第8話『諸説紛紛①-ショセツフンプン』

 西澤顕人にしざわあきと滝田晴臣たきたはるおみは、文学部の宮紡准教授の部屋を片付けで出来上がったゴミ袋を持ってゴミ集積場へ向かう。

 学内の集積場は何箇所かあるが、二人がいた文学部棟から一番近いのは食堂やカフェの建物の裏にある集積場だ。

 その集積場がこのあたりで一番大きい。

 やはり人の集まりも多いし、食堂やカフェでの割り箸や飲料容器などのゴミが大量に出る。

 今日も既にゴミを持ってこられており、可燃・プラスチック・缶瓶・不燃などにそれぞれ区分けさせた場所にゴミ袋が積まれている。

 特に可燃ゴミとプラスチックが多い。

 二人は宮准教授の部屋の片付けでまとめたゴミ袋を可燃の区画に置くとさっさと集積場を出ようとする。

 すると集積場の入口から女子がやってくる。

 眼鏡をかけた茶髪のショートヘアー。二人の知っている顔。

 文学部三年生・函南彰子かんなみしょうこだ。

 先程宮准教授の部屋で少しだけ話題に上がった、生徒自治会『サモエド管理中隊』に属する生徒だ。


「函南先輩、お疲れ様です」

 同じ文学部で、尚且つ宮准教授の授業で顔見知りである晴臣は彼女に声をかける。

 しかしながら、彼女の表情は陰鬱としていた。

 函南は、『サモエド管理中隊』が野外活動を行うロゴ入りの紺色のツナギを着て、手には大きめのビニールのゴミ袋を持っているのだが、重いのか引き摺っている。

 顕人は、その持ち方でゴミ袋破れないか、と心配になる。

 函南は晴臣に声をかけられ、陰鬱とした表情で二人を見る。


「お疲れ、滝田。……と、誰だっけ?」

「経済学部二年の西澤です」

「顔は覚えてる。宮センセのとこによくいるよね。経済学部のコだったんだ。……どういう繋がり?」

 函南は晴臣と顕人を交互に指差し不思議そうな顔をするので、顕人は「普通に友達です」と返す。彼女は「ふーん」と関心の有無がわからないような曖昧な表情でそれだけ返した。

 自分から訊いたくせに。

 顕人はそんなことを思うが、ふと彼女が持つゴミ袋の中身に視線がいく。


 ゴミ袋は半透明のもので薄らと中身が見えるのだが、それはどれも盗難防止用のチェーンのようだった。


「先輩、何ですかそれ」

 晴臣もゴミ袋を見たのか不思議そうに口を開く。

「全部チェーンロックよ。金属だからすっごい重い。不燃ゴミの区画って何処だっけ?」

「可燃の二つ隣りです」

「遠いなあ」

 晴臣の言葉に函南は大きく溜息をつく。

 確かにかなりの量だし、彼女が袋を引き摺ってきたところを見ると、本当に重いのだろう。

 顕人は気を使って「運びましょうか?」と申し出ると、函南は他学部の後輩に対して遠慮を持ち合わせていないようで「そう? じゃあお願い」と言ってあっさりとゴミ袋を差し出してくる。

 受け取るとあまりの重さに、顕人は顔をしかめる。

 よく一人で此処まで運んできたと感心するレベルだ。というか、よくゴミ袋が途中で破れなかったな。

 顕人はゴミ袋が破れないように抱えて運ぶ。

 函南はというと、重いゴミ袋から解放され幾分明るくなった表情で腕や肩を回していた。


「防犯チェーンばっかりあんなに、どうしたんですか」

 晴臣も顕人がゴミ袋を運ぶのを見ながら、どうして彼女があんなものを持っていたか不思議に思い尋ねる。どう見ても、あの全てが彼女の持ち物であるとは思えない。


「あれ? あれはこの間の放置自転車一斉撤去で回収したときのゴミ。チェーンしてりゃあ持っていかれないと思ったら大間違いよ」

「あー、そういう……。集めた自転車ってどうするんですか」

「中隊長はリサイクルショップに売っぱらって、学内の緑化団体に寄付するって言ってた。寄付って響きが良いわよね」

「へえ」

 誇らしげに笑う函南に、晴臣は乾いた返事をする。

 そしてそれはゴミ袋を不燃ゴミの区画に置いて戻ってきた顕人も同様だった。

 以前宮助教授が話していたが、『サモエド管理中隊』内で、緑化団体に寄付、という文言は隠語で、実際は学生自治会の裏帳簿に溜め込まれているという意味合いだそうだ。

 それは『サモエド管理中隊』の上層部しか知らないのだろう。その証拠に、函南は自分の活動が、よくは知らないが慈善団体の活動に使われているというのが誇らしいのだろう。

 何も知らないとは幸せだ。

 顕人と晴臣は口を噤んで曖昧に笑う。

 というか、どうして学生自治会に所属してない自分がそんなことを知っているのかと悲しくなる。

 二人の会話を聞きながら顕人が戻ると、函南は「ありがと、助かったよ」と笑った。


「どういたしまして。……放置自転車ってあれで解決なんですか?」

 工学部付近の一斉撤去から一週間近く経っているが、あのゴミ袋を見るにまだ問題の解決に至っていない気がして顕人は函南に訊いた。

 そしてその予感は的中していたようで、函南はガクリと肩を落とした。


「それが工学部の学生を中心に『自転車愚連隊』なる組織が作られて」

「うわあ」

「この大学には阿呆な団体名をつけないといけない決まりでもあんのか」

 函南の口から飛び出した謎の団体名に、晴臣は呆れ、顕人は思わず率直な感想を述べる。

「名前はどうでも良いの! 問題は奴らの活動!」

 函南は話の腰を折られたことに口調を荒げる。二人は黙って話を聞く体勢に戻るが、顕人は内心、『サモエド管理中隊』という名前に惹かれて学生自治会に参加している函南が言っていい台詞じゃないだろうと思うが、そんなことを口にすれば彼女を更に激高されるのは目に見えて言葉を飲み込む。


