第6話
9月22日。シルバーウィーク最終日。もっと、前の週理由をつけて会社をぶっちぎったわたしはといえば、翌週もなんだかんだ理由をつけてムジカレの古本探しの旅を続行しようとしていた。
わたしはこの時、茨城県の土浦にいたのである。14日まで寺泊でだらだらとカニを食べたり温泉に入ったりして落ち着きを取り戻した早霧谷とふたり。一度は禁書としてISBN抹消を受けたムジカレの古本を読むため旅に出たのだ。早霧谷の姉が辺見ユウであれば、新潟の実家にムジカレが無いのか、と問いただしたが、いつの間にか辺見ユウが全部どこかにもっていったらしい。完結から6年も経った作品だ。しかも辺見ユウはその間何一つ新作を書いていない。厳密にいえばぽつねん先生の画集に描き下ろし掌編を載せたが、それも5年前だ。
大手古本チェーンであるブックオフは既にムジカレの扱いを停止していたが、個人営業だったり、一般書店の古本コーナーには案外残っているもので、2巻「笑」4巻「瞳」7巻「春」8巻「箱」そして9巻「旗」が手元にやってきた。
「まず園を見つけないと」
「そうね」
新潟から、群馬、福島、山形、秋田、青森、岩手、宮城、栃木と来て茨城へと3000km以上探索を続けるわたしと早霧谷。巡った書店の数は100をくだらない。その旅は、旅と書くにはぜんぜん風情の無いものなので割愛するが、早霧谷がしてくれた話そのものは重要なものだ。東北自動車道を南下するときの話である。
「お姉ちゃんが、どうしてラノベを書こうとしたか」
辺見ユウ、いや、早霧谷有紀子が京大文学部という学歴を持ちながらラノベ作家になったかというものである。学歴はラノベ作家には不要であるし、その経歴はあらゆる業界に有利なのに、その肩書が全然役に立たない作品応募に至ったか。
「それは、高校時代のあんたが狂っていたからだよ」
「わたしが?」
高校時代のわたし。ラノベに影響され変なことばかりしていた頃だ。いや、今もおとなしくなったとはいえ基本的なところは成長がないのだが。
2008年の夏頃である。10月から始まるアニメ「とらドラ!」の原作に深々とハマっていたわたしの姿を見て、早霧谷有紀子は言ったという。
「ちぃちゃん、青春を楽しんでいるな」
「そうですか? あんまりうまくいっていないし勉強なんて壊滅的で」
「でも、日々を楽しもうとしているのは、ヒビナから聞いてるよ。ねえ、ちぃちゃんをモデルにラノベ書いてみてもいい?」
「ラノベ? ですか? いいですよ。いいけど、就活はどうなんですか?」
「え。あー、ははは」
有紀子はその時点で内定ゼロ。理由は就職か進学か迷っているうちにエントリーシートの締め切りも試験の申し込みも終わっていたそうだ。これといって特徴のない、真面目で、そこそこユニークとはいえ、新潟高校においては平々凡々な生徒だった有紀子。文学部に進んだからといって、別に作家になろうとは考えず、卒論に選んだのは中間小説とライトノベルという大衆文学の一般評価についてらしい。有紀子自体はほとんどラノベを読む人では無く、わたしとヒビナがいっつも情熱的にラノベの話ばかりしているのを聞いて羨ましいと思ったのだとか。
応募作品であるムジカ・レトリックの園は、様々なライトノベルの売れている要素をとても上手に料理している、と評されているそうだが、有紀子としては中間小説の要素と、スタジオジブリのシナリオを下敷きにしたのだとか。孤児院を守ろうと強くなろうとするやまぶき、あるいは別のアプローチで常に周囲のために一生懸命のくれないは、動きやすいキャラクターとして作ったらしい。
日本語がしっかりとして、言葉が繊細なのは彼女のセンスと学力による賜物であるが、モデルがよかったからと有紀子はヒビナに言っていたらしい。
「途中からお姉ちゃん、どんどん書くスピードが上がっていったんだよ」
「なんで」
「あんたがやる奇行を全部書こうとしたんだってさ」
数えるほどしかアホなことをしていない、と思っていたが、スケジュールを巻いてでも描写したかったなんて、どんな小説だムジカレ。
「スピードが上がっていって、魂を削って書いていたんだろうね。巻を追うごとにお姉ちゃんは薄くなっていった」
「薄く? 髪が?」
「髪じゃない。存在だよ。半分透けているのかな、ってくらいにいろんなものを削って。最終巻が発売されてからは話もしなくなったし、聞いてもくれなくなった」
辺見ユウのすべてを込めた作品なのだろう。ムジカレは辺見ユウの人生と引き換えにできたものなのだろう。
「じゃあさ、どうして新刊が出るのさ」
「それは……、聞いたけどなにも教えてくれなかったよ。まあ、出ないかもね」
土浦での夜。そのライトノベルがすげぇ2021について、一通のメールが送られてきた。メールではムジカレに関する原稿は今どうするか話し合っている最中だから待ってくれないか、とだけ。
「夜分に失礼します。わたし、井守千尋というものです」
雁ヶ音いろは、という編集者からのメールには電話番号も記載されていた。メールでは面倒だ、とわたしは夕食後に電話をかける。
「はい、雁ヶ音です。井守さん、電話をいただきましてありがとうございます。どうされましたか? メールの内容についてでしたら、ごめんなさいまだ」
