無自覚英雄記〜知らずに教えを受けていた師匠らは興国の英雄たちでした〜

うりぼう

第一部 出発

第1話 雷雨

 大陸中央に広がる【ゼルトザーム大森林】は、魑魅魍魎が跋扈する禁忌の地である。


 雷鳴が轟き、殴りつけるような雨がふりかかる

 その大森林に、剣戟の音が響き渡る。 


 獅子頭の男の剣が、黒ずくめの者たちを全て斬り捨てると、辺りに聞こえるのは男の荒い息づかいのみとなった。


 懐に布の塊を抱いた獅子頭の男は、その身体に無数の傷を負っており、命の灯が尽きるのもそう遠くない。


 しかし、男はその場に留まることなく、一歩一歩と前に進む。

 それは何かから逃げるかのように、あるいは何かを求めるかのように。



 やがて男は、足を取られ転倒する。


 布の塊を守るために、とっさに懐を庇い背中から転倒する。


「かはっ」


 背中を強打した男、もはや彼に立ち上がるだけの力は残されていなかった。


 男が身じろぎすると、懐に抱いた塊の隙間から、黒髪の乳児の顔が覗く。

 男はずっとこの乳児を守りながら、逃走を続けていたのであった。


 すると、乳児は男の死期を悟ったように、声の限り泣き叫ぶ。


(もはやこの子を託すことも能わず、ただ死するのみか……)


 男は自らの力不足を嘆く。


(せめてこの子だけでも逃したかった……。メリー様、無力な我が身をお赦し下さい)


 男はその骸を大森林に晒すことに、否やは無かった。

 ただ一つ、敬愛する人の最後の頼みを果たすことができなかったコトばかりを悔いていた。


 男の命脈が尽きかけたその時、馬の嘶きが聞こえ、間もなく男に呼びかける声が聞こえた。


「…………い、おい!大丈夫か?」


 誰かが男の肩を揺する。


「赤子の鳴き声が聞こえたので来てみたが、これはいったい……おい、これはどうしたことだ?」


 男に問いかけているのは、真っ白なヒゲを生やした初老の男であった。


 男は薄れゆく意識の中、自らに呼びかける者のイントネーションから、祖国からの追手とは異なると判断し、最後の力をふり絞って懇願する。


「おおお、どこのどなたかは知りませぬが、どうかどうか。この子をお願いできまいか」

 

 男は震える手で、未だ懐で泣き続ける乳児を差し出す。


「故あって祖国より出奔した身なれど、心残りはこの子の行く末のみ……。後生だ……」


 男は滂沱の涙を流す。

 厳つい獅子の顔が、今はとても弱々しく見える。

 

 初老の男は乳児を受け取ると力強く宣言する。


「分かった。その望み聞き届けよう。安心して任せるがいい。それでこの子の名は?」

「その子の名は【アルフォンス】我が主人の忘れ形見」

「承知した。必ずや守ってみせる。この【オイゲン・フォン・ノイモント】の名にかけて」


 すると獅子頭の男は、もはや何も見えなくなった瞳を見開くと、弱々しく伸ばした手を宙にさまよわせる。


「あっ……貴方が【始王】……何とぞ、何とぞ……その子をお願いいたします……」


 そして、そう哀願する。


 初老の男は空いた手で男の手を取る。


「ああ、しかと承ったぞ」


 それを聞いた男は、微かに笑みを浮かべる。


「ああ……メリー様、我は目的を果たせり……」


 そう呟いた男は、ゆっくりとその双眸を閉じる。

 その死に顔はとても穏やかなものであった。



 気付けば雷雨は既に去り、空には満天の星々が煌めいていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る