第17話 空回りと罪悪感
風花姉の喫茶店に入ると良い香りがした。頭の中でふわっと、何か美味しそうな食べ物を想像してしまう。また、ほのかに感じるコーヒーの香りも心地良い。空腹感を刺激される。まあ、もうお昼だからな。
周囲を見渡すと、4つあるテーブル席のうち、2つはお客さんがいる。テーブルの上には、サンドイッチやパスタ……、旨そう。
「ねえ、太一くんっ」
「んっ……?」
不意に加奈に呼びかけられ、口の中を満たしていた唾液を慌てて飲み込んだ。チラリと顔を向けると、テンション高めの加奈がいる。ああ、もしかして、俺と同じこと考えて――、
「すっごく、可愛いよねっ!」
「へっ……!? か、可愛い……?」
俺は困惑した。可愛い……、パスタが? いやいや、んなわけあるかっ。
「え、えっと、加奈、その、か、可愛いって……?」
「ん? えっと~、あっほら! 天井の照明とか、それに、あのカウンターとか! すっごく良い感じっ」
興奮気味の加奈にそう言われ気づいた。店内の内装のことか。恥ずかしさをごまかしたくて、俺も加奈と一緒に、見慣れた店内の風景を眺める。
学校の教室の、四分の一ほどの広さ。
乳白色のフローリングが、窓から入ってくる夏の明るい日差しに照らされていた。床全体が綺麗で淡い光を発しているみたいに見える。木の風合いを生かしたベージュ色のテーブル席やカウンターもその光に照らされ、優しい光沢を発していた。天井には、丸いフォルムの白熱電球。暖かみのある光が店全体を包んでいる。落ち着いた空間ながらも親しみやすい空気感に、どこか気持ちが安らぐ。
そわそわ。
ん?
そんな店内で、ふと俺は気付いた。横にいる加奈が、落ち着きがないことに。
どうしたんだ? あっ。
加奈の片手にはスマホが握られていた。ああ……、そういうことか。
俺はつい苦笑した。
「加奈。写メ撮りたいなら撮って良いぞ」
「へっ!? いや、その! えっと……っ」
そう言って、スマホを腰の後ろ辺りに隠す加奈。いやいや、そんな恥ずかしがることもないだろ。
「くくくっ」
「あっ! な、なんで笑うのっ!?」
「だって……、くくっ、素直に撮れば良いだろ」
「も、もうっ! そ、そんなんじゃないから!」
なぜか誤魔化そうとする加奈。くくっ、おかし過ぎる。
「へぇ~、じゃあさっき店の外で写メを撮ってたのはなんだったんだ、くくくっ」
「うぅ~! も、もう!! …………、バカっ」
「んっ?」
いきなり加奈が、膨れた顔で言い放った。なぜか目が少しつり上がっている。おいおい、なんだよ、そんな怒ることじゃないだろ。写メ撮ったら良いって、せっかく助言してあげたのにだ。……わけがわからない。
「たくっ……、いきなりバカはないだろっ、バカは」
「ふんっ、……、バカっ」
「ぐっ……。この意地っ張りめ……」
「なっ!? そ、そんなんじゃないしっ!」
「ははっ! どうだかなっ」
「「うぐぐぐっ……!」」
加奈のムッとした顔。たく、そんなに怒んなよ。もっと素直になればいいのに。喫茶店の外で、楽しそうに写真撮ってた時みたいにさ。その方が、可愛いのに。
……えっ? 急に、俺の鼓動が早くなる。
か、可愛いって……、お、俺は、な、何バカなこと思って。
あっ。
気づけば、俺と加奈は顔を寄せ合っていがみ合っていた。加奈の小さな鼻からは荒い息が微かに聴こえる。キュッと引き締められた淡い桜色の口元はちょっと怒った感じで、それがなんだか子どもっぽくて、あどけない。そんな加奈も、かわ――、いやいやいや、ちょ、ちょっと、待て。そ、そうじゃない、そうじゃないだろ。
頬が熱くなる。もしかしたら、赤くなってるかもしれない。目の前にいる加奈の頬も赤みがさしていてが、加奈の方は、ちょっと怒ってる感じだから。俺とは全然意味が違う。
俺は、もう、今は純粋に、加奈と顔を近づけ合ってるこの状況が―――、
パシャ。
「「えっ?」」
突然のシャッター音に、俺と加奈は、同時に疑問の声を上げていた。写メを撮った音。加奈が撮ったのか? いや、それはない。だって、加奈は今スマホを隠している。じゃあ、誰が? ……ま、まさか。
パシャ。
また聞こえたシャッター音。俺は慌てて聞こえた方へ視線を向けた。そこには―――、
ニヤリ。
風花姉が満面の笑みを浮かべていた。
さ、最悪だっ……。
「ふ、風花姉……っ!」
俺は慌てて風花姉に詰め寄った。風花姉が手にしているスマホを奪うために。絶対、写メを消すっ!!
