part.6
[おかけになった電話番号は現在電源が入ってないか電波の届かないところに…]
「くそっ!」
今日、何度目か八神はこうやって電話をかけては切ってを繰り返していた。
蘭丸が自分の子供なのかそうではないのか、十七年前の真相を知っているのは元妻の桃香だけだと言うのに、もう一週間も桃香は電話に出なかった。
桃香は元々風変わりな女だった。身勝手で気ままで自由人。突発的で何を考えているか分からない夢見がちな女だ。
そんな蝶々のような女が自分の指に止まってくれた事が嬉しくて、若かった八神は彼女を結婚という虫籠に閉じ込めた。
だがある日、彼女は糸の切れた凧のように八神の前からいなくなった。離婚届を一枚テーブルの上に残して。
それから何年かして、ある日ふと彼女は八神の前に現れた。
まるで何も無かったように、結婚していたのが八神一人の夢だったのではないかと思うほど悪びれもせず「お久しぶりね」と彼女は笑った。
不思議と怒りも執着も八神の中からは消えていた。
その時だって子供の話など出なかったし、思い余って金を借りた時だって、子供の話など聞いたことはなかった。
秋山や他の人達は蘭丸が自分に良く似ているというけれど、八神に言わせれば性格は桃香にこそ良く似ていた。
今日も開店と同時に秋山の叫び声が理髪店に響いていた。
「ああ!蘭丸君止めて!そこは歯を磨くところじゃないから!」
蘭丸は用もないのに毎日のように理髪店にやって来る。
客がいるのもお構いなしに散髪台で歯を磨き、秋山が大切にしているハサミで牛乳の蓋を開けた。
「それっ!触るなよ!プレゼントの高いハサミなんだから!」
そしてあろう事か電話をかけに八神が店から出たわずかな隙に、ルナ・ロッサの棚に並ぶ高い酒をぐびぐび呑んでは酔っ払ってバーカウンターに突っ伏していた。
「ねえ、八神さんあれ何とかして下さい。アイツ僕のお説教なんか聞きゃしない!」
八神が戻ってくるなり、忙しさとイライラとで眦を吊り上げた秋山が、カウンターで酔い潰れていた蘭丸を横目で睨んだ。
八神は酒のボトルを握ったまま朦朧としている蘭丸の手から酒の瓶を取り上げた。
「おい、お前!良い加減にしねえか!まったく親の…」
顔が見てみたいとうっかり八神は言いかけて口を噤んだ。
「親ぁ?オヤオヤ!まぁまぁ!なぁにそれ?
俺はぁ、一人で生きてんの、そこら辺の脛齧りとは訳がちがうの、分かる?なぁのにぃ、いきなりクビだってよ!やってられっか!」
そう言ってくだを巻く蘭丸の目の前にいる男こそが自分をクビに追いやった男で、しかも自分の親父かも知れない奴だとは当の蘭丸は知る由もない。
「お前、何処に住んでるんだ」
「へへ…橋の下〜」
「本名は」
「…こたろ〜…」
「母ちゃんは…、いるんだろう?」
「母ちゃん?あ〜桃香ね…アレは母ちゃんと言うより『女』だな…。母親なんて柄じゃねえ」
「……じゃあ、親父は…」
「………知らねえ。
生まれた時から見た事がねえもん」
あの桃香にいったいどんな育てられ方をしたのだろうか。母親と彼女が俄には結びつかない。
もしも自分が親父ならこんな風に育ったのにも責任の一端くらいはある筈だ。
幼い蘭丸が何を思い何を考えてここまでどう育ったのかは分からない。だがそれを思うと自分の子供でないにしろ、八神の心の何処かが痛んだ。
八神は怒るに怒れなかった。
「…まったく、仕方ねえ…」
八神はむにゃむにゃとカウンターで寝こけた蘭丸を担ぎ上げると、秋山の目の前で二階へと上がろうとしていた。
「ちょっと!八神さん、まさか蘭丸君を上に寝かせるの?」
「ああ、だって仕方ねえだろう。こんな酔っ払い寒空に放り出すわけにいかねえし」
そう歯切れ悪く言う八神が信じられないとでも言いたげな顔で秋山は八神を睨んだ。
(もうっ、八神さんは甘すぎなんだよ!)
チョキチョキチョキチョキチョキチョキチョキチョキチョキ…
「ちょっと!先生何してんの!切り過ぎ!」
「あ…す、すみません!
秋山のイライラはピークに差し掛かっていた。店も終わり、アッシュも寝静まった午前三時。繁華街に秋山の叫び声が響き渡った。
「あぁ〜あ〜!!こんなのあり得ない!六畳一間に男三人の川の字なんておかしいよ!」
男二人でさえ狭かったと言うのに、真ん中で大の字になって寝ている蘭丸の両脇で、秋山と八神はこじんまりと横たわっていた。
そんな状況に秋山と言う山がとうとう耐え切れずに噴火したのだ。
「八神さんだって何でもっと強く言ってくれないんだよ!これじゃあまるで放任主義の父親じゃないか、こんなのもう耐えられないよ!僕、明日警察に行ってみる!未成年の家出人で届を出してくるから!」
いつになく興奮気味の秋山を八神が慌てて宥めた。
「ちょ、ちょっと待てよ!何もそこまで」
「するでしょう普通は!この状況の方がよっぽどおかしいんですよ!」
自分を挟んだ両脇で戦争が勃発しているのにも関わらず、蘭丸は呑気に高いびきだった。
「まぁまぁ、オレがこいつの職を奪っちまったんだし、ちょっとは責任感じてるんだ」
「未成年でホストクラブで働いてたんですよ?その時点で通報ものじゃあないですか!何を引け目を感じる事がありますか!」
「あと少し待ってくれ」
「だって…」
「こいつの母親に心当たりがあるんだよ!」
秋山はその一言で荒ぶる波が一瞬引いた。
「…え、…どう言う事…?」
「…桃香なんだよ」
桃香とは八神の元妻の名前だ。秋山に嫌な予感が走っていた。
「こいつは…、もしかしたら桃香とオレの子供かも知れねえんだ」
「え…だって、だってこんな大きい子…」
「オレと桃香が別れたのは十七年前だ。オレが二十三の時だ。あり得ない話じゃねえだろう?」
「桃香さんは…なんて?」
「連絡つかねえんだよ。ともかく、桃香と連絡つくまで待ってくれねえか」
秋山にとっても寝耳に水の話だった。
八神に子どもが…などと今の今まで考えてみたこともなかった。
いきなり突きつけられた言葉に秋山は言葉を失っていた。
浮気して出来た子供ならまだ恨み言の一つも言えたのに。
関係がない子供だと突き放すに突き放せないこの状況に、秋山の中では言葉には出来ないモヤモヤが渦巻いていた。
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