ガブリエラと死の舞踏(3)
ここはシティ・オブ・ロンドン。貴族たちのタウンハウスが建ち並んでいる地区は、穏やかな朝を迎えている。
その一軒の二階にある自室でガブリエラ・クロフォードは鬼のような形相をしていた。寝間着を着せられ、ベッドに入った状態のまま腕組みをしている。
「この前も言ったはずだよ、ガブリエラ。夜は出歩いちゃダメだって……しかも早朝まで。昼間だって危ないのに、夜なんて何がいるかわかったもんじゃあないんだから」
神に祈るかのように手を合わせ、ベッドの淵に突っ伏しているのは恰幅が良い男だった。彼はエドワード・クロフォード。貿易商人として名を馳せ、先日準男爵を賜ったばかりだ。その交易範囲はアメリカからインド、東アジアまで。果ては極東の島国ヒノモトとの交渉も視野に入れている。
彼のような成功者を人は密かにこう呼んでいる。新興ブルジョワ、と。
だが、今の彼にそのような気迫は一切ない。ベッドの上でしかめっ面をする娘に言い聞かせるだけの、気弱なパパでしかなかった。
「ああそうだ。見てしまったのだろう…あの忌まわしき事件の被害者を。パパ、取り調べが終わるまで心臓が保たないかと思ったよ……」
「見てないわ。シシクが目隠ししてくれたもの。それに、取り調べと言っても二、三質問されただけよ」
この娘は折り紙つきのじゃじゃ馬だ。気が強くて減らず口を叩く。部屋の隅に待機しているシシクには、数分後の結果が目に見えていた。
「わたし、夜遊びしてるわけじゃないのよ。港に幽霊が出るっていうから正体を確かめようとしていたの。そしたら骸骨が現れて、人が亡くなっていた。それだけよ」
ロンドンの街で起こりうる怪奇・心霊現象を調べるのが、ガブリエラの趣味だった。御令嬢にしては珍しく、街中を駆け回ることの好きな彼女は暇を見つけてはシシクを引き連れて屋敷を飛び出しているのだ。
父親も――本当はおとなしくして貰いたいようだが――頼れる従者がついているのだからと外出を許している。ただし、それが趣味の範疇を超えなければ、の話だが。
「それを世間では夜遊びと言うのだよ、ガブリエラ。シシクがいるとはいえ、もしひとりでフラフラと何処かへ行ってしまって万が一の事があったら……」
「まぁ、パパったらわたしのこと幾つだと思っているの? もう十二になるのよ? ひとりで出歩いても平気だわ!」
「本気でそう思ってるのか~……」
少女の主張にシシクは首筋を掻きつつ、ふたりに聞こえぬよう小さくボヤく。
主人とはいえ、ガブリエラの世間知らず振りにはほとほと呆れている。危険な目には幾度も遭っているはずなのだが、彼女は微塵も振り返ろうとはしないのだ。
「平気じゃないよガブリエラ! これは君が女の子だからじゃないんだ。仮に君が男の子だったとしても……」
「もう、五月蝿い!」
娘の怒鳴り声に遮られ、しおしおと小さくなるエドワード。最早娘よりも小さく見える。と、よろけるように立ち上がった彼は、今度はシシクの元へとやって来た。そして、弱々しく従者の手を取る。
「シシク、何とか言っておくれ……。私にはもう無理だ……。ガブリエラと一緒にいる君なら……」
頭を下げる雇い主に、今度はシシクが慌てる番だった。
「旦那様、困りますから顔をお上げください。ほらガブリエラ、見てみろこの状況!」
「シシクは黙ってて‼」
従者にもギャンギャン吠える様に、シシクは思わず隣家で買われている小さなスパニエルを思い浮かべた。出くわせば、誰とも構わずに牙を剥き出しにして吠え立てる。今の彼女は、あの甲高く鳴く仔犬にそっくりだった。
「こりゃ大変ご立腹だ。申し訳ありません、旦那様。あれだけ憤っているお嬢様には悪魔も寄り付かんでしょ」
「そ、そんなことはない……! あんなに可愛い娘だ、悪魔のひとりやふたりは必ず寄り付く!」
顔をキリッとさせながら豪語するエドワードに、シシクは乾いた笑いしか出せなかった。
「パパ、わたしもう寝るわ! 寝不足なんだから休むはずだったわよね?」
これは、早く出て行けの合図だ。反抗期真っ只中の娘を相手にするエドワードには同情を禁じ得なかった。
「ああ、わかったよ。すまなかったね、ガブリエラ。ゆっくりお休み」
「シシクは」
「彼とは話があるんだ。シシク、一旦出よう」
「かしこまりました」
彼は一礼し、目で訴えてくる小さな主人に目配せする。「終わったらすぐに戻るから」と。
「すまないね、シシク……シシク・サクラマ。いつも迷惑ばかり」
扉を閉めて開口一番、エドワードは再び頭を下げる。改めるかのようにフルネームで呼ばれると、内心慌てるどころの騒ぎではなかった。
「いえ、お嬢様を御守りするのが俺の役目ですから」
シシクはその長身を頑張って屈め、雇い主よりも頭を低くした。エドワードはシシクに気遣いヒノモト式の礼節を取り入れてくれるが、それがかえって仇となってしまう。
「ああだが、良かったよ。君が無事ガブリエラと一緒に解放されて……。君には悪いが、第一発見者が東洋人だと真っ先に疑われるだろう? それに、警察からは何もされていないだろうね?」
「はい、おかげさまで。旦那様がお迎えに来てくださらなかったら、今頃酷く問い詰められているでしょう」
多少の尋問は受けたシシクだが、正直に報告したらエドワードが心労になるに違いないと口を噤む。また、並べ立てられた罵倒をすべて受け流してしまったためにあまり覚えていないというのもあった。加えて尋問で済んだなら良い方だと、見聞きしている拷問の数々を思い起こす。それほどまでに、彼は他所者への扱いには慣れてしまっていた。
「……ナタリアが生きていてくれれば、あの娘のことをもっとわかってやれたかもしれないね」
「旦那様……」
ナタリアはガブリエラの母親だ。四年前、流行り病により亡くなってしまった彼女をガブリエラは慕っていた。家族を愛し、所謂良妻賢母であった彼女には、シシクも良く気に掛けて貰っていたものだ。
「ご心配要りませんよ。十分な代わりとなるかはわかりませんが、俺や他の者がついてますから」
「ありがとう、シシク。君が娘の傍に居てくれることは、亡き妻の、そして私の願いだ」
また祈りを捧げるかのように、エドワードはシシクの手を握り締めた。困惑するのにも疲れてきたところで、誰かの気配を感じた。彼は思わずホッと息を吐く。
「旦那様、そろそろお時間ですよ」
静々とやって来たのはマリア・シェフィールドだ。彼女はこの屋敷のメイドたちを執り仕切るハウスキーパーで、元々はナースメイドとしてガブリエラの世話役を務めていた。ガブリエラの従者にして兄代わりとしての関係を築いているのは、彼女とナタリアのおかげでもある。
「あらシシクさん、ごきげんよう。お嬢様の具合はいかがでしたか?」
「やぁ、マリア。元気すぎるくらいですよ」
彼の返答に、マリアはあらあらと微笑む。その柔和な雰囲気は彼女独特のものだ。
「待たせてしまってすまないね、マリア。それではシシク、娘を頼んだよ。私は来客の準備をしなくてはならないから」
「かしこまりました、旦那様」
その場から一歩も動かずに、シシクはふたりを見送る。エドワードの広くも悲しみに包まれた背中が見えなくなったところで、シシクは扉に手の甲を向けた。
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