第十六章 タイフーンパレード

第115話 嵐の予感

 列車が真島まじま駅に着く。

「じゃ、俺帰るわ」

 ちなみにTシャツが白濁液ソフトクリームでびちゃびちゃなんだけどね。


 ミハイルが申し訳なさそうに言う。

「あ、あの、タクト。ご、ごめんな」

「気にするな。それより、気を付けて帰れよ」

「う、うん……またな☆」

 俺が列車から降りると、ドアがプシューと音を立てて閉まる。

 振り返るとミハイルが胸元で手を組み、今生の別れを惜しむように俺を見つめていた。


 

 俺は大量のBL本をえっさほいさと自宅に持って帰る。

 自宅兼美容室である『貴腐人』のドアノブに手を掛けると例のイケボ声優の甘ったるい声が流れる。

「ここが……いいの?」

 セリフ変わってやがる。


 店に入ると珍しくたくさんのお客さんでごった返していた。

 狭い店内に10人ぐらいは集まっていた。

 全員マダム。

 母さんの美容室は基本一人ひとり丁寧に対応することを売りにしているため、客は完全予約制、こんなに人がいるのはおかしい。


「あら、おかえり♪ で……例のブツは?」

 眼鏡を鋭く光らせる真島のゴッドマザー。

 なるほど、そういうことか。

「ただいま……これだろ」

 やっとのことでクソ重いBL本を手から離すことができた。

 俺が床に紙袋を置いた瞬間だった。


 近くに立っていたマダムだちが豹変する。

 さっきまでニコニコ笑っていたのに、奇声をあげる。

「きしぇぇぇ!」

「グルァァァ!」

「あは……アハハハ!」

 ヤクでもキメてます?


 それからは餌にむらがる獣のようにBL本を漁りまくる。

 もちろん、俺の母親も例外ではない。

 その醜態を確認すると、俺はどっと疲れが出た。


 腐った女性陣をあとに階段を昇り、自宅である2階へと向かう。

 シャワーを浴びて、汗を流すとエアコンをつけて涼しい部屋で泥のように眠った。



 ~次の日~


 夜明けにスマホのアラームで目が覚める。

 朝刊配達へと向かうのだ。


 自宅の扉を開けようとしたそのときだった。

 吹き飛ばされそうな強風が襲う。

「うわっ!」

 思わず声が出てしまうほどだ。

 おまけに頬に叩きつけるような大雨。


「こりゃ今日は荒れるな……」

 嫌な予感がする。

 長年、新聞配達をしていると嵐の日ほど苦労するものだと熟知している。

 とにかく、朝刊配達というものはどんなことがあっても休みなどないのだ。

 自身の身体が壊れない限り……。

 なんてブラック企業。


 俺は暴風と大雨に身体を揺さぶられながら、自転車のペダルをこぎ出す。

 といっても道中何回もこけるので、途中から下りて押して歩いた。

 いつもより3倍も時間をかけて、毎々まいまい新聞の真島店にたどり着く。


 中に入ると店長があたふたしながら新聞を大型の機械に入れていた。

 この機械は新聞紙をビニール包装するものだ。

 そして奥では別の配達員が新聞紙の間にチラシを素早く織り込んでいく。


「あ、琢人くん! よく来れたね!」

 配達店についたときは既に全身びちゃびちゃに濡れていた。

「まあ、いつものことですから」

 大雪に比べたらましだ。

「さすが琢人くん。今日は一日台風みたいだよ?」

「え、マジっすか? 昨日まで天気よかったのに……」

 ここで俺はなにかを忘れているような気がした。

 

 ん? 今日って何か予定があったような……。

 俺が必死に思い出そうとしたその時だった。

 店長が奥からバイクを出してきた。

「はい、琢人くんの分! 真島は海が近いから波に飲まれて死なないようにね♪」

 優しい笑顔で怖い事いうのやめてくれます?

