第19話 不審者の苛立ち
紺色の野球帽を目深にかぶり、黒のサングラス、口元は大きめのマスクをしていて、表情はまったくわからない。
まるで強盗みたいな奴が店内に入ってきた。おいおい、まじか。
不審者はなんだかせわしなく、周囲を見渡す。えっと、まさか加奈なのか……!? いやいや!? そんなわけないだろっ! なんでこんな怪しい格好をする必要がある。動作もおかしいし。それに服装も違う。
ライトブルーの細身のジーンズに、五分袖の白のTシャツとシンプルな装い。加奈のスカートコーデとは違って、ボーイッシュな感じだ。
俺は緊張しながらも、不審者をまじまじと見る。すると、強盗犯みたいな奴がゆっくりと片手を動かした。俺の喉が思わず鳴る。
細身の白い腕が持ち上がり、細い指先がでっかい黒のサングラスに触れた。
チラリ。
サングラスを少しずらして、鋭い目線がこちらに向く。こ、怖え……。
値踏みするかのように、じっくりとこちらを見てくる。なぜかわからないが、敵意みたいなのを感じる。嫌な気分だ。でも、そのおかげで、今正面にいる奴が加奈じゃないことに確信を持てた。
互いにしばらく様子を見ていると、先に不審者が動いた。俺のいるレジカウンターを早足で通り過ぎていく。何をする気だ?
奴の行動を目で追う。店内の右角奥まで行くと、左に曲がった。
あっ。
本棚で隠れて見えなくなる。まずい気がした。万引きをするかも知れないと思ったからだ。でも、そんな心配は必要なかった。
ひょこっ。
小動物みたいに本棚の陰から顔半分だけ出して、奴がまた俺のことを監視し始めたからだ。
ジトーッ、ジトーッ、ジトーッ。
黒いサングラス越しからでも分かる、粘着質な視線が俺に遠慮なく注がれる。うぐっ……。すごく落ち着かない!! なんなんだ……!? あの不審者!! すごく捕まえたい。それで問いたい。何しに来たんだと。
でも俺はなんとかその衝動を抑えこむ。だって、ただこっちを見てるだけだし。奴は別に悪いことはしてないからな……。う~ん……、こんなことなら、万引きとかしてくれた方がまだやりやすいのに。
俺のことをガン見してくる不審者に、頭を悩ませる。
どうする? このまま、放置するか? ……それはダメだ。あんなのが店にずっといたら、お客さんの迷惑になるだろっ。落ち着いて買い物なんてできない。それに、加奈もすごく不安な気持ちになるはず。これ以上、加奈を困らせるようなことを増やしたくない……。追い出すなら、今しかない!
座っている態勢から前のめりになる。立ち上がる準備を整え、心の中でカウントダウン。いくぞ、3、2、1――、
「ただいま」
「どわっふっ!? うおっ、とっとぉ!?!?」
突然聞こえた声に驚いてしまって、体のバランスを崩した。視界が大きく傾くなかで捉えた。あっ! か、加奈!?
大きく目を見ひらいて、驚いている顔だった。パッと、俺の視界がレジカウンター内に変わる。盛大にこけてしまった。パイプ椅子が床に打ち付けられ、甲高い金属音が響く。そして、右肘や腰に鈍い痛みが走る。
「っつ!? くぅーっ!?」
「た、太一くん!?」
床に転げた状態で、視線を慌てて上に上げた。あっ。
加奈が、俺の近くに駆け寄ってきた。かと思うと、急にしゃがんだ。ふわっと、微風が俺の頬をなでる。そして加奈の顔が目の前に。ち、近い!? それに、なんか、甘い香りが!? お菓子みたいな―――、って違う違う! あほか俺は!?
淡くて綺麗な色の唇が、大きく開く。
「大丈夫!? 太一くん……!」
「へっ!? あ、ああ! だ、大丈夫っ」
「ほんと? でも―――」
そう言いながら、身を寄せてくる加奈。同時に、細身の手を俺の方に伸ばしてきた。俺の右腕にそっと触れる。
なっ!? 加奈……!?!?
細くて綺麗な指が、俺の肌に触れる。ほんのり温かい指先に、優しい感触。胸の奥が大きくざわつく。もう、床に打ち付けた痛みなんて分らない。一気に吹き飛んだ。
「どこもケガは……!? ……うん、無いみたい。はぁ~ 良かったぁ」
嬉しそうに笑う加奈。頬は無防備に緩んでいて。思わず見入ってしまった。すると、加奈がそっと手を差し出す。えっ? なんだ? 急に。
俺が不思議そうにすると、加奈が自然に告げる。
「手」
「えっ? 手?」
「うん、出して」
えっと……こう、か?
遠慮気味に右手を前に出した。すると、加奈に捕まれた。やわらかい手の感触。うおっ!? えっ!? うおっと!?
