第42話 甘~い時間は……いつまで続く?
甘~い、甘~い時が過ぎ去り、暫くうとうとしてからはっと気がつき目を開けると、眩しい太陽がカーテンの隙間から見えた。
―――ああ、朝になったのか。
―――いつまでも部屋の中にいるわけにいかない!
ああ、今日もバイトをして学校へ行って……現実は厳しい。はっとして上半身を起こす。
「あれ、今日は休日でしょ。バイトないって言ってたよねえ」
「あっ、そうだ。今日はバイトも学校もなかった。ったく、忙しい癖が抜けないや」
「わあ、嬉しいわあ。一日中一緒にいられるんだね」
「そっかあ。何か食べたら、のんびり外へ行ってみようか?」
「賛成! 外の空気を吸った方がいい」
ドアを開け、周囲を見回し外へ出た。出てからも少し距離を取って歩く。誰かに見られていないか確認しなければならない。
「近くの公園に行ってみようかな」
「うん。どこでもいいよ」
「散歩というのは、当てもなく歩くのがいいんだ」
「うん。賛成です~~」
狭い路地を通り抜け、歩道を歩いて公園に向かう。度々自転車で通っている道だが、天気のいい日はのんびりと歩いて行くのも気持ちがいい。太陽の光が体に当たると温かい。歩みを進めると、体が更に温まってくる。
「寒くないね」
「うん、日差しもあるから、あったかくなってきた」
公園には休日ということもあり、家族連れや年配の人たちがあちこちに見える。遊具で遊ぶ小学生の姿もちらほら見えるが、コロナのせいで網を張られて使用できなくなっている遊具もある。皆思い思いに、休日のひと時を過ごしている。犬を連れて散歩する人の姿も多い。
「いいねえ。のどかで……」
「おじさんみたいなこと言ってるけど、確かにこういう時間って必要だよね」
「だって、時間に追いまくられたり、何か問題が起きたり、いっつも困ってばかりいるんだもんなあ」
「確かにそうだったね、私達って。いつも時間と戦い、困難に追いまくられてるような気がする。苦労が追っかけて来るみたいだよ~~」
野乃香が苦笑している。俺は思い切り深呼吸して、木々の間から吹いてくる風を肺一杯に吸い込む。鬼ごっこをしている小学生が、蜘蛛の子を散らしたように不規則に走り回っている。
その一団がこちらへ向かて来て、ぶつかりそうになった。
「あっ! 前を見ないと危ないよっ!」
ッというが早く、ぶつかった。
「うっ、痛いっ」
野乃香の横腹に、前方から勢いよく突進してきた少年がぶつかった。彼はその反動で尻餅をつき、ぺたりと座り込み、更にその勢いで後ろへひっくり返った。怪我をしていなければいいが……。野乃香もわき腹を押さえている。
「大丈夫かっ! 二人とも」
「わ、私はっ、大丈夫……みたい~。だけどっ、痛い~~っ」
「君は大丈夫か!」
少年は、上半身を起こし、足をじっと見ている。転んだ勢いで脚をすりむき、膝頭には細かい砂利が張り付き、うっすらと血が滲んでいる。
「ああ、こういうの痛いんだよねえ。すぐに足を洗って綺麗にした方がいいよ」
体勢を持ち直した野乃香も、彼の傍へ寄り傷を見ている。
「そうね。向こうに水道があるから、洗いに行こうね。自分で立てるかな?」
「うん……大丈夫だよ」
起き上がった少年の背丈は大人の半分ほどだった。小学校の低学年ぐらいだろうか。走り回っていた他の子どもたちも数人傍へ寄ってきて、心配そうにのぞき込んでいる。親は近くにはいないようだ。
「よくここへ遊びに来るの?」
「うん。学校が終わってからも来るし、休みの日にも来てる」
「そう、いいわね。小学生は」
「お姉ちゃんたちは?」
質問の意図がわからなかったが、よく来るのかということかと思い答えた。
「たま~に来るよ。普段はお仕事とか学校で忙しいから」
