第19話『思索生知①-シサクセイチ-』

 西澤顕人にしざわあきと滝田晴臣たきたはるおみは、昨日、結局駅近くの牛丼チェーン店で夕食を済ませた。店を出て解散しようかという時、ついさっき通り魔に襲われたこともあるし、今日は念の為に晴臣の下宿アパートに泊まるという話で纏まった。

 顕人は実家暮らしな上、大学から電車で少し時間がかかる。もし万が一、あの黒い影の人物に後をつけられ家がばれ家族に危害が及んでも嫌だった。というか、一人のところを狙われたらどうやっても対処できる自信が顕人にはなかった。

 その点、晴臣は一人暮らしだし、大学から電車で一駅という立地に住んでいる。もし再び襲われる事態になっても、晴臣が居てくれれば心強い。



 夜が更け、朝日が昇り、顕人は晴臣を連れて大学へやってきた。

 幸い二度目の襲撃はなく、無事に大学へ着いた。

 昨日の相談で、まず学生課に行こうかという話だった。

 そもそも学生課とは。

 学生の、大学生活における様々なことを取り扱っている部署、つまり学内の何でも相談室という印象だ。

 休学・退学などの学籍管理にはじまり、奨学金の申し込み、アルバイト・下宿の紹介、ボランティアや課外活動に関すること等。

 取り敢えず学内の生活で困ったことがあれば学生課に行けば良い。学生課で相談に乗れることは乗ってくれるし、専門の部署があればそちらを紹介してくれる。

 まさに学内の便利屋。

 平日は朝七時から夕方五時まで運営されている。

 しかしながら。

 普段は土曜日に授業を入れておらず土曜日に登校することがなかった二人は、土曜日の学生課が十時にならないと開かないことを知らなかった。


「閉まってる……」

 顕人は学生課の扉の前で項垂れる。

 何故だ、いつもはもう開いてるのに。

 二人が閉ざされた扉の前で立ち往生していると「何してんの」と聞き覚えのある声が二人を捉える。

 顕人晴臣が振り返ると、二人の後方二メートル程の場所に、昨日同様『サモエド管理中隊』のロゴ入りの紺色のツナギを着た函南彰子かんなみしょうこがいた。手にはどういうわけか、電工ドラムを持っている。一体何に使うのか。


「おはようございます、函南先輩。学生課に用事があったんですけど、閉まってて」

「そりゃあ土曜日だもの。確認してこなったの?」

「しませんでした。……先輩は今日も自転車撤去ですか?」

 晴臣が訊くと、函南は肩をすくめる。

「撤去と明後日の準備と両方。本当だったら放置自転車の件は昨日までに片付いてるはずだったのに……。おかげで中隊も大忙しよ」

 彼女は大きく溜息を漏らすが、対する二人は不思議そうな顔をするばかり。


「明後日って、何かあるんですか?」

 顕人が気になって尋ねる。

 明後日は五月三日、月曜日。ゴールデンウイークという以外の情報が何もないのだ。

 そして晴臣も顕人と同じ認識だった。

 この二人の反応に、函南は信じられないという顔で二人を凝視する。

「君たち、どれだけ学校行事に関心がないの」

「学校行事?」

「何だっけ?」

 顔を見合わせる顕人と晴臣に、函南は二人の右側を指差す。

 それは、閉ざされたままの学生課の扉の横に貼られている数枚のポスター。その内の一枚『オープンキャンパス』についてのお知らせだった。

 確かに、五月三日月曜日と大きく書かれている。

 それを見た二人は「「へえ」」と大した関心もない様子で答える。そんな彼らに函南はがっかりと肩を落とす。


「えっ、興味なし?」

「だってオープンキャンパスって此処を受験しようか考えてる人に対してのイベントですよね? 俺たちはもう生徒なんで関係ないっていうか」

「学内見学だけですよね?」

 そう口々に呟く顕人と晴臣に函南は衝撃を受ける。まさか自分だけではなく色んな人達が頑張って準備を進めるイベントに対してこれだけ淡白な反応をする生徒がいるとは。あまりのことの大きさに彼女は一瞬気が遠くなった。が、何とか踏み止まる。


