part.6

「このクソババアぁども!!親父の借金と秋山に何の関係がある!親父が借金こさえた頃は、あいつはほんの子供だった筈だ!それを仕送りまでさせておいてあんたら、ヒモよりまだひでぇや!」


トイレからバン!と扉を蹴倒して台所のろくでなしどもを黙らせてやりたい。

頭の中で何度もシュミレーションしては思い留まるを八神は悶々と繰り返していた。

行くのは簡単だが、その後の事を考える。自分は赤の他人だからどうとでもなるが、あの墓に親父さんが眠っている限りは秋山の親戚付き合いは終わらない。そう思うと、断腸の思いで踏みとどまった。

こんな所早くおさらばするに限る。

どすどすと廊下を踏みしめて八神は居間へと戻って来たが、状況は良くなっているどころか更に悪化していた。


「お前の、あの友達は何だチャラチャラと、この辺りじゃもう噂が立ってるぞ、律基がゴロツキと帰って来たって。田舎の連中は目敏いぞ?うん?」

「僕は言われても仕方ないが、彼の事を悪く言わないでくれ!

今は水商売だって足を洗っているんだ!」

「じゃあ何してるって言うんだ!」

「そ、それは…!」

「無職で失業保険貰ってましたが何か?ついでに言うと、家賃も払わず、こいつの家に居候してますが何か…」


ここに居ないはずの男の登場におじさんは面食らって、あわあわとした顔が妙に笑えた。

その時、玄関で大声で話す声がした。

女の声だった。


「ちょっと!八重ちゃん、あんたんとこもう来た?律基君が帰って来るの知ってるかい?それがウチの小僧がえらい目に遭わされてねえ、」

「しっ!しぃっ…!今来てるからっ」

「えっ?あらまっ、ヤダっ、ま、また来るわ」

ピシャっと玄関の閉まる音。


いくら声を落としたところで、今更「しいっ!」とか言わたところで丸聞こえだ。

八神が秋山の顔を見ると恐ろしいほど毅然とした表情が浮かんでいる。可愛くないと伯母が口走ったのも納得のその表情だった。


「そろそろ、僕らはお暇した方が良さそうだ。帰る前に仏壇に線香だけ上げさせてください」


そう言うと、澱みない足取りで奥の仏壇に歩いて行くと、線香を立てて手を合わせた。


「それじゃあ、皆さん良いお年を」


きちんと正座で挨拶をするとすっくと立ち上がり、「八神さん、お暇しましょう」と言って何事も無かったように実家を後にした。


外は今は雪が止んでいたが、まだまだ雪の気配は重い雲を垂れ込まさせていた。


「なあ、先生。あんなの気にすんなって言っても、そう簡単じゃねえよな」


車に乗り込むまでずっと秋山の顔には仮面が張り付いたままだ。

逆にそんな様子が八神は気にかかる。


「気になんてしてませんよ。昔からこんな調子ですから。むしろこれでも風当たりが弱くなった方ですよ」


帰省するのに浮かない顔をしていた理由が、今日この時はっきりと八神は理解できた。


「それより、嫌な思いをさせてしまって、すみません」

「連れて行きたくなかった理由がわかったぜ。すまんな、俺の方こそ無理言ったんだな」


暫く黙ったまま車はひと気の無い雪道を走っていた。

再び雪が舞い始めていた。昼間の小雪とは違うボタ雪が、これは積もるぞと言っていた。

ラジオからは小さな音量で紅白歌合戦が流れてくる。「もう、今年も終わるんですね」と秋山が微かに呟いた。

八神が秋山を気にして覗き込んだその顔には、赤信号に照らされた瞳から涙が盛り上がり、その頬をつとつとと濡らしている光景だった。

秋山は声もなく泣いていた。


咄嗟に八神の手が秋山を抱き寄せるように後ろに周り、その目を大きな手が覆った。


「八神さん、危ないです。前が見え無い!車が…!」

「来ねえよ、こんな道、誰も走ってねえ」


その通りだった。 さっきから車は一台も来なかった。青信号になり、また赤信号になり、暫く秋山は八神の肩に凭れて泣いた。


「すみません、もう大丈夫ですから」


秋山が顔を上げると、八神はようやく秋山の目から手を退けた。


「泣きたい時は俺がいる。忘れんな。

ほれ、鼻かめ」

「…すいません」


渡されたティシュボックスから数枚引き抜くと、思い切り鼻をかんでから再び雪道を走り出した。

全てを委ねても八神はきっと受け止めてくれる。そんな安心感を秋山は抱いていた。


「あの喫茶店の三人組、覚えてますか?さっきそいつの母親が来てたでしょう?あいつらが僕を馬鹿にするのも仕方ないんです。

父は…僕の同級生達の家からも金を借りていたんですから」


雪はさっきよりも激しく降っていた。ワイパーが忙しくスライドを繰り返し苦しげにいなないていた。

家の中にゴタゴタがあるのは何となく分かったが、よもやそれがこんな形で秋山を苦しめていたとは想像していなかった。


「…言葉もねぇな。親父さんの事を悪くは言いたかねえが、とんだ置き土産だ。故郷くにに帰りたくなかったろうに」

「あの時、もう少し僕に財力があったら、墓なんて違う所に立ててやりたかった。そしたらこんな場所に帰って来る理由もない。仏壇に父さんの遺影もなければ位牌も無かった。本当は悔しいです。でもそれをあの人達に言う立場に無いんですよ、僕は」


「金、返せてねえのか。別にお前が背負わなくたって良いんだぜ?」

「友達の家の借金は何とか秋山の家から借りて返せましたがそれは伯母達に回るはずの金からでしたから。恨まれても仕方ないです」

「そんな、お前…」


緩やかに山道を登り切った所でタイヤ付近から激しい衝撃音が聞こえ、ガガガガっ!と言う音と共に急ブレーキをかけたように車が止まった。

二人は不穏な顔を見合わせた。


「嘘だろう?!こんな事って…っ」


秋山が青ざめた。


「何だ!どうした?!」

「チェーンが…切れたみたいです」

「こんな山道でか!」


秋山は確認のため外へ出た。確かに左前のタイヤチェーンが切れていた。おまけに右前方のチェーンも怪しい有様だった。

車の中にいる時はそこまでとは思わなかった雪も、伸びるヘッドライトに照らされて一寸先も見えない状態だ。

真っ暗な山道に降る雪は、爆弾低気圧のもたらす雪が今や横殴りの吹雪に変わっていた。

このとき初めて天気予報の言っている事の重大性に二人が気がついたのである。

「遭難」の二文字が二人の脳裏に過ったのだった。










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