「奴ら、放置自転車の駐輪場を作って回ってるのよ」

「駐輪場?」

「駄目なんですか?」

 そもそも学内にある駐輪場は、正門と裏門にあるものだけだ。そこそこの広さではあるが通勤・通学用に作られたものであるから敷地の端にあり、学部棟などからは遠い。学部の移動は徒歩を想定しているため、それぞれの学部棟に駐輪場など存在せずその結果が学内への自転車の持ち込み、そして放置自転車と違法駐輪問題だ。

 それなら駐輪場を作るのはある意味解決策なのでは、と思わなくもない。というか、顕人と晴臣はそう思った。

 しかし学生自治会『サモエド管理中隊』はそれを良しとはしないようだ。


「駐輪場って言っても歩道に白線引きで線引いてるの。そこに移動に使った自転車を並べてるの。歩道に、自転車を、並べてるの。しかも何十台も。通行の妨げだし、既に苦情があがってる」

 函南は面倒くさそうに説明をくれる。

 歩道に白線。

 そういえばここ最近、学内に張り巡らされているレンガ調の歩道に白線が何本も走っているのを見たがあれがそうだったのか、と顕人は納得する。

 白線はまるで水でもかけられたように滲んで消えかけているものばかりだったから『サモエド管理中隊』が自転車を撤去させた上、白線を消そうとしたのだろう。

 学内自治のために本当によく働くものだ。


「白線を消してもまた別のところで駐輪場ができあがる。もうイタチごっこになってきたわ」

 何か良い方法ないからしね。

 函南は首を傾げて溜息をつく。


「でもやっぱり駐輪場を学部棟毎に作るのは駄目なんですか? そしたら違法駐輪も放置自転車も解決すると思うんですけど」

 晴臣は得意気に語る。

 顕人もそれが手っ取り早い気がするが、それで済むなら『サモエド管理中隊』がその方向で動き出してるはずだ。何かそうできない理由があるのだろう。そう考えていると函南がそれについて説明を始める。

「そもそも学内で自転車に乗るっていう想定がされてないの。学内の道は全部歩道。歩くためのものだもの。そこを自転車が猛スピードで移動するの。接触事故も何件も起きてる。スピード出すなって注意喚起はしてきたけど、授業に遅れるとかそういう理由でやっぱり減らない。だからウチが強制執行に出たってわけ」

「難しい話なんですね」

 晴臣は渋い顔で首を振った。

 それにしても、まさかこっちは怪我人が出ているとは。

 放置自転車と甘く見ていたが、そりゃあ『ペッパーハプニング』より優先されるわけだ。この分だと、まだまだ自転車闘争は続きそうだと顕人は感じた。


「これじゃあ悪戯の捜査はまだまだ先になりそうだね」

 晴臣は顕人に目配せしてぼそりと呟く。

 そうだ、この先輩は例の『ペッパーハプニング』に関心があり、そっちを調べに行きたいと嘆いてたと宮准教授が言っていた。

 彼女なら、もしかすると室江の悩み解決に役立つ話を持っているかもしれない。

 だけど今の自転車闘争の話を聞くに、そちらが忙しそうだ。

 話を聞くのは遠慮した方が良いだろうか。

 顕人がそう思っていると、函南は「何? 何の話?」と怪訝そうする。


「先週起こった『ペッパーハプニング』です。僕たちちょっと調べてて」

 晴臣がそう答えた瞬間、函南の顔色が変わる。

 まるで青いリトマス試験紙が一瞬で赤くなるようだった。

 沈んだ顔から突然爛々とした明るい表情へと変わる。

 それを見て顕人は、あっヤバい気がする、と察する。大して親交のない先輩であるが、何故か危険を察知した。

 顕人の脳裏に、逃亡、の二文字が浮かぶが、それを阻止するかのように函南は二人の腕を掴む。


「その話! 聞きたい?!」


 先程までとは比べ物にならない高いテンションと声色に顕人はやや引いてしまうが、晴臣は「聞きたいです!」と素直に返す。

 すると函南は頬を緩ませて「そう? しょうがないなあ」と笑う。


「場所! 移動しましょう! 長くなるからカフェテリア行きましょ!」

 函南はそう言いながら、二人の腕を引っ張り歩き出す。

 恐らく、この件についての話を誰かに聞いて欲しかったのだろう。

 宮准教授に愚痴をこぼしたくらいだ。

 晴臣は「良いですね、何頼もうかなー」と暢気に笑うので、顕人は今だけ晴臣の能天気な思考が羨ましいと思えた。

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