第6話 太一と加奈

 俺は、『準備中』と書いた張り紙を、店のドアに急きょ貼りつけた。激しい鼓動で体が振動するなか、レジカウンターの方へ歩みを進めていく。気配を察したのだろう、パイプ椅子に座っている加奈が、こちらに体を向けた。

 白シャツに、スキニータイプの水色のジーンズ、乳白色の薄手のカーディガンを羽織っているその姿は、とても清楚で大人な雰囲気だった。濡れ羽のようにしっとりとした綺麗な黒髪がよく栄える。体型も小学生のころとは全く違う。均整の取れた体付はモデルみたいで、その……、めりはりがある。


「えっと……、太一くん?」


 少し戸惑う声に、思わずハッとする。俺はいつの間にか立ち止まって、加奈を凝視していた。な、何してんだ俺は。


「ご、ごめん……」

「う、ううん……」


 加奈は頭を小さく左右に振る。頬にほんのり朱が差していた。俺の心音が跳ねる。恥ずかしさと緊張が混じり合い、加奈に近づきがたい。だが、それでは困る。加奈には色々と聞きたい事があるんだ。

 なんとか、加奈のそばまでたどり着き、側に置いてあるパイプ椅子にゆっくりと腰を下ろした。

 俺と加奈は、互いに向かい合う。

 端整な顔立ち。小学生の頃は丸みをおびたフェイスラインだったのに、今は流麗でどこか引き締まった綺麗さを讃えていた。きめの細かい白い肌に、均整の取れた眉、くっきりとした目鼻立ち、そして、薄い唇に淡く色づく、桜色。

 たった4年と少しで、こうも変わるものなのか。

 俺の手のひらが緊張で汗ばむ。


 「「…………」」


 まずい、どちらも声を出さない。さっきから、視線を合せては慌てて外したりを繰り返している。

 何かしゃべろうにも、頭が上手く働かない。話題なんていくらでもあるはずなのに。俺はただ加奈を見降ろすばかりで。ふと、背の低い加奈を見て、身長は小学生の頃とそう変わらないのかも、と思った。


「背」


 俺がやっと繰り出した一言に、加奈が不思議そうに小首を傾げる。


「せ?」

 

「あっ、いや! その、身長がさ、小学生の頃とそう変わってないのかなって思って、つい……」


 俺があたふたしながら説明すると、加奈の瞳がきょとんと丸くなる。あれ? 一体、どうしたんだ?

 

「ふふっ、あははははっ!」

「ええっ!?」


 急に加奈が楽しそうに笑った。俺、なんか変なこと言ったのか!?


「あっ! ご、ごめん、急に笑っちゃって。あのね、太一くんから見たら私、あんまり背が伸びてないように見えちゃうな~って思って。ふふっ」


 加奈は可笑しそうに目を細めた。ああ、その柔らかな表情は、俺が知っている加奈だ。小学生の、無邪気なあの頃と変わらない懐かしい表情。つい、心が弾んだ。俺は、どこかホッとした気持ちで、改めて加奈を見つめる。背、だいぶ伸びてるじゃないか。俺の背が高くなり過ぎて、一瞬そう見えただけ。


「あはは……、俺、なにバカなこと言ったんだろ、ごめん」

「ううん、その気持ちすごくわかるよ、太一くん、すごく背のびたもん。後ろ姿からじゃ、誰か分らなかったし。でもね、こっちを振り向いた時、あっ、太一くんかも、ってそう思っちゃって。つい名前呼んじゃった」


 そう言って加奈は、少しはにかんだ。頬がほんのり赤みを増しているのは、気のせいだろうか。


「いや、お、俺も、一瞬誰か分らなかった。でも、面影があったからさ、それで俺の名前を呼んでくれてから、はっきりしたんだ。目の前にいる綺麗な人が、加奈だって」


「へっ!?!? キ、キ、キレイ……!?」


 加奈が上ずった声で俺を凝視する。顔が急激に赤くなっていった。

 お、俺は、ば、ばかなのか!? き、綺麗だなんて、久しぶりにあった幼馴染に、そんなこといきなり言う奴があるか!? 


「か、加奈!! い、今のは、ち、違うんだっ!!」

「へっ!? ち、違う!? も、もうっ!! ど、どういうことっ!?」

「いや!? あ、あの――」


『ルルルルルルルルルルルルルルルルッッ‼‼』


「「いひゃっ!?」」


 いきなりタブレットから着信音が鳴り響いた。画面には『まさやん☎』と表示されている。

 

 俺は慌ててレジカウンターに置いてあるタブレットを手に取り、応答ボタンを押した。


『おっ! 繋がった! 繋がった~!』

「「ま、まさやん!!」」


 画面に満面の笑みが、どアップで映っていた。後ろにはキレイな砂浜が移っている。沖縄の海だろうか。いや、今はそんなことどうでもいい。

 加奈と俺が声を荒げたあと、まさやんは嬉しそうに口を開いた。


『はいさ~い♡ 太一、加奈ちゃん~』


 な・に・が、はいさ~い♡ だっ!! こっちはそれどころじゃ――、


「は、はいさ~い」

「ちゃんと挨拶すんのかよ!?」

「へっ!? だ、だって! 『はいさい』って、沖縄の挨拶でしょ?」

「いやそうだけど!? てか呑気に挨拶してる場合じゃないだろ!!」

「な、なんでちょっと怒ってるの!! も、もうっ!!」

「へっ!? いや、そ、そんなつもりはなくて!?」


『あはははっ!! 2人ともさっそく仲良くやってるなあ~♡』


「「どこが!?」」


 加奈と俺が画面に詰め寄る。すると――、


『カシャリ』


「「へっ!?」」


 急に聞こえたシャッター音に、俺らは戸惑う。すると、まさやんがニヤリと笑う。何やらごそごそと操作している雰囲気がある。嫌な予感しかしなかった。

 