「このオープンキャンパスは、未来の後輩の勧誘も兼ねて学内の色んな部活・同好会・サークルも参加するの! 現役生徒にも関係あるイベントなの……!」

 そう叫ぶのだが、彼女も途中から悟ったのだろう。

 この二人の反応を見るに、何を言っても響かない、と。その証拠の彼女の言葉は徐々にしぼんでいき、最後の方は力なく項垂れてしまった。

「あー……、うん、もういいや、じゃあね」

 函南は電工ドラムを抱え直して歩き出そうとする。

 だけどそんな哀愁が漂う背中を、突然晴臣が「先輩」と呼び止める。

 函南は面倒くさそうに、隣りの顕人は不思議そうに晴臣を見る。

 顕人は、何か函南に用があるのだろうか、と思って成り行きを見守っていたが、晴臣は唐突にある名前を口にした。


「先輩、『あんりちゃん』さんって知ってます?」


 その名前に顕人は思わず「おい」と晴臣の肩を叩く。

「何で函南先輩に訊いてるんだよ」

「だって学生課閉まってたし」

「だからってさあ」

 呆れる顕人に晴臣は「良いじゃない、駄目元だって」と笑う。

 問われた函南は「『あんりちゃん』……」と反芻するように名前を呟く。


「もしかして知ってます?」

 晴臣は目を輝かせるが、函南の表情は変わらず疲れたままだ。

「私、今日はもう君たちと話して元気がなくなったわ。これ以上は仕事する気分もなくなるならこれでさよなら」

 函南はそう言うと歩き出す。

 晴臣はそんな彼女に「えぇ、先輩?!」と叫ぶ。

 思うに、『サモエド管理中隊』の活動時間を削ってまでこの二人と話すことはないと思われたのだろう。まあ、先程は彼女たちが頑張っている活動に冷ややかな反応をしてしまったわけだし。

 とはいえ、函南の関心を引けないわけではない。

 落ち込む晴臣を余所に、今度は顕人が口を開く。


「函南先輩、『ペッパーハプニング』の続報あります」


 顕人がそう言うと、函南はぐるりと勢いよく振り返る。

 その表情に先程の疲れはなく、寧ろ爛々と輝くものがあった。

「是非聞きましょう」

 彼女は満面の笑顔で頷くのを見て、顕人は思わず、チョロ過ぎだろうこの先輩、と考えてしまった。



 学生課は図書館の真横に建物にあるのだが、三人はそれほど遠くない文学部棟に来ていた。外だと函南が他の『サモエド管理中隊』のメンバーに呼ばれて連れて行かれる可能性があったからだ。

 文学部棟なら玄関ホールにテーブルと椅子があるから落ち着いて話ができる。その上、今日は土曜日で授業を受けに来ている生徒があまりおらず、込み入った話をしても周りをそこまで気にしなくても良い。

 顕人は昨日晴臣が聞いてきた話を伝えた。勿論、話の出処が陸上部の西尾であることは伏せた。一応そういう条件で聞いてきた話であると晴臣が言っていたので。

 函南は話を聞きながら、渋い顔で頷き「なるほどねえ」とぼやく。


「バスケ部の荒瀬川先輩ねえ。確かにあの人はそういう悪ふざけやっちゃうタイプよね」

「あくまで話の又聞きなんで証拠とはないんですけど」

「でも運動部の殆どが知ってるんでしょう? すぐに証言出そうだなあ」

 函南はすぐそこの自動販売機で買った紙パックのりんごジュースを飲みながら楽しそうに笑う。その表情はさながら、犯人を追い詰める刑事のようだ。

 そんな彼女の表情を、顕人はコーヒー、晴臣はお茶を飲みながら見ている。


「俺達も『ペッパーハプニング』がどれくらいの人が計画を知ってたか知りたいんですけど、荒瀬川さんが『ペッパーハプニング』の夜に通り魔に襲われらしくて」

「えっ? ……あっ、駅前の暴漢騒ぎの被害者あの人だったの?」

「荒瀬川さんとその友達みたいです。鉄パイプで殴られて病院担ぎ込まれたって。それから休んでるみたいですよ。なので荒瀬川さんの彼女さんだって言われてる『あんりちゃん』さんに話を聞きたいんですけど」

 正直首謀者に直接話を聞きに行く勇気は顕人にはなかった。何せ『ペッパーハプニング』の犯人は皆体格が良いというではないか。力で来られて勝てる気がしない。しかも暴走族と関わりがあるというではないか。絶対に無理だ。

