第10話『諸説紛紛③-ショセツフンプン』
話を聞いた函南は「室江先輩がねぇ」と首を傾げる。
「確かにあの人、他人の悪意を読み取らないとこあるしね。故意のことも、相手が事故だったと言えば信じるタイプだし。良い人って時にして厄介なこともあるわよね」
函南はそう言いながら水を飲む。
「函南先輩はどの可能性が良いと思います?」
「別にどれでも。私は『ペッパーハプニング』の犯人に興味はあるけど、その話のメモ用紙の
そうすっぱりと函南は断るが、すぐに「でも」と言葉を続ける。
「ストーカーかはわからないけど、最近室江先輩の周囲に見るなあ『女の影』」
そう興味なさそうに呟くが、ストーカー説に賭けている顕人は顔色を変える。ストーカーではないかもしれないが、有力な話かもしれない。
「か、函南先輩。その話を詳しく聞かせてくれませんか」
「えー。私もう食べ終わったし。そろそろまた中隊に戻んないと」
「今カフェテリアで春の苺デザートフェアしてます」
「苺デザート……」
「俺、奢ります。お話聞かせてください」
そう言うと顕人は立ち上がる。
函南は「えー……じゃあ、ショートケーキ」とあまり乗り気ではないものの了承してくれる。
顕人が「ちょっと待っててください」とカフェテリア店内へ行こうとすると、突然シャツの裾を晴臣に掴まれる。
何だ、と思って顕人が晴臣に視線を向けると、晴臣はやけに真剣な顔で顕人を見ていた。どうしたのかと顕人が不安に駆られる。
すると晴臣は「アキ、僕は苺のパフェが良い」というので、シャツの裾を掴む晴臣の手を思い切り叩いてやった。
***
「どうぞ」
顕人は函南に大きな苺が乗ったショートケーキ、ついでに晴臣にパフェも頼んできた。だけど晴臣にパフェを渡す前に「850円」と促すと、晴臣は渋々という様子で財布から小銭を出した。
何故奢ってもらえると思うか。
顕人は小銭を確認してから、パフェを晴臣の前に置く。晴臣は苺がふんだんに使われているパフェに目を輝かせる。
コイツは本当によく食べるな。
口に入れた瞬間、何処か別の場所に食べ物が飛んでいっていると言われると納得してしまうレベルだ。
「いただきまーす。で、室江先輩の話だっけ?」
函南はショートケーキを掬うようにフォークを入れると、美味しそうに口に含む。
「先に言うけど、メモ用紙の君かどうかは知らないわよ?」
「でも、函南先輩はその『女』が気になったんですよね?」
顕人がそう訊くと、函南は「うーん、何かね、理由はないけど。女の勘?」と難しい顔をする。
函南がその女の存在を意識したのは、去年の後期からだ。
授業の最中、たまに誰かに見られているような感覚に襲われた。
視線の主を探すと、黒髪のメガネの女子生徒にたどり着いた。
前髪は長く顔の半分が隠れていて、表情を隠しているようにだった。流行りの服を選ぶ女子大生が多い中、どうも野暮ったい服装だった。大抵黒の服装で、季節感のない長袖ばかり。
それでも、まあ、大学って色んな人が集まるわけだし。ああいう人がいても別に驚くことではない。
だけどどういうわけか、彼女は函南に視線を刺し続けた。
もしかして自分は彼女に何かしたのか?
