第5話 価格破壊



しかし、この夢のような日々は、半年か、せいぜい1年も続かなかった。

その年が暮れ、翌年も後半になると、徐々に売上は落ち、俗にニッパチと言うけど、8月は実に客が少なく、利益も生活費にさえ足りないくらいだった。


『まあオレのやることに間違いはない。秋になればまた売れるさ』

人間、お金が入ると自分のことがまるで見えなくなるようで、私は珍しく自信に溢れかえっていた。


しかしその頃からだろうか。テレビや新聞では「不景気」という言葉が使われるようになり、秋になり、さらにまた年を越しても、売上はなかなか回復しないのだった。


   中国シルク手織り本段通

   135万円の品

   超特価 139000円

   20枚限定


こんな宣伝が大手スーパーのチラシに写真入りで載ったのは、その頃だった。

私はまさか、と思った。

それまでシルクの段通は100万はする、というのは一般的なイメージで、つまりこの135万円というのも、あながちデタラメな数字ではなさそうなのだが、それが139000円で売られているのだ。

もちろん、私が張さんに頼んで仕入れる分には、それくらいの値段で売ることは可能なのだが、しかしまだまだ、そんな値段で売られるはずのない商品なのだった。


   中国手織り本段通

   ウール100%

   55万円の品

   49800円 30本限り


それからひと月もしないうちに、こんな宣伝が別の大手スーパーのチラシに載った。

私は自分の目を疑った。

写真を見ると、デザインは凡庸で、それほど高級感のある段通ではなかったが、49800円というのは、私の店で売っているのよりもはるかに安い値段だった。


私は実際そのスーパーまで出かけてみたのだが、店員によると、開店後僅か10分間で全て売り切れたそうで、私の体内を、何か冷たい戦慄が走り抜けるのを感じた。

どうやら、私のような経済にうとい人間には想像もつかない状況が起こりつつあったのだ。


私はそれまで、物価というものは徐々に上がるものだという漠然としたイメージを持っていた。しかし気がついてみると、他のアジアの国々の製品が流入し、既に生活に関わるあらゆる商品がどんどん値下がりし、値下げ競争はもはや手がつけられないほど激化していたのだ。

どうやら私1人がその流れから取り残されていたようで、それから2週間後には、こんなタイトルのチラシが新聞に入っていたのだ。


   価格破壊に挑戦           もうこれ以上は下げられません!


そしてやはり、段通の写真が載っていて、そこにはこう書いてあった。


   中国手織り本段通

   ウール100%

   59万円の品

   39800円


何ということだ!

この価格は、私が売っている値段の半額以下だった。

その後も、低価格を売り物にする広告は、これでもか、さらにこれでもか!と新聞に織り込まれていて、案の定、私の店の段通はいつしか売れなくなり、私も出来る限り値段を下げ、セールをして特価品を出したりしたのだが、所詮8坪の店が大手スーパーに勝てるはずもない。

翌年の春になり、やがて夏になると、開店当初の活気は、私の店から見る影もなく消え去っていた。


たまに、チラシなど見ない主婦が、

「あら、これ随分安いわね。いいもの見つけたわ」

などと言って、段通を1枚買っていくのだが、やがてまた店に来たその人に、

「あら、ご主人、この前買った段通、今スーパーで随分安く売ってるのね。がっかりしちゃったわ」

などと言われ、

「いやあ、ウチのはモノが違いますから、へ、へへ、」

と苦しい言い訳をするのが精一杯だったのだ。

あとは都内の問屋で仕入れた、大した特徴もなければ、安くもない雑貨を、ほそぼそと売っていくしか、残された道はなかった。

「ヨッ、社長、どうかね景気は」

「はあ、まあぼちぼちというか・・・」

「まあ、そんな不景気なツラすんなよ。今はどうも時代がおかしくなってきてるけど、ま、すぐに良くなるさ。オレみたいに商売長くやってりゃあさ、色んな事分かってっからさ、あんたみたいに落ち込んだりしないよ。

ほんの少しの辛抱だって。商売は山あり、谷あり、そう楽なもんじゃないんだぜ」

つい先日までは私に羨望の眼差しを向けていた電器店の主人も、こちらが売れてないと分かると、急に態度が横柄になった。


「あーら、上野ちゃん、めずらしい。たまにはゆっくり遊んでいってちょうだいね。・・・ただし、おならはしないでね」

例の安いスナックに行っても、私の羽振りが悪くなったとみるや、ママは相手をしている客の席から立とうともせず、振り向いてそう言うだけだ。私は社長さんから上野ちゃんに格下げされてしまった。それならそんなところに飲みに行かなければいいのだが、のんべえのさがというか、内気な私は酔った時くらいしか女の子に冗談を言えないタチで、その楽しさが忘れられず、つい、ふらふらと飲み友達について行ってしまうのだった。


不安と焦燥の日々が続いた。いつの間にか開店から2年半が過ぎようとしていたが、売上はさらに落ち込む一方で、その頃の1日の来客数は平均15人くらい、そのうち買い物をするのはせいぜい7、8人がいいところで、それも安いポストカードや、スカーフ、テーブルセンターかトレーナーやスパッツくらいしか買ってもらえないので、客単価は2千円がやっと。

つまり1日の売上は平均すると1万5千円前後で、粗利益が40%として6千円、もうとても生活していける状況ではなかったのだ。

やがてその年の秋が深まり、店の前の歩道に落ち葉が舞い、ひとけのない店内で、ただじっとレジの後ろに座って客を待ちながら、どうしたものかと日々思案に暮れ、儲かった時にもっと貯金しとけばよかったなどと思いながらも、たまに仕入れに行くたびに、何とか目新しい物、変わった物、と買いあさってくるのだが、どれもろくに売れず、逆に在庫が膨らんで、それが尚更店の経営を圧迫するのだった。

                    (つづく)

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