第12話 ルハナ対雄のドラゴン

 森を抜けたルハナ達の目の前には草原が広がっていた。更に北に目を向ければ、モンスターが多く生息する山岳地帯が見えるが、ここからは馬で半日は掛かる距離だ。ドラコン二頭が暴れても充分対処できる、見晴らしの良い平坦な土地である。


 ルハナは走り続けながら腰の大剣を引き抜く。日の光が刀身に滑るように当たる様子を眺めながら、ルハナは自らの気を静め、ドラゴンを迎え撃つ最後の調整をスバキと話し合う。


「まずは二頭を引き離したい」

「了解。黒い方は騎士君が?」


 ルハナはしっかりと頷いた。


「増援が来るまで弱らせるつもりだ。無論、倒せると踏んだらそのまま押し切る。スバキ殿は雌のドラゴンの気をなるべく引き付けてもらえると助かる。くれぐれも、無理はしないように、頼む」


 はいはいとスバキは軽い調子で返す。


「逃げようとしたらどうする? 追う? 見逃す?」


 ルハナは少し黙り込んでから返事をした。


「ここで二頭とも仕留める」


 逃しなどしないという固い意志がその瞳の奥に燃えている。他の町や村が襲われるという被害を心配しての発言だろうが、スバキよりこの男の方がよっぽど信念を胸に死に急ぎそうな性格である。


「了解。余裕があれば、そっちも援護するから。赤茶の攻撃も騎士君にとばっちりいきそうになったら口笛で知らせるよ」


 二人は足を止めた。木々が途切れたところでドラゴン二頭は既に二人を追い越しており、ある程度の直線距離を取ったところで引き返してきた。そこから闘気みなぎる視線を二人に降り注ぎ、一息に急降下し、正面から突っ込んできた。雄が先頭を飛んでおり、その斜め後ろに雌が追随している。凄まじい飛行速度に加えて横の広がりがあり、避けるのに苦労しそうな陣形だ。おそらく地面すれすれの高さで滑空し、ルハナ達に体当たりする腹積もりだろう。或いはあの大きな口で丸呑みという事も有り得る。どちらにせよ生半可な防御や回避では大惨事は免れない。


 ルハナが手にしている剣は注ぎ込まれた魔力から再び光り出した。ドラゴンは二頭とも地上に立つ彼らと同じ視線の高さを飛行しており、風を切る巨体は轟音を立てながら猛烈な勢いでルハナ達に迫る。


 ルハナは両手に剣を握り直すと刀身を取り囲むように空中に煌々とした陣が浮かんだ。火の点いた導線で描かれたようなその文様は紅の高等魔導を発現させた証である。ものによっては発現だけで効果があるが、爆発的威力を発揮するものは、発動させる為に更に魔力を加える。ルハナが使っているこの技はどちらにも応用できる、紅の高等魔導の中でも一般的なものだ。


 ドラゴンの鼻先が十数秒後にはルハナ達に届くという時、スバキはドラゴン達に向かって走り出した。数歩走って勢いをつけたら、思いっ切り跳んだ。すぐさま武器である棒を前方の地面に突き立て、そのまま両腕で自重を持ち上げる様に脚を浮かせ、膝を折って体を努めて小さくした。


 次の瞬間、スバキは空を飛んでいた。


 初見ではルハナはスバキの武器から攻撃を放つ原理が分からなかったが、数回彼女が魔石を放るのを間近で観察し、彼女は武器に魔結晶に加え、魔宝石を幾つか仕込んでいるのではないかと推測していた。予め魔宝石に高等三大魔導の陣をいくつか刻み、素養が無くとも魔力を込めれば自動で発動させられるようにしておき、魔結晶で極限まで高めたスバキ自身の魔力を使う。或いは魔力を蓄積している媒体を用意したのか。そうすれば紅の高等魔導で球状の魔石を放ち、蒼の高等魔導で標的まで飛ばし、翠の高等魔導で手元まで戻すという一連の動きが可能なのである。


 今の棒先を使って自分の体を武器ごと飛ばす技は恐らく、紅の高等魔導の魔宝石の爆風の応用だろうとルハナは当たりをつけていた。そのような凝った武器を用意していたら、スバキが防御に回すだけお金が無かったのも納得がいく。


 ならば短期決戦が望ましいという事もルハナは頭の隅に留めた。どれほど予備の魔宝石を服に忍ばせているかは分からないが、魔力枯渇は恐らくルハナよりも深刻な問題だと予想された。何せ彼女が持っている白の魔力は、色付きのものと違い、個人の保有魔力量を増やしにくい。


 ドラゴン達は目の前で飛び上がったスバキの動きに一瞬気を取られた。彼女の動きを目で追い、低空飛行の軌道よりも上へと目線が浮き上がる。ルハナは自身から目線が外れたその隙を見逃さない。俊足の魔導が仕込まれているゲートルの力を借り、迫り来る雄のドラゴンの鼻面に大剣を叩き込んだ。