脳内でテンパっていると、グイッと手を引かれた。俺は慌てて手を引かれた方へ、立ち上がる。そう、加奈の正面に。互いに向き合っていた。俺の頭一つ分背が低い加奈が、少し見上げるように顔を上げる。
「もうびっくりしちゃったよ。ほんと」
「えっ!? えっと……、あっ、こ、こけたことか?」
「うん」
大きく頷く加奈。そして急に、申し訳なさそうに表情を歪める。
「その、ごめんね。驚かせちゃって……」
「へっ!? いや、そんなこと全然ないぞっ……!?」
「ううん。だって、私が急に声かけちゃったから……」
「いや、それはその……、ちょっと考え事してて……」
「あっ、やっぱりそうだったの?」
「えっ? やっぱり?」
俺が不思議そうに尋ねると、加奈が小さく頷く。
「うん、太一くん、顔がすごく険しかったから……」
「えっ……!?」
そうだったのか……!? 全然そんなつもりはなかったんだけど。
「ねえ、太一くん」
「んっ!? お、おう、どうした?」
「もしかして……、考え事って、私のこと?」
「へっ!? か、加奈のこと!? どうして!?」
突然の問いに慌てていると、加奈が少し弱気な声で返した。
「その……、今日、色々と迷惑かけちゃったから……、怒ってるのかなって……」
「なっ!? ち、違うって!? そんなこと、全然ないから!? その、あれなんだ、違うこと考えてたから!!」
「そう、なの?」
少し疑いながら聞いてくる加奈。ほんとだって、信じてくれ! 俺は誤解を解きたくて、声を張った。
「おう! 不審者について考えてたとこだったんだ」
「えっ!? ふ、不審者?」
加奈が急に目をキョトンとさせる。まだ、疑ってる様子。あともう一押し! 胸を張って指を差した。
「おう! あそこっ」
「えっ? あそこ?」
加奈が後ろを振り向く。その先には―――、
強盗犯みたいな恰好をした不審者が、本棚に顔と体を半分隠して、こちらを覗いていた。目にかけている黒いサングラスが、不気味に鈍く光る。
加奈が振り向いたのに気付くと、慌てて隠れた。あっ! もう少し顔だしとけよ! 加奈の誤解がとけないだろっ。
「た、太一くん……!?」
「ん?」
加奈の緊張した声。視線を戻すと、加奈が顔を引きつらせていた。あ、あれ!? 加奈!? どうした!?
「ね、ねえっ」
加奈が急に小声で話し出す。
「ど、どうするの!? け、警察とかに連絡!? あっ! でも、こ、こういうのって、刺激しちゃまずいのかな!?」
「あっ」
加奈の慌てた様子を見て、俺は自分の失態に気づいた。しまった!? つい焦ってほんとのことをそのまま言ってしまった!? ここは普通隠すとこだよな!?
そう悔やんでも遅かった。加奈の手が若干震えているのが分かった。
「あ~くそっ、やっちまった……」
「なに!? もうなにかあったの!? 大丈夫!?」
加奈が心配げに詰め寄ってくる。わわっ、ち、違う違う!
「なんもまだ起きてないから! 大丈夫! お、落ち着け! 加奈!」
俺は加奈を宥めながら、視線を不審者に向けた。すると―――、
ギリギリギリ!! グググッ!!
不審者が隠れている本棚から身を乗り出し、すごいどす黒いオーラを出していた。両手で本棚を握り潰さんばかりに、力を込め、爪を立てている。おいおい!? なんで急にそんな粗々しい感じになってんだよ!?
もうすぐ何か起きそうな、事件の香りが一気に立ち込め出している。
「ど、どうしたの!?」
「わっ!? か、加奈、振り向いちゃ―――」
だが、言う前に加奈は振り向いてしまった。加奈の体の動きがピタッと止まる。かと思うと、首をぎこちなくこちらに戻す。そして、俺の顔を見つめてた。頬が引きつっていた。
「た、太一くん……!? なんかあの人、すごく怒ってない……!?」
「だ、だよなっ……!」
互いに小声で話し合う。俺はちらりと、また不審者へ目を向ける。い、いかん、なんかさっきよりも怒り具合が増している。
きゅっ。
んっ!?
俺の右手に少し強い力がかかる。目をむけると、加奈に手を握られていた。あっ、さっき立ち上がる時、握られてそのままだった。
「どうしよっ……? 太一くん」
不安げな声音にハッとした。そりゃ、恐いよな。
こんなことになったのは、俺のせい。だから、しっかりしないと。
ぎゅっと、加奈の手を握った。
「た、太一くん!?」
「加奈! とりあえずこっちに!」
加奈の戸惑う声を耳にしながら、俺らはレジカウンター内から離れる。加奈の手を離さないように握り、そのままバックヤードに逃げ込んだ。
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