 ピコン! と何やら着信音。添付ファイル? おい、これってまさか。


「あれ? なにこれ?」

「か、加奈!? ちょ――」


 言うが遅し。加奈が添付ファイルのアイコンに触れると、画像が展開された。

 加奈と俺が顔を真っ赤にし、詰め寄っている様な画像だった。さっき、まさやんの映った画像に、顔を近づけた瞬間を撮られたのだ。俺と加奈の真っ赤な顔が、横に並んでいる、とても近い距離で。まさやんの野郎!! 遠隔操作で撮ったな!?


「へっ!? ちょ、ちょっと!? なにこれ!?」


 加奈が口をパクパクとさせながら、俺の服の袖をしきりに引っ張る。顔は真っ赤で、俺との距離を詰めてくる。や、やめろ! 俺もテンパっているんだから!! そんなことされると余計緊張するだろ!? 

 

 そんな俺らに、まさやんがさらに追い打ちをかける。


『2人とも!! 今日から2週間、店番よろしく頼むね~♡』


「「はっ、はい~!?」」


『うんうん、2人とも良い返事だねぇ♡』


 感心しているまさやんに、俺らは声を荒げた。


「か、加奈と一緒に店番するなんて、き、聞いてないぞ!?」

「わ、私も!! 店番を一緒にする人が、た、太一くんって、き、聞いてないよ!?」

『そりゃそうさ~、今初めて……、言ったもの♡ 忘れてたの、めんご♡』


 なぜか恥じらう、まさやん。こ、この野郎……!! 絶対わざとだろ!!


『マサヤ~ン、ハヤク~。イッショニ、ビーチバレー♡』

『ごめんね~! ステファニー!! 今すぐ行くから!! コホン、2人ともすまない、大事な急用ができた。もう切るね』

「待て待て待てッ!? ビーチバレーは絶対どうでもいい事だろうがッ!! あと誰だ!? ステファニーって!?」

『加奈ちゃん』

「へっ!? は、はい!!」


 まさやんが俺を無視して、加奈に話しかける。


『店での仕事は、太一から色々教えてもらえば良いからね。安心して』

「へっ!? あ、は、はい! で、でもいきなりこんな――」

『太一』

「なっ!? なんだよ!? てかまだ加奈がしゃべって――」

『加奈ちゃんのこと、よろしくな』


 優しい笑みを浮かべ、俺に言ってくれた。そのなんとも言えない表情に、戸惑ってしまった。

 すると、まさやんがタブレットを操作する仕草が見えた。あっ! やばい!!


「ま、まさや――」

『またや~さい♡』


 タブレットの通話が切れた。あ、あの野郎ッ!!


 急に静かになる店内。冷房の働く音だけが妙に鼓膜を揺さぶる。


「えっと、た、太一くん……」


 加奈が戸惑いながら声を発する。瞳はどこか不安げに揺れていて、俺の胸が締め付けられる。なにか声をかけないといけないと思った。


「だ、大丈夫だから!!」

「へっ!? た、太一くん?」

「俺が……、側にいるから!!」

「ふえっ!? た、た、たいちく――」


 その時、店の入り口が開く音がした。


「あの~、まだお店って開かないんですかね?」


 お客さんの声。しまった!? ずっと『準備中』の張り紙を付けたままだった。


「あっ、いえ! 今開けるとこですので! どうぞお入りください!」


 俺がそう言うと、中年の女性が胸をなでおろしたかのように、店へ入ってきた。俺は、加奈に声をかける。


「加奈!」

「ひゃっ!? は、はい……!」


 俺はレジカウンターに置いてあったエプロンを掴み、加奈の両膝にそっと載せた。


「た、太一くん、これ」

「今、俺が付けてるのと同じやつ」


 加奈がなぜか顔を真っ赤にしたまま、俺のエプロンを見つめる。『まさやんの本屋さん』と縦文字の黄色で、全面に書かれたもの。

 加奈の強ばった表情が、なんだかやわらいだ気がした。俺もちょっとホッとする。


「加奈、また休憩時間のときに、ゆっくり話そう」


 そう言って俺は立ち上がる。すると、加奈が慌てて口を開いた。


「た、太一くん!!」

「ん?」

「そ、その……、きょ! 今日から!! よ、よろしくお願いしましゅ、っつ!?」


 加奈が最後に噛んだ。真っ赤な顔を俯かせ、プルプルと震えている。俺は何ごともなかったのように、冷静さを装って答えた。


「お、おう、よろしくな。加奈」


 加奈がコクコクと激しく頷く。あははは……、最初の時の、大人な雰囲気がもうどこえやら。でも、それがなんだか嬉しく思う。って、俺はなに、考えてんだ。頬がほんのり熱く感じた。俺は慌てて店の扉まで行く。


『準備中』の張り紙を取った。


 今日から俺の……、いや、俺と、加奈との、店番が始まる。

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