「ふふっ♪ 甘いっ、太一! いろんな意味でねっ! よっとっ」
スカッ。
俺の右手が空を切った。ぐっ! こ、この!! なっ!?
風花姉が、自分のスマホを、身に着けていたエプロンの内ポケットにしまった。そこは、胸ポケットなわけで。そんなところに手をだせるわけがない。
「んん~? まさか、とろうなんて思ってないわよねぇ~? た・い・ち♡」
トントン、と風花姉が胸の内ポケットをイタズラに叩く。ぐっ……!
「きっひっひっ~、そんな恐い顔しても無駄よ~♪ あっ、ほらほら、加奈ちゃんも! こっちきなさ~い」
風花姉が楽しそうに手招きした。
「は、はいっ!」
俺の背中越しに、フローリングを少し慌ただしく駆ける足音が。加奈が、近寄ってくる。俺の全身が急に固くなる。お、落ち着け。
小さく深呼吸して、なんとか気持ちを整えた。
俺のそばに来た加奈が、恥ずかし気にお辞儀をする
「こ、こんにちはっ。ふ、風花……お姉ちゃんっ」
すると、風花姉が加奈に優しく笑った。
「こんにちはっ、加奈ちゃん。来るのすごく楽しみにしてたよ~」
「いえいえ! そ、そんな。えっと、私もすごく楽しみにしてましたっ」
「ふふっ、そっかそっか~、そりゃあ嬉しいねっ。どう? 私のお店、気に入ってくれた?」
楽し気に微笑んだ風花姉に、加奈が明るい声で答える。
「あっ、はいっ! その、とっても、可愛いですっ」
「おっ! でしょでしょ~! いや~、結構内装こだわってからねっ」
上機嫌の風花姉。相変わらず単純だな。加奈に店の内装について嬉しそうに説明しだしてるし。しまいには、ネコっぽい変な置物とか、店内にある風変わりな小物も自慢し始める。たく……、でも加奈は……、コロコロと楽し気な笑みを見せながら、風花姉と話している。さっきまでのふくれっ面が、嘘のよう。まあ……、機嫌が良くなって良かった。
加奈があどけなく笑う。緩くまとまった黒髪が小さく揺れる。艶のある黒髪が少し耳元にかかると、加奈が指先でそっと触れた。白くて細い指先。絹のような黒髪をふわりと持ち上げ、耳元にそっとかける。
流れるような一連の動作に、思わず見入ってしまった。なんだか、綺麗―――、
「でも、加奈ちゃんの可愛さには負けちゃうかなっ! ねっ、太一っ」
「えっ……!?」
急に風花姉がしゃべりかけてきた。俺の心音が大きくなる。今、風花姉、なんて言った?
「ん? 太一? あんた何固まってんの。私の話、聞いてた?」
風花姉がそう言いながら、俺の肩を小突く。おい、ちょっと、やめろ。俺が怪訝な顔をすると、風花姉が口元に笑みを浮かべた。な、なんだよ。
「も・し・か・し・て、加奈ちゃんのこと、じーっと見てて聞いてなかったなあ?」
「っ……!?」
俺の鼓動が一気に荒ぶる。なっ、何言ってんだ風花姉……!? そんなことあるわけない……! って感じでもないが――、って、結局どっちなんだ……!?
「まあ、しょうがないか。加奈ちゃん、可愛いもんねっ?」
俺の目を見て、問うてくる風花姉。うっ!? べ、別に俺は、可愛いとか、そんなこと……、一瞬、綺麗とは思っただけで……、って違う、違う! そ、そういうことじゃないだろ!
