28話「彼女たちは諦めの道を選ぶ」
甲斐田君が落ちた。モンストールと一緒に落ちてしまった。
完全に消えていなくなる直前、甲斐田君は最後に、私たちを射殺さんばかりに睨みつけていた気がした。
彼自身を犠牲にして助かった私たちを、怨嗟の炎を湛えた眼を向けている。まるで呪うように…そんな気がした。
高園縁佳は、皇雅を助けられなかった。見捨ててしまった。彼は、最後までクラスのみんなと和解できないまま、ここからいなくなってしまった...と縁佳は悲嘆にくれていた。
縁佳が皇雅にしてやれたことは、何もなかった。彼がクラスで孤立していく様をただ見ているだけ。歩み寄ったこともあったが、却って彼の傷口を広げる結末だった。
縁佳は、甲斐田君が落ちていくのを顔を悲痛に歪めて見ていることしか出来ずにいた。
(甲斐田君...!助けてあげられなくてごめんなさい...!助けたてあげたかった、みんなと和解させたかった、もっと...お話したかった...!)
内なる想いを声にして出すことはなく、ただその場で膝をついて涙を流すことしかできたかった。
そして縁佳と同じく...皇雅の喪失を悲しむ人がいた。
藤原美羽だ。
「甲斐田君!...ああっ!!こんな、こんなのって…………っ」
廃墟を崩落させる直前、美羽は皇雅のもとへ行こうとしていた。彼女だけが、皇雅を身を賭して助け出そうとしていた。だが、周りにいた兵士やクラスメイトに止められ、それを成すことはできずに終わった。
皇雅が落ちて消えた時、美羽だけが、悲痛の叫びを上げていた。
新任で、まだ3ヶ月少しの時しか交流がなかったのに、生徒一人一人の相談に乗り、同級生のように親しく接し、クラス全員を本気で大切に想いっている人だ。
そんな彼女が、皇雅のことも当然大切に想っていたことは、縁佳に痛いくらいに伝わった。
(私がまだ弱いから、あの時甲斐田君を助けることが出来なかった)
実戦訓練から帰還した後も、縁佳は「あの日」のことが心に残っていた。日が経つにつれて自身の無力を責めるようになっていった。
(あの状況から彼が生存している可能性は……きっと低い。でも―――)
可能性は低いが皇雅の生存を確認しなければならない。あの場所のはるか地下深くへ捜索しなければならない。
そのためには、今よりもっと強くならなければならない。
それはとても時間がかかることだ。強くなれたとしてもその時はもう手遅れになってるかもしれない。
それでも縁佳は、より強くなって皇雅を捜し出そうと決意した。
(もし、甲斐田君が生きていたら、絶対救ってみせる!もし、生きて会えたなら、今度は仲良くお喋りしたい、一緒に戦って親しくなりたい!
だって私は、甲斐田君のことを――)
*
生徒たちの前で、一人だけ声を上げて泣いていた。私だけが感情を吐き出していた。
マルス王子が甲斐田君を見捨てると決断した時、居ても立っても居られず、私だけでも彼を助けようと降りにいこうとするも、もう時間が無い、間に合わないと周りから止められる。
そのせいで、彼を助けることができなかった。味方であると、頼ってほしいと言っておきながら、こんな時に何もできずにまた彼を傷つくことを止められず、ついには私たちの前から消えてしまった...。
今ほど自分の無力さを呪ったことはない。先生でありながら、彼を支えることが全くできなかったことを嘆かずにはいられなかった。
そして、甲斐田君が落ちていったことを悲しむ生徒が殆どいなかったことが、私の心をひどく痛めた。本当に彼がクラスメイトほぼ全員と仲良くできてなかったのだなと、理解させられた。
私は認めていなかった。
甲斐田君が死んだなんてことを認めていない。地下深くのどこかで、生きていると、私はそう考えている。現実から目を背けていると言われればそうかもしれない。でも、そう思わずにはいられなかった。
みんなと違って恵まれないステータスでありながら、誰よりもモンストールを倒したあの実力。恵まれないなりに工夫して、努力して、自力で強くなった彼なら、きっとどこかで生き残っていると信じている。
だから、私は強くなって、ドラグニア王国とこの世界を救うとともに、甲斐田君を捜して助けにも行く。ここで私が諦めたら、もう誰も彼を救う人はいない。私だけでも救いに行く。
そんな決心をした私のもとに一人の生徒が歩み寄る。高園さんだ。
「美羽先生、私と一緒に訓練させて下さい。...美羽先生も、あの廃墟の地下深い…闇に、また行くんですよね?」
「...!ええ、もちろん!高園さん...いえ、縁佳ちゃん!甲斐田君は生きている。今は無理だけど、強くなれば救いに行ける。私は諦めないて決めたから!」
「...はい!私たちだけでも、甲斐田君を助けましょう!」
「...縁佳ちゃん、あなたは甲斐田君のことを大切なクラスメイトだって思ってくれてるのね。数少ない、彼の親しい友人になれるわ!今度こそ!それとも...恋人かな?ふふっ。」
「こ...!?私はそんなこと...。でも、仲良くなりたいとは、思ってます...。はい...」
