part.7
「もうホストなんて辞めませんか。貴方には向いていませんよ。ホストは狼の群れみたいなものでしょ?八神さん、そんなの貴方には似合わないと思います」
器用に左手を使って、秋山はせっせと八神の口へとヨーグルトを運びながら、小言めいた事を言っていた。
「あと一口くれ、このヨーグルト美味いな」
「まったく!呑気な事を!聞いてます?僕の話」
さっきよりもヨーグルトをたべさせる手つきが乱雑になっていた。八神の口端にちょっとだけついたヨーグルトを、秋山が指ですくって無意識にその指をなめた。
そんな様子を八神はニヤつきながら眺めている。
「先生、それ間接キスだな」
「!!」
秋山は指摘されて初めて気がつき、瞬時に顔が赤くなる。
「もう食べさせてあげませんから。治ったら自分でたべてくださいね」
「怒るなよ。怪我しても役得だと思ってたんだからよ」
「馬鹿なこと言わないでください!全治三ヶ月ですよ?下手したら死んでたかも知れないのに!」
「心配してくれんだな先生」
「当たり前です。だって貴方は、」
そこで秋山ははたと気がついた。貴方は?なんと言うつもりだったのかと。
「それより、先生の手は大丈夫なのか。本当に悪かったな。商売道具なのに」
秋山は微笑むと、横に首を振った。
「大した事は無いそうです。僕の方は全治三週間程度ですから。それに僕は左手も使えますから」
そう言うと秋山は左手に持ったスプーンをひらひら振って見せてた。
「それより、そのせしめたって言うお金はどうしちゃったんですか?
本当に使ってしまったんですか?それとも借金があるとかですか」
興味というより純粋に八神のことを心配していた。八神は不自由な右手をぎこちなく上げて、病室のロッカーの方を指した。
「あの中のジャケットの中を探ってみてくれ」
「ジャケットですか?まさか隠し財産なんて言わないでしょうね」
そう笑いながら、秋山はロッカーを開けた。中にはまだ汚れてくしゃくしゃにされたままの派手なジャケトがあり、そのポケットへと恐る恐る手を突っ込んだ。
細長い箱のような物が手に触れ、秋山はそれを取り出して八神に見せた。
箱は乱闘のお陰でひしゃげ、所々破けていて架けられたリボンも解けていた。なんともお粗末な見た目をしていた。
「それ、先生にクリスマスプレゼントのつもりだったんだが、そうは見えない面構えになっちまったな。開けてみろよ先生」
「え、良いんですか?僕はプレゼントなんて用意してませんが」
「まあ、良いから開けろよ」
その箱は何となく馴染みのある重さに思えた。リボンを解き辛うじて原型を留めている箱を開くと、秋山の手が止まった。大きく見開いた目が八神を見つめた。
「八神さん、これ、」
「良いだろう。やる」
「『やる』じゃ無いですよ!こんな、こんな高価な物…!」
膝の上に広げられた包みの中から出てきたのは、一本の華奢なハサミだった。八神にいつぞや一度きり話して聞かせた、父が使っていたあのナルトシザーのハサミだった。秋山のハサミを持つ手が震えた。
「いや〜美容師のハサミって意外と高ぇんだなあ。
な?それひと財産だろう?」
「ひと財産って、八神さん、これしかもSAクラスのシザーじゃ無いですか!これ一本で二十万はする代物ですよ!何でこんな…っ」
「なんだか先生にやりたくなっちまったんだよ」
「この為に仕事やる気出したんですか」
「な、俺も捨てたもんじゃ無いだろう?引退に一花咲かせてやったぜ!ははははは!…痛ってて」
秋山は黙って俯いていた。その肩が小刻みに震えている。膝の上やハサミを持つ手にポタポタと涙の滴が落ちて来た。
「えっ!!何だよ先生!何で泣いてるっ、気に入らなかったか?ええ?先生?うん?」
いきなり泣かれて慌てた八神は身動きもままならず、仰向けになったまま首すら動かせずに気持ちだけが秋山に駆け寄っていた。
「八神さん、貴方って人は本当にもう…!いつもいつも…なんて人なんだ!」
秋山は思わず八神の首に抱きついて涙を隠した。困ったような嬉しいような、だかそれはやっぱり秋山にとってのうれし涙だった。
三ヶ月後、八神はめでたく退院した。折れた両足のリハビリはまだしなければならなかったが、頭蓋骨の陥没骨折も首の捻挫も挙げたらキリが無い無数の傷も、取り敢えず順調に治る方向へと向かっていた。
ホストの仕事は辞め、行く当ての無かった八神はそのまま秋山の店の二階に転がり込んでいた。
秋山の店はと言うと、警察沙汰になった事で、大家が脅されていたことも発覚し、理不尽な立ち退きの話は立ち消えた。
とは言え、店は使い物にならなくなって、取り敢えず改装の運びとなった。以前のシンプルな店が一段とシンプルになってリニューアルしていた。
「八神さん、そろそろ何か働き口を探さないと。このままでは貴方はヒモです」
散髪台に寝そべる八神の顎に、たっぷりと泡を蹴立てながら秋山は八神を見下ろした。
八神は養ってもらっていると言う自覚は無かったが、自分でもそろそろとは常日頃思っては居るのだ。
ただ長年ホストしかしてこなかった身には世間の小波すら荒波に感じる。何をやろうか考えあぐねては、暇に任せてこうして秋山に髭をあたってもらっている次第なのだ。
「やめて下さい。止めないと本当に切りますよ」
泡だらけの顎に剃刀を当て秋山は八神を睨みつけていた。
「だーってしょうがねぇだろう?アンタのケツが俺の脇を行ったり来たり。暇なおててがつい誘われちまうって事あるだろう?」
「ありませんよ!そんな事!」
睨まれて八神は、理容室の椅子に寝そべり、秋山の魅惑的な尻から手を離した。
八神と秋山が恋人になったかどうか。不発に終わったセックスも成就したのかしないのか。それは神のみぞ知るところだ。
end.
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