人災派遣のフレイムアップ

紫電改

『傭兵』VS『傭兵』

ある派遣社員の戦闘−1

「――ああ。そう。今月ちょっとヤバいんだ。だからまたノート見せてくれよぉ」


 おれは手持ちの携帯に必死の猫撫で声を流し込んだ。


「――いや!そこは持ちつ持たれつでさ?こないだ会計学のノート見せてやっただろ?頼むよ、文化人類学は教授の話がわからないとどうにも……な?な?おれが単位ヤバいの知ってるだろ?なあ、頼むよおい……くそっ」


 途切れた通話に悪態をつくおれを、隣に佇んでいた直樹が冷たく一瞥する。


「期末テストの準備か?いつ本番なんだ」

「明日の一限だよ」

「履修の進捗は?」

「まだ一回も授業出たことがない」

「……亘理わたり。貴様の無軌道ぶりは今更だが、また随分と杜撰な計画を立てたものだな」

「仕方ねえだろ、バイト続きでそもそも授業に参加するチャンスがなかったんだ」


 ましてや定年間近の石頭に定評のある教授である。授業を録画してネットで公開、なんて発想は微塵も湧いてこないに違いない。学友から融通してもらったノートと手管を尽くした代返によりなんとか出席日数は確保できているが、それはあくまで『落第はしていない』でしかない。この試験を突破しなければ、今までの涙ぐましい努力も水泡に帰すだろう。


「留年だけはしたくない。学費もう一年分稼ぐとかほんと無理ゲーですから」

「まあ、貴様の都合はどうでもいい」


 直樹はそんな悩めるおれではなく、リノリウム張りの通路の向こうに視線を向けた。


「どうやら追いつかれたようだぞ」


 おれは左手でいじくり回していた『サンプル』を握り直す。


「マジすか」


 流石にあちらさんも有能らしい。いちいち真偽を確かめる必要はなかった。



 攻撃が始まったので。



 鼻孔にわずかな刺激臭。直樹の警告がなかったら、その時点で術中に嵌っていただろう。とっさに口元を袖で覆い、今度はおれが警告する。


烏羽玉ウバタマの香り。呪術師メディスンマンがいるぞ!」


 アルカロイド系の強力な幻覚をもたらすハーブ。普通に民間医療に使われることもあるが、専門家――それも特殊な専門家にかかれば、その危険性は飛躍的に増す。


這い寄る蔦クリーピング・ヴァイン搦めよ葛バインディング・アイヴィ


 何処からか術師の詠唱が響く。途端、周囲に無数のツタが出現し、おれ達に絡みついてくる。実際に植物が生えてきたわけではない。幻覚作用のある薬物を散布し、意識が朦朧としたところで強力な言霊を併用して対象を拘束する呪術だ。事前に気づいて口を覆っていなければ、たまらず術中に陥っていただろう。


「来るぞ!」

「あいよ!」


 幻覚のツタはたちまち成長し、蕾を生じ花となる。そして――


満ちる果実ベア・シード八ツ裂け朔果ブレイク・ボルサム!』


 散布された化学物質が揮発、化合し、爆発を巻き起こす。事前に攻撃が読めていたからこそ、おれの被害は駅前の特売で買ったジャケットを引き裂くにとどまったが、そうでなければ身体の自由を奪われたまま爆発に巻き込まれ、ジャケットのみならず背中の肉が同じ目にあっていただろう。


「くそ、これ次の秋まで着るはずの一張羅だったんだぞ!?」

「この仕事をやっていてそれを言うか。次は通販の特売で最安値のものをまとめ買え」

『……私の術法を見破るとはな。なるほど、ネズミとはいえ、まんまと我々を出し抜いてサンプルを奪取する程度の知恵はあるということか』


 通路の奥の闇から声が響く。己の実力と術式への圧倒的な自信に裏打ちされた威圧感。とっさに後ずさるおれ。敵とおれの間に、直樹が割り込む。


「そういうことだ。そしてネズミの浅知恵でも、貴様程度を噛み殺すのは造作もないぞ、『ベロウズ』」

『ほう?私の名を知るか』

「ネイティブ・アメリカンの呪術を曲解して用いる外道と言えば、この業界でもそこまで多くはないからな」


 『ベロウズ』、北米を中心に活動する呪術師。

 紛争地域に潜伏し、対立勢力の憎悪を煽り戦災を巻き起こす。

 『火種に風を送り込む』、邪悪なふいご野郎。こいつも出張っているのかよ。


『なるほど。では私が敵対者をどのように扱うかも知っているな?我が毒は五臓六腑をねじり、狂わせる。死んだほうがましと懇願するようになるぞ』

「お前ごときに言われるまでもなく、死んだほうがマシ、とは日々思っているさ。……おい、亘理。貴様は先に行け」

「いいのかよ?」

「どうせ薬物を吸い込んだらアウトなのだ。口先が取り柄の貴様が息を止めながら場に残っていてもなんの役にも立たん」

「そうかい、そりゃ失礼。んじゃ頑張ってくれや」


 おれはあっさりとその場の全責任を直樹に押し付けると、回れ右して通路の奥に向かってダッシュした。ヤツの言うことは全くの事実であり、――おそらくおれが居ないほうがあいつはやりやすいだろう。十秒ほどして、直樹たちがいた通路から、剣戟と轟音が響き渡ってきた。

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