第15話 女神レグルス
湖へ向かう道のりには度々魔物が飛び出て来る。それらをエバンが払うと、カイトスが話しかけてきた。
「お前も……武器に声をかけるんだな」
「えっ!?あぁ……その、その方が気合いが入るっていうか……」
エバンは曖昧に笑った。カイトスの真似をしていたと本人に言うのは何だか恥ずかしかったのだ。
「お前の父親も、同じ事を言っていた」
「……父さんも?」
しかし、それきり口を閉ざして前を歩き出してしまったため、詳しい話は聞けなかった。
エバンはいつか、カイトスから父の話を聞きたいと思い始めた。アルタイルにいる時の事はさすがに妻のミーザは細かく知っているわけではないだろう。兵士として、年若いカイトスの先輩として、どんな生き方をしていたのか。事が落ち着いたら向き合ってみようと決めた。
やがて森が途切れて道が開けた。正面は崖になっている。
「ここだ!懐かしいなぁ……」
エバンは崖の下をのぞき込み、湖が広がっているのを確認した。
胸に手を当てて、リンディが進み出る。
「レグルス様、お願いします。私たちに力をお貸しください」
その声を聞き届けたように湖が光で満ちていく。中心に波紋が立ち、その中からかつて見た光景と同じく、全身金色に輝く女神が現れた。
『あなたの望みを叶えましょう』
「あなたが……女神レグルス。お願いします。僕に協力してもらえませんか?」
湖の上に浮かぶ女神を見上げたロイルが言う。
「今あなたの偽物が……シリウスの女神がこの国を脅かしています。あなたの力で紛い物を消滅させてほしいのです」
『私の力が必要ですか』
「お願いします。レグルス様」
リンディも祈るように見上げる。
暫しの沈黙のうち、レグルスはゆっくりとエバンらの顔を見渡した。
『わかりました。あなたに力を貸しましょう。……と言いたいところですが、それは難しいでしょう』
「……理由をお聞きしてもよろしいでしょうか」
少し青ざめた顔でロイルが問う。簡単に引き下がれはしないのだ。
『まず一つ。あなたは精霊と契約し、召喚を行えるようですが、私は精霊ではありません。その神器に私の魂は受け入れられない。二つ目に、仮に力を貸せたとしても、あなたの体では私の力に耐えられないでしょう』
「……っ!ですが、僕たちはあなたの力が必要なのです……!」
『えぇ。ですから──』
女神が視線を移す。表情のない瞳は、ロイルの後方で見守っていた仲間の一人──エバンへと向けられていた。
『あなたの金聖に、我が身を宿す方法はどうでしょうか』
その場にいた全員が息を飲む。
エバンは緊張で口の中が乾いていくのを感じた。
「そうすれば、あなたの力が使える……と?」
『はい。元々その金聖は私の内から生まれたもの。魂が合致します。しかし、使い手の事を考えると、力を貸せるのは一度だけでしょう』
ロイルに頷き返し、女神レグルスは返答を待っていた。
わずかな沈黙のあと、ロイルはエバンへと振り返る。その顔は苦渋に満ちていた。
「エバン。精霊召喚には体に負担がかかる。神器を扱うなら感じた事があるかもしれないが、その疲労は比べ物にならない。ましてや『女神』……未知数すぎるが、君にしかできない……しかし」
「あぁ。やるしかないならやるだけだ」
ロイルの逡巡を断ち切るようにエバンは断言する。そして呆気に取られているロイルの横に並び立ち、金聖を鞘ごと掲げた。
「女神レグルス。俺たちに力を貸してくれ。一緒に偽物を倒そう」
金の女神は真摯な眼差しの少年に頷いた。
『わかりました。では一度だけ、あなた方に力を貸しましょう。必要な時は私を呼んでください』
「ありがとうございます。女神レグルス」
ようやく安堵でロイルの顔がほころんだ。
『──あなたも必要としてくれる人を見つけたのですね』
エバンもほっとした時、不意にレグルスが言った。
誰に向けた言葉かわからず、その視線を追うと、仲間の背後で見守っているカイトスと目が合った。
『これを返します。あなたが再び心を開く時まで私が預かっていたのです』
唐突にカイトスの目の前に光が現れた。中には見覚えのある武器が浮かんでいる。
「……これは!」
カイトスは武器を手に取った。黒い鞘に収められた刀──それは紛れもなく自身の神器、呈黒天だった。
武器を受け取ったのを見届けると、レグルスは光に包まれた。そしてエバンの金聖へと吸い込まれていく。
黄金の輝きがおさまると、金聖に変化が起きていた。
「これがレグルスが力を貸してくれる証……?」
「おそらくそうだろうね。……エバン。時が来たらくれぐれも慎重に」