 だから荒瀬川の近くにいるが、まだ話が聞きやすい彼女に的を絞ったのだ。


「荒瀬川先輩の彼女ねえ」

 此処で漸く謎の『あんりちゃん』の概要が出てきて函南は首を傾げる。

「彼女かどうか知らないけど、あの人かな、荒瀬川先輩とよく一緒にいる派手な感じの人」

「多分その人です」

 顕人は、晴臣が話を聞いてきた西尾も『あんりちゃん』を『派手目の可愛いコ』と言っていた。恐らく函南の脳裏に浮かんだのもその人だろう。


「話聞きたいんですけど、どの学部の人か知りたくて。函南先輩知ってます?」

「ううん、知らない」

「ですよね」

「でも、今日の午後に学校来るんじゃない?」

「え」

 函南はりんごジュースを飲みながらそう告げる。もう中身がないのか、ストローからはずずずという掠れた音が聞こえてくる。

「今日来るんですか? なんで?」

 まさかチャンスがこんなに早く巡ってくるとは。正直ゴールデンウイークに入って次に動けるのは休み明けだと思っていた顕人としては函南の言葉に面食らう。

 函南は、もう空だと告げる紙パックを執拗に吸いながら、玄関ホールの壁を指差す。

 そこには、先程も学生課の前で見た『オープンキャンパス』のポスター。


「午後から本格的に準備始めるのよ。言ったでしょ、部活・同好会・サークルが参加するって。今回何故か荒瀬川先輩とこのバスケ部が参加するのよ。……年に何回か『オープンキャンパス』があるし、今回みたいに現役学生が参加するのも何回かあるけど、今までバスケ部って参加がなかったのよね。まあ、あそこはもうバスケ部って肩書きだけになってるし、部の中心である荒瀬川先輩もそういうイベントに積極的じゃなかったし。なのに今回はどういうわけか参加申し込みしてきたの。それも今週に入って。イベント当日は中央広場にステージ作って部活のPRタイムもあるんだけど、それにも申し込みしてたからイベント運営委員会が驚いてた」

「『オープンキャンパス』って学生自治会の仕切りじゃないんですね」

「一応イベント運営委員会がやるけど、中隊も手伝うことになってるの。人手は幾らあっても足りないから。私も参加申し込みの担当してたし。だからバスケ部の申し込みに、多分、その『あんりちゃん』が来てたから、あの人もバスケ部なのかなって思ってた。荒瀬川先輩の彼女だったんだあ」

 函南はそう言いながら何か喉に引っかかるものがあるのか訝しむように首を傾げる。


「でも、君たちの話聞いてたら妙よね」

「何がですか」

「暴漢に襲われて、どうして急に『オープンキャンパス』に参加申し込みしてきたんだろう。暴漢に襲われて参加を辞退しますってならわかるけど」

 今までこの手のイベントには参加してこなかったのに、どうして突然参加する気になったのか。それも病院に担ぎ込まれるような怪我をした後に。


「あと運営委員会の話だと荒瀬川先輩がPRイベントの順番にも希望出してきたみたい」

 函南はそう言うと、空気すら吸いきってぺたんこになった紙パックを平たく潰す。まるで増えていく謎に対しての苛立ちを紙パックにぶつけているようにも見えてしまう。


「順番に希望? そういうのって有りなんですか?」

 晴臣は不思議そうに訊く。

「割とあるわよ。明るい時間に実技を見せたいってところもあるよ。特に弓道部とか暗くなると危ないし」

「なるほど。ちなみにバスケ部はどんな希望出したんですか?」

 わざわざイベントに参加申し込みして、ステージにも参加するのだ。何だか目的がそこにあるように顕人は感じた。

 しかし函南は首を横に振った。

「そこまでは知らない。気になるなら、あとでイベントのタイムスケジュール送ってあげようか?」

「お願いします」

「了解。じゃあそろそろ戻るわ」

 函南はそう言うと、足元に置いていた電工ドラムを持って立ち上がる。

 まだ時間は九時にもなってないが、もう学生課に行く手間も省けた。

 函南から思わぬ情報を得られたのでこのまま『あんりちゃん』が来るだろう午後を待ちたい。

 そろそろ宮准教授が来ているかもしれないし、このまま上に行って宮准教授に話を聞いてもらうのも有りだろう。

 顕人がそんなことを考えていると、またしても晴臣は唐突に口を開く。


「函南先輩。『あんりちゃん』さんって身長どれくらいだったか覚えてます?」


 その言葉に、函南も顕人と怪訝そうに晴臣を見る。

 それが一体何の確認なのか、顕人には皆目検討もつかない。そしてそれは函南も同じだ。

「私よりちょっと高かったかな。多分160センチはあると思うけど……なんで?」

「えっと……午後に探しやすいかなって思って」

「ふーん」

 函南は適当な相槌で返すと「じゃあね」と言って文学部棟を出て行く。

 顕人と晴臣はその姿を見送るが、顕人は晴臣が函南にした返答に違和感を覚えたし、何となくそれが嘘であるように思えた。

 何か思う事があるのか。

 だけど何故身長?

 そんなことを考えながら、顕人はコーヒーを飲み干した。

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