「じゃ、いってきまーす」


 俺はバイクのエンジンを吹かすと出発した。

 配達中ゴミ袋が風に乗ってブッ飛んできたり、木が折れたり、この世の終わりのような風景を目の当たりにした。

 例年にないような台風だな……。


   ※


 何度もバイクを倒したりしたが、無事に配達を終えることができた。

 だが、その間もずっと嵐はおさまることがない。

 なんとか帰宅すると、シャワーを浴びる。

 

 そして、スマホの通知画面を見ると41件もあることに驚いた。

「誰だ?」

 メールとL●NEのコンボ。

 ミハイルとアンナの二人からだ。

 というか、ひとりでよく使い分けるよな。


『大丈夫か、タクト死んでないか?』

『新聞配達気をつけろよ!』

『オレも一緒に配達しようか?』

 その前にきみが真島までこれないでしょ。


 お次はアンナさん。

『タッくん、台風だいじょうぶ?』

『お仕事終わったらホットミルクでも飲んで身体を暖めてね』

『アンナ、泣いてるよ。タッくんが上半身裸でバイクに乗っているところを想像すると……』

 ちょっと、なんで卑猥な妄想入ってるんすか?

 さては昨日のBL本を読んだせいだな……。


 俺はため息と共に苦笑する。

 なんだかんだ言って、こいつ……いや、こいつらは俺のことを慕ってくれているんだな。

 悪い気分じゃない。

 無事に仕事を終えたことを"ふたり”に返信しておく。


 すると一秒もしないでほぼ同時にメールとL●NEが送信されてきた。

 ハッカー並みのタイピングでもしているんですかね?


『おつかれ! タクト☆』

『えらいね、タッくんってば☆』


 ちょっとここまで来ると恐怖を感じますねぇ……。


 それからしばらくミハイルとアンナの順に交互に連絡を取り合う。

 リビングに来ると母さんが朝食の準備をしていた。

 妹のかなでも眠そうにテーブルの前に座っている。

 ちなみにノートPCを置いて朝から大ボリュームで男の娘もののASMRを流していた。


『はあああん! お兄ちゃ~ん、ボクなんかで……あああああ!』


 これだからこの家は嫌なんだ。

「かなで。いつも言っているだろ。ノートPCは自室だけにしろと」

「なんでですの? BGMに最適でしょ?」

 屈託のない笑顔で返すかなで。

「アホか、死ぬわ」

 俺はコーヒーを淹れながら汚物を見るような目で見下す。


「そう言えば、死ぬといえば……タクくん大丈夫だったの?」

 キッチンから母さんが目玉焼きを乗せた皿を二つ持って現れる。

「ん? なんのことだ?」

「あれよ」

 そう言うと母さんはリビングの奥にあったテレビを指差す。


 ちょうどローカル番組が放送されていて、若い女子アナが暴風のなか、ヘルメットにレインコート姿で映っていた。


『今年初めてとも言っていい……台風5号ですが、きょ、きょう…一日続くようです』

 細い身体の女性は何度も身体を強風で揺さぶられ、フラフラしていた。

 それはカメラも同様だ。映像がグラグラと不安定だ。

 モニター越しでもヤバい天気だということがよくわかる。


『視聴者のみなさんは……不要不急の外出はおやめください……それではスタジオにお返しします』

 中継先から静かなスタジオに映像が移り変わると、福岡では有名な男子アナ、島々浩二しましま こうじがこう言った。

『今日は‟博多どんたく”ですが中止でしょうね……』


「ん……」

 俺は博多どんたくという言葉が引っかかった。

「残念ですわね、どんたくの男の娘パレード楽しみにしてたのに」

「そんなものやるか」

 ツッコミを入れたが、今のご時世ならあるかも。

「あらあら、ゴールデンウィークの醍醐味だというのにね……」

 母さんがそう言うと俺は微かな記憶がよみがえる。



 そうだった。

 今日は三ツ橋高校のJK、赤坂 ひなたと博多どんたくをデートするという取材の日だった。


「フッ、勝ったな」

 俺は小さく拳を作り、ガッツポーズを決める。

 めんどうくさいあのJKとのデートは台風という一大イベントで潰れたのだ。


 すると、そのときスマホにメールが入る。

 噂をすれば、赤坂 ひなただ。

『センパイ、台風ですね。でもどんたくは中止したとしても取材はしましょうね♪』

 ファッ!?

 命がけのデートですか……。

 ちょっと、僕。遺書書いときますね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る