらに命を預ける事になるからだ。
それ故今回の香の混入にはいたずらなどではなく、悪質な意図を感じる。それこそ陰謀と呼ぶに相応しい程の黒い思惑。探し人であるマンティス王国の魔導士も一枚噛んでいるかもしれないとルハナは考える。
因みにと、ジガは更に声を落とす。
「目をつけていた魔導師のうち五人の所在が掴めていない」
流石はジガ、仕事が早いとルハナは内心舌を巻く。ジガはルハナと同じく元はホーネット帝国の騎士であり、件のマンティス王国の魔導師が関与している計画を阻止する為にローカスト国にルハナよりも一年前から潜伏している心強い同志である。ルハナも彼の事は騎士の頃から兄のように慕っており、ホッパーで再会を果たし同じ目的の為に共に行動できる事を心から喜んだ。
「例の計画が動き出したのか?」
「分からん」
ルハナの疑問にジガは溜め息と共に答える。兎も角とジガは普通の声量で言葉を続ける。
「俺らは届いた
「私は一旦町へ戻る。装備と馬を手配してからお前と合流する」
ホッパーの町から北の山々は馬の足で二時間と掛からない。人の足で直接向かうより馬を借りた方が遥かに速い。
ルハナ少し離れた場所にいる二人の狩人に目を向ける。馬に乗っている二人はそわそわとジガの話が終わるのを待っている。
「引き留めて悪かったな。ジガ達は早急に北の狩人達の救助に向かってくれ」
ルハナの後押しにジガも自分の後ろに待機していた狩人達を見る。悪い、待たせたなとジガは謝りながら駆け足で戻り、馬に跨ってルハナに尋ねる。
「ルハナお前、俺の場所分かるよな?」
大丈夫だとルハナは頷く。何せルハナとジガはお互い割符の片割れずつを肌身離さず持ち歩いており、相棒のおおよその位置が常に分かる。異国の地で二人きりの仲間ということもあり、身代わりの陣が刻まれている訳では無いが、ルハナにとってはある種のお守りと言って過言ではないのだ。
ジガもルハナに笑いながら頷き返すと、狩人二人を引き連れて北へと馬を走らせて行った。
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