そんな不安が生まれたが、彼女は函南を見ているだけで声をかけてくることもなかった。それに授業が終わると、彼女は教室を出て行ってしまう。自分に用がある風もない。
ただ授業中に見てくるだけ。
そもそも見られていると思うのは自信過剰なのだろうか。
函南は、あまり気にしないように努めていたが、どうにも彼女が気になった。
ある日、函南は『サモエド管理中隊』の仕事の都合で、彼女がいる授業に遅れてしまった。
大人数用の階段教室だから、入退室をしてもあまり気にされない。
その授業は室江と一緒に取っていた授業で、函南は室江の綺麗なノートを目当てに隣りで授業を受けていた。
教室に入って室江の姿を探すとすぐに見つかったが、流石に他の生徒を避けて室江のところに言っても他の生徒に迷惑をかけるのは気が引けて、その日は端の空いている席で授業を受けた。
彼女もその授業を受けていた。
空き席の都合で、その日は彼女を後ろから見えた。
いつも見られているから、今日は自分が見てやろう。
そんな気持ちで、彼女を観察していると、彼女は室江を見ていたのだ。
前の教卓で授業をする先生には目も呉れず、彼女はただ室江を見ていた。
それを見て、函南は自分の勘違いに気が付く。
彼女は函南を見ていたのではなく、室江を見ていたということに。
「そりゃもう凄い熱の籠った視線だった。私が見られてるって勘違いするくらいだったんだから」
函南は大きく頷く。
「どんな人ですか? 僕も室江先輩と同じ授業受けてるけど、それっぽい人見たことないんですけど」
晴臣がパフェのクリームをスプーンで削りながら訊く。
函南はショートケーキを飾る苺にフォークを突き立てると「去年の後期に見たし、二年じゃない? 学部は知らないけど。三年ではないと思う」と言いながら苺を食べる。
それを聞きながら、晴臣は難しい顔をする。
「二年生なら知ってると思うけどな」
不満そうに晴臣がぼやく。
晴臣は胃袋の広さだけではなく、人脈も広い。学部を問わず知り合いがいる。顕人ともそういう繋がりだ。
とはいえ、生徒の全てを把握しているはずもない。
知らない生徒もいるだろう。
顕人は二杯目のコーヒーを飲みながら、函南が見た女子生徒のことを考えた。
「そもそも室江先輩ってその女子のこと知ってるんですか?」
顕人が訊くと、函南は肩をすくめた。
「知らない。そもそも見られてることに気が付いてなかったみたいだし。でもあの人、さっきの悪意の話じゃあないけど、女子の視線にも気が付かないでしょ? 人気あるのにね」
「確かに」
顕人は、先日文学部の二年生女子に、室江に彼女がいるのか聞かれた。
優しいし、親切で、面倒見も良いが、女子としては更にその見た目にも惹かれるのだろう。そういえばそういう浮いた話は聞かないと思いながら「悪い、そういうの知らない」と答えて目に見えてがっかりされてしまった。
知りたいなら自分で聞いてくれそういうデリケートな話は。
「でも学内でもあんまり見ないのよね。外歩いてるとこ見かけたら、中隊の人に検索かけるのになあ」
函南はそう言うが、本気でないのか、声にやる気が感じられない。
もしかしたらそれが学生自治会の活動とは無縁の事柄だからかもしれないと顕人は思いつつ「先輩がその人見たのって何の授業だったんですか?」と問う。
「なんだっけな……儒教の成り立ちの……そんな感じの授業? 学部共通で、場所はF1教室だった」
「F1教室……」
函南の言葉に顕人は彼女の言葉を確かめるように呟く。
「ごちそうさま、じゃあ私そろそろ戻るね」
丁度ショートケーキを食べ終えて、函南はトレーを持って席を立つ。
顕人と晴臣も席を立つと、深々と彼女に頭を下げた。
「話聞かせてくれてありがとうございます」
「ありがとうございます」
「いいよ別に。あっ、『ペッパーハプニング』絡みで何かわかったら中隊に情報回してね」
じゃあね。
函南はそう言うとカフェテリア店内にトレーを持っていきそのまま教室棟の方へ歩いて行ってしまう。
彼女がいなくなると、二人は再び席に着いて顔を見合わせる。
「アキ、これからどうするの?」
晴臣はグラスの底に残ったクリームを口に流し込むように傾ける。
顕人は「今、室江先輩ってこの時間、教室棟で学部共通の授業だった気がするから会いに行こうぜ」と笑う。
「一応俺たちがこの件で調べること許可貰いたいし。あと、もしかしたら、噂の熱い視線の女子がいるかもしれないしな」
そう呟くと、顕人は晴臣の返事を待つ。
てっきり彼も一緒に来ると思ったが、意外にも晴臣は「じゃあこっから別行動」と唇についたクリームを舐める。
「僕もちょっと気になることがあるからそっち行くね。後で合流する感じで」
晴臣はそう言うと、トレーを持って立ち上がる。そのまま函南同様カフェテリアにトレーを戻すと「また後で」と言いながら走っていってしまう。
残された顕人は、晴臣の行き先が気になったものの、まあ後から話しくれるだろう、と考えて席を立った。
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