 肚の底まで伝わる衝撃音が響く。


 流石は高等魔導と言うべきか。大剣を振り抜いたルハナは一歩も後退せず、逆にドラゴンの巨体が弾かれ、体勢を大きく崩し、横転した。肩から地面と接触し、地面は抉られ土埃が弾かれた軌道に沿って舞い上がる。


 赤茶色の雌ドラゴンは番が弾かれるところまでは見届けていたが、ルハナに突進するべきか、避けるべきかと判断する暇は与えられなかった。宙を浮いていたスバキが赤茶色のドラゴンの背中に降り立ったのだ。着地と同時にスバキは球状の魔石で片方の翼を攻撃する。当然雌のドラゴンは負傷した翼の方へと姿勢が傾き、ルハナが二撃目の突進を避けるまでも、また、弾くまで無く、赤茶色のドラゴンは彼の横を通過して行った。


 雄が弾かれた方向とは逆に雌の軌道を逸らせたスバキの冷静な判断にルハナは感心する。狩人として日が浅くとも、彼女は思いの外戦い慣れているらしい。単に肝が据わっている可能性も否めないが。少なくとも彼女の器用さは強敵を前にしても発揮されている事だけは確かである。ルハナとしては雄のドラゴンに集中できる為、戦い易い。


 墜落した雄のドラゴンは四肢と翼を畳み込み、体を捩って立ち上がろうとしている。だがルハナは弾いてすぐに砂埃の中ドラゴンを追い、追撃の算段に入っていた。ドラゴンが体を起こしきる前に尾から背骨に沿って駆け上がる。あっという間に翼の付け根まで到達し、大剣を振り下ろす。


 紅の高等魔導を纏わせたルハナの剣は斬るというよりも抉る事に特化している。翠のドラゴン相手だとそれこそ一撃で片翼を千切る程の威力だ。しかし紅のドラゴン、しかも雌より格段に硬い鱗を持つ雄であるこの個体では、目に見えて傷は浅かった。それでも鱗が剥がれ、肉が擦れ、相当痛かったのかドラゴンも悲鳴のような鳴き声を上げる。背中に乗っているルハナをし潰すべく、地面を転がりだす。


 ルハナは巨躯の質量の暴力を回避するべく、胴体から離れ、ドラゴンの前方へと飛び降りる。真正面からドラゴンと向き直すと、敵意をたたえた瞳が睨み返している。先程の攻撃を受けた右の翼は左のもの程開いておらず、相当な痛手であった事を窺わせる。ルハナが意図した通り、これで空に逃げる事は難しいだろう。


 深手を負ったドラゴンは怒りに我を忘れたように猛攻を仕掛けてくる。牙で、爪で、尻尾で。容赦なくルハナを襲う。それらを躱し、流し、時には真正面から受けては反撃している。しかし紅の魔導同士ではルハナが予想していた通り、なかなか決定的な一打が繰り出せない。


 ドラゴンの方は攻撃が一向にあたらない状況に痺れを切らしたのか、物理的攻撃の手を休めずに、自身を中心に陣を発現させた。高等魔導を仕掛けるつもりらしい。それでもルハナは落ち着いた様子でドラゴンの一撃一撃に対処する。


 魔力が練られ、発動する瞬間が近づいている事が陣の強まる光から見て取れた。眩い程の光量に達しようとした時、ルハナは陣の外に逃れようと素早く後退する。


 だがドラゴンも獲物を逃すつもりなど無い。縦長の瞳孔が一瞬開いたと思うと、地面の陣がぶわりと倍以上の大きさに広がった。これでは後ろに跳んだルハナばかりではなく、雌のドラゴンと戦っているスバキまで巻き込まれてしまう。ドラゴンが魔力を帯びた一声を上げれば、大規模な爆発か炎かが二人を襲うだろう。


 しかしルハナはそれすらも予測していた。勢い良く後退していた彼は次の瞬間、後退った距離以上にドラゴンとの間を詰めた。疾駆の魔具を駆使し、鎌首を上げているドラゴンの前脚、肩、首を順に足場とし、跳躍する。


 一息でドラゴンと同じ目線となった。


 そして今まさに吠えて魔導を発動しようとしていたドラゴンの脳天に大剣が振り下ろす。硬い鱗に加えて強固な頭蓋骨を持っている雄のドラゴン相手では、この重い一撃でも鱗が僅かに捲れ、肉が少し切れる程度。だが魔導の発動を阻止し、発現を無効にするには充分な打撃を与えた。その証拠に地面に描かれていた陣が薄れていく。


 陣が完全に消滅する中、ルハナは戦いの活路を見出していた。ドラゴンが高等魔導を発現させれば、相応の魔力が消費される。更に魔力を込めさせ、発動一歩手前で妨害すれば、魔力を削る事が可能だ。ある程度弱体化させれば、ドラゴンの体を覆う防御の紅の魔力も薄まる。初等の蒼の魔導を纏わせたルハナの大剣で致命傷を与えられるほどに。


 思惑通り、雄のドラゴンは立て続けに高等魔導を発現させ、その度にルハナは発動を妨げた。二十六個めに出現させたやや小さめの陣が消された頃になって、雄のドラゴンに怒り以外の感情、焦りと呼ぶべきか、そういったものが初めて見られた。

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