俺が黙りこくっていると、風花姉がにやりと笑う。嫌な予感がする。すると、風花姉が近くにいる加奈の両肩を掴んだ。そして、俺の正面近くにぐいぐいと押し出す。お、おいおい、何してんだっ……!? 風花姉……!
「えっ!? あ、あの!? ふ、風花お姉ちゃん!?」
加奈が驚きの声を上げる。そりゃあ、そうなる。
「ほらほら~、ちゃんと見なさい太一。もう、普通に可愛い過ぎるでしょ」
「なっ!? お、おい、風花姉っ……!」
何故か自慢げに言う風花姉に、俺は抗議の音を上げる。だが、それは聞き入れてくれない。
「もう~、普通に可愛いんだから、素直に可愛いって言えばいいじゃない。ねっ? 加奈ちゃん」
「へっ!? いや、あの私は!? そ、そんなこと……、ないというか」
「いやいや、そんなことあるって。ねっ? 太一?」
「いや、俺は……」
あっ……。
加奈の丸くて綺麗な瞳が、俺を捉えた。緊張の色がうかがえる。でも、どこか興味あるような色も。俺は、思わず目線をさまよわせてしまった。変な焦りがこみ上げてくる。加奈に言うべきことは分かっている。だが、そ、そんな、普通に言っていいものなのか。もしそのせいで、加奈に変な勘違いをさせてしまったら……、困る。俺は、加奈と……、普通の関係を望んでいるんだ。だから――、
俺は、ゆっくりと口を開いた。
「別に、何も思っていない」
すごく平坦で冷たい声音だった。自分でも分かるくらいに。加奈の表情が一瞬、暗くなったように見えた。なんだか、胸の奥が嫌にざわつく。
急に、周囲が静かになる。居心地の悪い静けさ。すると、風花姉が少し早口でしゃべり出す。
「ちょ、ちょっと、太一。なに? その冷たい感じ」
思わずイラッとした。言われなくても、分ってるよ。誰のせいだと思ってんだ。……、くっ。
「別に……。あと、ごめん。ちょっと、仕事思い出した。まさやんの本屋に戻る。昼飯は……、今日はあっちで食べるよ」
「えっ!? ちょっと、太一!」
風花姉の驚く声と同時に、俺は背を向けていた。早足で、喫茶店の出口に向かう。今、この場から離れれば、理由はなんでも良かった。
くいっ。
えっ?
服の袖が引っ張られる。喫茶店のドア付近で振り返ると、加奈がいた。緊張で、俺の頬が少し引きつる。
「太一くんっ……! わ、私も手伝うよ?」
「いや……、いい。加奈は、お昼、ここでゆっくりしといてくれ」
ほんとは、何も仕事なんてないんだ。ただ、俺のわがままだから。でも、加奈はそんなこと知るすべ何てない。
「そ、そんな、悪いよ」
「いいって。気にしなくて。たいした仕事じゃ、ないから」
「で、でも……、あっ! ほ、ほら! 2人でやった方が仕事早く終わるかもだしっ。ねっ?」
「だから……、いいって! 俺が1人でやった方が早く終わるっ」
食い下がる加奈に、思わず苛立ってしまった。し、しまった。俺は何で、きつく加奈にあたって――、あっ。
気づいたときには、加奈は悲し気な表情をしていた、そして――、言葉をこぼした。
「そ、そうだね……。今日は、太一君に迷惑かけてばっかだし……」
その言葉を聞いて思わずハッとした。い、いや、そういうことじゃないんだ。別に今日の加奈の仕事のミスについて責めるような感じで言ったんじゃなくて。
俺の袖を持っていた加奈の手の力が抜けていく。そして、弱々しく離れていった。その瞬間、ああ、もう手遅れなんだと、感じてしまった。それでも、つい言わずにはいれなかった。
「ご、ごめん……」
加奈の返事は――、ない。
「……、風花姉っ。加奈のこと頼む」
俺はそう言い残して、急ぎ足で、まるで逃げるように、風花姉の喫茶店から出ていった。
喫茶店の扉を開けると、夏の熱い空気が俺の身を焦がす。まるで裁かれている気分だった。
加奈への罪悪感を胸にため込んで、俺は一心不乱に、まさやんの本屋さんへ、逃げ帰ることしか出来なかった。
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