第18話 尾行していた男は
その男はパーカーのフードを深くかぶりサングラスをかけていた。顔の輪郭は細く、体つきも細い。機敏な動きで、俺たちを尾行している。
―――もしや探偵では。
しかし、探偵に尾行されるような心当たりはない。
―――親父を探しているのだろうか。
それだったら、この前新幹線に乗った時について来ていたはずだ。野乃香まで巻き込むわけにはいかないが、一人残していくことはさらに危険だ。彼女を人質に、俺を脅すつもりだろう。
「野乃香!」
「えっ、何?」
「こっちへ!」
俺は野乃香をぐっと自分の胸元へ引き寄せた。どきりとして彼女の目が見開かれる。そのまま、抱き合ったような形で歩幅を広げる。
「この体勢で、速く歩くんだ」
「こんな体勢で……」
俺の胸元にぴったりくっついたような格好だ。恋人同士を装ったつもりだが、野乃香の動きはぎこちない。彼女を怖がらせないように、安全な場所へつれて行かなければならない。まだ彼女は成り行きがつかめずにいる。口をあんぐりと開け、頬は赤くなっている。
「誰かにつけられてる。尾行に気付いていないふりをして、人気のある所まで行かなければならない。汽車道では、危ない。一本道で回りは川だ。いざというときに、身を隠す場所がないから、人通りの多い道を通る!」
「この体勢のままで……」
「この方が怪しまれない」
二人の歩幅の違いか、野乃香は足を細かく動かし俺の一転語倍ぐらいの速度で歩いている。心臓の鼓動が伝わってきそうなほどだ。いちゃついているふりをしながら、後方を見ても、男が離れていく気配は全くない。
―――どこで巻いたらいいんだ!
周囲の景色を頭の中に入れ、考える。
―――大通りの向こうには、路地があるはずだ。
―――地下鉄の駅もさほど遠くない場所にあるはずだが、駅へ逃げ込んでも、すぐに電車が来るとは限らない。
―――そのうちホームで捕まってしまうかもしれない。
「交差点を渡って、少し行くと路地がある。あそこのそこに入る!」
「その後は!」
「心配するな!」
信号が黄色に変わっているが、思い切り走りだす。
―――うまくすれば、ここで逃げ切ることができるかもしれない。
「ダッシュだ! 信号が変わる前に渡るんだ、急げ!」
もう抱き合っている場合ではない。野乃香は思い切り手を振り、足を上げて走る。俺は片方の手を引っ張りながら、全速力で駆け抜ける。野乃香の足がもつれ転びそうになる。
―――あと少しだ!
―――あと少しで反対側の道へ着く!
―――そうすれば、もう尾行できない!
渡っている途中で信号は赤に変わった。
―――よし、もう安心だ!
後ろを振り返った。クラクションの音が鳴り響いた。えっ、あいつが赤信号の中を大手を振って渡ってくる。そのオーバーなジェスチャーに、青信号に変わっても車が発信できずにいる。
「よしこうなったら……」
不安でガタガタ震えている野乃香の体を放し、路地を目指した。
―――あそこに逃げ込めばこちらの思うようにできる。
―――相手は一人だ。
凶器を持っていないことだけを祈り、路地に誘い込んだ。もうこれ以上逃げるのは無理だ。そう思った俺は、野乃香を突き放しそいつの前に立ちはだかった。体格は俺の方が一回り大きい。
「俺に何か用か!」
「お前じゃない。あの子に訊きたいことがあった」
「はあ、俺じゃない?」
道の隅で座り込んだ野乃香は、怯えてそいつの顔を見ている。
「彼女に何の用だ! 訊きたいことってなんだ!」
そいつは凶器をかざすこともなく、野乃香に近寄ろうとした。俺はさらに進んで、そいつの前に立ちはだかった。そいつは腕を伸ばした。その腕を振り払うように、更に接近する。
「お前に用はない! どけ!」
「そんなわけにはいかない。彼女に手出しをするな」
「お前、この女の彼氏か?」
「まあ、そんなもんだ。俺を○○組のものと知っても、そんな態度を取るつもりか?」
俺は、聞いたことがあった駅近くを縄張りにするある組の名を出した。
―――知っていれば、俺たちに手出ししないはずだ。
男の視線が急にそれた。
―――威力があったようだ。
「俺は、ただ……彼女の母親の居場所を知りたかっただけだ」
すると野乃香は驚いたようにその男に食って掛かった。
「知らないわ。私たち喧嘩別れしてから、ずっと連絡を取ってないんだもの。どこかで一人で、気ままに暮らしてるんじゃないの?」
「前のアパートにいると思ってるんだろう。そこに行ったら、影も形もなかった。知らないうちに引き払っていて、行き先は誰にも言っていないようだった」
「えっ、すると、あなた、もしかして……」
「そうだよ。彼女と付き合ってたんだ。だが、一週間ほど前から急に連絡が取れなくなった。付き合ってあげてたのは俺の方なのによ」
「もう、あんたとは付き合いたくなかったんじゃないの!」
大声で野乃香はそいつに向かって怒鳴った。
「何言ってんだ、あっちから付き合ってくれって頼んでおいて、勝手に姿をくらまして」
「何か事情があるはずよ。本当にあんたの事が好きだったら、そんなことはしないはず!」
「どうだかな。娘にも言ってないんじゃ仕方ない。もう用はないよ、じゃあな。しかし、娘もこんなやくざな男と付き合ってるんだ。呆れたもんだぜ。あばよ」
男は舌打ちして、去っていった。その後ろ姿に向かって来夢が怒鳴った。
「もう二度と姿を現すな!」
「はあ~~、怖かった」
そのまま地面にへたり込んで、涙を浮かべていた。
「悔しいよ……」
俺は彼女に手を差し伸べた。
「ほら、もう大丈夫だから、立って」
「うん。だけど来夢、前と同じ手を使って追い払ってくれたんだね」
「そうだな。他に思い付かなかった」
よろよろと立ち上がる野乃香の姿は痛々しかった。母親は、あの男辛みを隠すために姿を消している。自分たち娘にも告げずに。そんな、現実に打ちのめされていた。
「悔しいよ……情けないよ……。だって、本当にお母さんの居場所知らないんだよ。黙って、姿をくらましたんだ。何考えてるんだろう」
俺の事を追っているんだと思ったあの男は、野乃香の母親の彼氏だった。
「何か事情があるんだろう。あの男に弱みを握られているとか、一緒にいるとよくないことが起こるとか。俺たちにはわからないことだが、よほど緊急なことなんだよ。ひょっとすると、お金が絡んでいるのかもしれない! お母さんの行方が分かっても、絶対あいつに言わないようにしろよ」
「分かったわ。まあ、連絡があってもってことだけどね」
「今は、信じて様子を見るしかない」
急に暗い気持ちになり、家路を急いでいると野乃香の姉梅香からメールが入った。家の傍に変な男がいる、と書かれていた。
「お姉ちゃん、そいつの写真を撮って送って」
「分かった、窓から撮ってみる」
送信されてきた写真は、先ほど彼女を付けていた男だった。
「その男、私の後も付けてたのよ! 気を付けて、お母さんの居場所を突き止めようとしている。絶対にドアを開けないで」
「分かった! あんたは、他の場所に隠れてて!」
他の場所って言っても、隠れるところなんてないのに……。
「よし、今日は俺のところに隠れていろ!」
俺は一晩彼女を家にかくまうことにした。
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