隣から金聖をのぞきこむロイルに頷き返し、もう一度カイトスの方に視線を移す。
兵士ではなくなった男は、かつての自身の相棒である刀を引き抜き、その黒い刀身を確認していた。どうやら今でも使い手だと認められていたらしい。
そのことに胸を撫で下ろし、ふと最後に、表情のないはずのレグルスが微笑を浮かべているように見えた事を思い出した。
レグルスの力を得たエバンらは、ゼノの案でアルタイル砦へ向かう事にした。
「もしかしたら、シリウスの近くまで馬車とかで連れて行ってくれるかもしれない」
それはロイルを気遣うと言うより、自分があの距離を歩くのを想像して気が滅入ったからだろう。
しかし、アルタイルまではまた歩かねばならない。
一行は来た道を黙々とたどる事になった。
エバンは不意に思い出したようにカイトスを見上げた。
「あの……ありがとう、カイトス」
「……?」
カイトスは首を傾げた。唐突だったため、何の事かわからなかったらしい。
「俺、あの時ちゃんと言ってなかった気がして。俺たちを守ってくれて……リンディを村に連れてきてくれて、ありがとう」
「私からも言わせてください。カイトスさん、あの後すぐにいなくなってしまったから……」
ありがとうございましたとリンディも頭を下げた。
「いや、それが仕事だったからな」
それだけを言うと、また前を向いて歩き出した。
面と向かって感謝されるのが恥ずかしかったのかもしれない。
やがて一行は、その日のうちに砦へたどり着いた。
「カイトス、大丈夫か?アルタイルには知り合いとか……」
「俺の事を覚えている者などほとんどいないだろう」
若干心配そうに見上げるエバンに、特に感情もなくカイトスは答えた。ぶっきらぼうに聞こえるが、こういう物言いは元からなのだろう。人と関わりを持つのが苦手だというのにも納得いく。
「馬車を出してもらえるなら、リヴァウェイに向かってもらいたいんだけど……大丈夫かな?」
「シリウスの近くじゃなくていいのか?」
控え目なロイルの提案にゼノが問う。
「あまり近くだとシリウス兵に見つかる可能性もある。それに準備もしたいから一番近いリヴァウェイがいいと思ったんだ」
「あーそういう事か」
一行は砦に到着すると、すぐに隊長との対話を望んだ。一台馬車を貸してほしいと交渉するためだ。
実際話してみるとエバンが心配するほど、事は難しくなかった。
砦の兵士たちは、エバンらがシリウスの呪縛から救ってくれたのを覚えていたらしい。手放しで協力してくれた。
馬車を借りると、一人の兵士が御者を名乗り出た。それはエバンに短剣を預けたあの兵士であった。
「お前たちには砦も助けてもらったからな。シリウスまで乗せて行きたいところだが……」
「いいよ。後は俺たちでなんとかするから。万が一シリウスが攻めてきた時のために砦にいてくれ」
エバンは兵士に短剣を返していた。結局活躍させず仕舞いだったが。
「シリウスと戦うなんて考えたくもないがな。内乱をしているうちに隣国が怪しい動きをしないとも言い切れん」
十三年前の戦にオリトン国は勝利したものの、豊かな土地を狙う国はある。今は平穏が続いているが、またいつ均衡が崩れないとも限らないのだ。
そんな話をしながらも道のりは順調で、途中休憩を挟みながらリヴァウェイへ辿り着いた。
「ここからはシリウス兵が多い。あなたは早めに砦へ戻った方がいいでしょう」
街の入り口でロイルが兵士に向かって言った。兵士も頷き、ほとんど言葉を交わす事なく出発した。
「シリウスはオリトン城の北にある。可能な限り、近衛兵には見つからないように砦に向かいたい」
「どうして近衛兵に見つかってはだめなんですか?城に助けを求める事はできないんですか?」
リンディの問いかけにロイルは微かに目を伏せた。
「すでに……オリトン国王陛下がシリウスに操られている可能が高い」
エバンらは息を飲んだ。唯一事情を共有していたレウナが言葉を繋げる。
「でなきゃ、こんな混乱は起きてないはずだ。カンザとかいうやつが陛下を操って、この状況を黙認させているんだ」
「そんな……」
愕然とした声がエバンの口から漏れた。
「だから城には何も望めない。近衛兵やシリウス兵に見つかる前に砦に侵入するんだ」
「そんな事ができるのか?」
心配そうな顔で問うゼノに、ロイルはわずかに笑みを作った。
「大丈夫。少し当てがあるんだ。まず砦に近づいてみよう」
「わかった」
不安はあるものの、今はロイルを信じるしかない。エバンは仲間に向かって頷いた。
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