「わたしが紅和奏のモデルであることを、あなた方は存じていたのですか?」
「……そうです」
雁ヶ音さんはすぐに認めた。
「わたしが、ムジカレの関係者に親しい人間だから、あのレビューの依頼をしたのですね。それについて怒っているわけではない。ただ、教えていただきたいことがあります。他のレビュアー、全部で何人ですか。どの作品について書くのですか」
「それを知って、どうされますか? さすがに個人情報は」
「公式関係者だけをあつめてレビューを書いてもらう、ってことは無いですか?」
「…………いい勘をお持ちですね」
わたしは心のうちを全部は話さなかった。ただ、知りたかったのだ。わたしの記憶の欠如と、そのラノに関係があるのか。電話を切って、20分後にゼロ年代作品特集のリストと、レビュー執筆者の名前、アドレス一覧だ。
○イリヤの空、UFOの夏 秋山瑞人・作 駒都えーじ・イラスト
○CENTRAL―コーディネート・ゼロ― 姫川庵路・作 はさぎ舞・イラスト
○終わりのクロニクル 川上稔・作 さとやす・イラスト
○キーリ 壁井ユカコ・作 田上俊介・イラスト
○涼宮ハルヒの憂鬱 谷川流・作 いとうのいぢ・イラスト
○人類は衰退しました 田中ロミオ・作 山崎透/戸部淑・イラスト
○《文学少女》シリーズ 野村美月・作 竹岡葉月・イラスト
○生徒会の一存 葵せきな・作 狗神煌・イラスト
○ムジカ・レトリックの園 辺見ユウ・作 ぽつねん・イラスト
○アクセル・ワールド 川原礫・作 HIMA・イラスト
すごい作品ばかりである。ムジカレはこの錚々たる作品群に当然のように入るものなのだろうか。こうやって見るとゼロ年代、電撃文庫が飛躍しているのもわかるな、と思う。レビュアーの名簿を見る。すると、見知った名前が一人そこにはあった。
CENTRAL-コーディネート・ゼロ- レビュー・倉敷パイク
ケントラルは、ハードSFの部類に入る。倉敷さんは、わたしが懇意にさせてもらっている野﨑まどのファンサークル「かきまぜぼう」、コミケ92で出た「盛会するカド」に座標空間を使ったカドの二次小説を書いてきた人で、まあ頭の硬いあんちくしょうだ。愛と正義の大勝利で物理法則なんてねじ曲がってしまえと思うわたしとは正反対の、でも小説好きとしてはいい人。結局、野﨑まどに惚れた弱みなのだ。パイク氏はケントラルのレビューを、ねえ。ハルヒやキーリのレビューを担当する人の名前はコミケとかで見たことがある。案外ラノベ好きは狭い世界の中で生きているんだなあと実感した。
『こんにちは、井守です。そのラノ、ケントラルのレビューあなたなんですって。ムジカレのレビュー、わたしなんです。お互いがんばりましょう』
9月11日からツイートの無いパイク氏だったが、きっと仕事が忙しいのだろう。あるいは、ミスリル経典テロ事件に心をいためているのだろうか。
『ご無沙汰です、パイクです。井守さん……変なことを聞きますが、僕はケントラルの関係者らしいのですが、ケントラル、という小説、知らないんですよ』
『は?』
『そのラノ2021のレビューをやってほしい、というメールが来るまで、ケントラル、という作品を知らなかったんです。まさか、さまざまメディアミックスをしていたりするなんて、何より、ハヤカワJAの売り場に面陳されているのにずっと見逃してきただなんて考えられないんです。僕、騙されていませんか? ドッキリなんじゃ』
パイクの言っていることの意味がわからない。ケントラル、だぞ。00ガンダムや鋼の錬金術師と同じ夕方アニメにもなったじゃないか。ハリウッドで、All Need is Killの半年後に公開されて爆死したじゃないか何より、あんたの書いた「アブソリュート座標のカド」はケントラルリスペクトじゃないか!!
「わたしと一緒」
「え?」
「倉敷パイク、自分の担当作品をまるっと忘れている! わたしと同じことを言ってるよ!」
パイクとのやり取りは慎重になった。あれだけハヤカワJAで出さずに電撃で出せばとうるさく言っていた作品を忘れるだなんて信じられない。偽物なんじゃないのか、と言い出したからである。
『非実在ライトノベルをレビューする気分ですよ。僕だけがケントラルを忘れているのか、それともハルヒの担当がハルヒを、アクセル・ワールドの担当だけがアクセル・ワールドを忘れているとしたら、そりゃあもう非実在ライトノベルをレビューする会ですよね。こういった場合、そのレビューだけが後世に残ったら、本当に存在した作品かどうかを確認するすべは無い。非実在作品をあたかもあったように……ってのはメディアのやり口だなあ』
お互いがお互いにズンドコベロンチョ状態。そんな星新一的な話があってたまるか、と言ってやろうと思ったが踏みとどまる。代わりに、わたしが「紅和奏のモデルの井守千尋です。今回のレビュワーなんですが……」と初対面8名にコンタクトをトルことにした。
そして本当に、お互いがお互いにズンドコベロンチョ状態だということが発覚し、本格的に「非実在ライトノベルをレビューする会」が発足するのである。
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