「両方やってるなんて、偉いんだね」
「偉いってわけでは……」
「そうでしょ。普通はどちらかだよね」
そうか。バイトをしている高校生は多いが、この少年にはピンとこないのだろう。水飲み場の水道の蛇口の下に少年の足を持って行く。靴を脱がせてから蛇口をひねり、野乃香は自分の肩につかまらせながら、少年の足に水を掛けた。
「さあ、水道で傷を洗おうね」
「うん。あっ、沁みるよ~っ」
「ちょっと我慢してね。すぐキレイになるから」
膝小僧を優しく洗い、持っていたティッシュペーパーで水けを拭き取った。ハンカチでは雑菌が入ってしまうから使えない。そこへ小さなカットバンを張りつけた。
「さあ、こうしておけば擦れないよ」
「どうもありがと。お姉ちゃん、何でも持ってるんだね」
「これは、お出かけする時のセットなんだ。またいつでも言ってね」
「は~い、バイバ~イ!」
へえ、こんなものをいつも持ち歩いていたのか。感心した。
「知らなかったよ」
「何を?」
「いつもカットバンを持ち歩いてるってこと」
「……あ、ああ。これ、たまたま持ってただけなんだ。いつも持ってるわけじゃないよ」
「あっ、そうか」
なんだ、正直だなあ、野乃香は。自分を飾らないんだ。子供達が遠くへ走り去ったところで俺は野乃香の脇腹をそっと撫でてから手を繋いだ。外で堂々と手をつないで歩くのは、たまらなく嬉しい。日差しを浴びながら、そんなことをしていると舞い上がりそうになる。
すると、近くで自転車のブレーキの音がした。手をつないだまま振り返ってみた。
―――えっ、えっ、野乃香のお母さんじゃないかっ!
―――どうして、こんなところに現れるんだよ!
「野乃香っ! 来夢君もっ」
「あれっ!、何よっ! お母さん、どうしたのよこんなところへ来て」
「こんなところに来て、悪かったわねえ。まったく、二人仲良く、手なんか繋いじゃって、もう!」
野乃香の母の視線は二人の繋がれた手に注がれていた。あああ、またしてもピンチだ! もうあきらめの境地だった。
「何をしてるの、って聞いてもしょうがないわね。見ればわかるもの」
「え、ええ、まあ、そう言うことでして……」
付き合ってるって知ってたはずだけどなあ。何だろう、この驚き様は……。
「お母さん、見ての通りで、デートしてたんだけど……」
「どこへ行ってるのかと思えば……」
「そんな言い方ないでしょ! 今まで私たちの傍にいなかったくせに、文句なんか言わないでよ!」
「文句言ってるわけじゃ、ないわよ。別に~」
今度は、がっかりしたような諦めたような表情をする。全く何を考えているのかわからなくなる。もう怒ってはいないのか。
「私たち付き合ってるから、お母さんは邪魔しないで!」
「もう、邪魔なんかしないわよ。私にそんなことする資格ないものね、よ~く、分かってるわ」
「だったら、何?」
「私に遠慮してたのね、急に戻ってきたもんだから」
「あ、ああ、まあそんなところかな」
「もう、堂々としてていいわよ。それから、野乃香。いつでも来夢君のところへ行ってもいいわよ。あんたたちの邪魔をするために帰ってきたなんて思われながら、ここで暮らしたくないもの。わたしそんな邪魔者じゃないからっ!」
怒ったふりをしていただけなのかな。それだけ言うと、自転車で走り去っていった。
「あれ、お母さん分かってたんだな」
「あっ、そうなのかな」
「はあ~、ホッとした」
一緒に暮らしていたことが分かったのではないだろうか。野乃香の母はそれ以上追求せずに、手を振って去っていった。
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