それを聞いて、私の中に希望の光が灯った気がした。一人でも同じ考えを持つ人がいてくれると、こんなにも活力が湧いてくるんだと感じられた。
...甲斐田君にも、こんな仲間がいれば、きっとみんなと――
この時美羽たちはいずれ、瘴気が充満する地底へ行けるくらいに強くなって、そこを探索して皇雅を救出しに行こうと考えていた。
しかし、その考えは国の方針によって打ち砕かれる。
*
「国王様!私たちを他国へ派遣させるのを、延期させていただけませんか!?」
「私たちはもう少ししたら最初の実戦訓練でいなくなってしまった甲斐田君を捜索および救助する為に瘴気の地底へ探索に行くつもりなんです!」
美羽と縁佳はカドゥラ国王に、自分たちの数日後の他国への派遣を延期するよう嘆願しにきた。
「何を頼んでくるかと思えば……。フジワラミワよ、流石にその申し出を受諾するわけにはいかぬな。死んだ男を捜して何になるというのだ」
「甲斐田君が死んだとは限りません!あの日の彼は落ちてしまったもののまだ生きていました!地底は瘴気が充満していると聞いてますが、甲斐田君ならきっと上手く生き延びて―――」
「いい加減にされよフジワラ」
美羽の言葉をマルス王子が冷淡な声を放ってピシャリと遮った。
「地底にある瘴気は余ら人族と魔族には猛毒。あれに耐性があるのは、世界の敵であるモンストールと魔物…は一部だが、さらには大昔にはいたとされている“屍族”くらいだ。
あの日闇の底へ落ちていったカイダとやらは既に負傷の身だった。さらにはお前たちと違ってステータスが底辺レベル。瘴気に耐える術などないのは明らかだ。
ましてやあれからもう半月程経っている。生きているはずがない!」
「それでも私はほんの少しの可能性を信じて……っ」
「現実を見ろ、常識的に考えろ!あの男はもうこの世にはいない。地底には災害レベルのモンストールがたくさん生息していると聞く。そんなところに落ちた人族が生きているなど考えられない」
尚も食い下がろうとする美羽にマルスは苛立ち混じりに彼女の無謀を指摘する。
「それにそのようなところに行くのはお前たちではまだ実力不足だ。仮にお前たち二人で行くとしても敵は数十体もいる可能性が高い。そんなところにこの国の最優秀戦力であるフジワラとタカゾノを行かせるなどとんでもない。
教え子あるいは同級生を憂える気持ちは察するが……いい加減に諦められよ」
「う……く」
「………」
美羽の申し出は空しくも国王たちには受け入れられなかった。
(第一、あんな戦力にならない男を今更連れ帰って何になるというのだ。またあんな不遜な弱者を抱えるなどまっぴらだというのに。
つくづくこの女には苛つかせられる。何故あんなハズレ者をまだ気にかけているというのか…)
マルスは内心で美羽に呆れと苛立ちの愚痴を漏らしていた。カドゥラも同様の気持ちだった。
口には出していないものの顔にそういった感情が出ていることは、美羽にも分かっていた。
この二人は皇雅のことなど欠片も考えていない。もういない者として扱っている。
何よりも彼らは皇雅という人物を完全に侮蔑しきっている。彼を弱者と断定、国に必要無い人間と決めつけている。彼らの頭や心には彼のことなど欠片も無いことは明らかだった。
「…っ」
美羽と縁佳は悔し気に謁見部屋を出て行った。
「もう甲斐田君を捜しに行くこと……助けることは出来ない……」
「………」
プライベート部屋にて彼女たちは無力感に苛まれていた。国の方針、自分たちの実力不足が原因で皇雅がいるであろう地底へ行くことが出来ないことが確定となった。
「もう…甲斐田君のことは、諦めないといけないのかな……」
「…それは……」
縁佳の弱気な発言に美羽は何も言えなかった。彼女も本当はもう手遅れであると、心の底では微かに思ってはいた。
けれど認めたくはなかった。皇雅がもう死んでしまっていることを本当にしたくないから、空元気をつけて自分を無理に奮い立たせていた。
しかし先程のマルスの言葉でその空元気も沈んでしまった。
「先生、私たちはいったいどうすれば…」
縁佳はただ美羽に縋ることしかできなかった。
その美羽は―――
「……縁佳ちゃん。地底に行くのは、諦めます」
苦渋の顔で、そう言うのだった。
「……!」
美羽の発言に縁佳は驚愕に目を見開く。
「私が言い出したことなのに、曲げることになってしまってごめんなさい。
でも…マルス王子の言う通り、今の私たちじゃまだ最深部には行けないと思う。今行ってもせいぜい中間レベル。災害レベルが生息している地帯にはまだ…」
美羽は震えた声で理由をつらつらとこぼしていく。自分に言い聞かせてもいるようだった。
「私に出来ることは…あなたたち生徒をもう失わせないこと。それしか、出来ない」
「先生…」
縁佳は美羽にかける言葉が見つからないでいた。彼女もまた、皇雅の救助がもう間に合わないであろうと思ってしまっているからだ。
「私たちから甲斐田君の元へ行くことはもうできない…。
なら私たちに出来ることはもう…甲斐田君が生きて戻ってきていることを信じることしかないわ…!
きっと、地上へ戻ってきて、私たちの前に帰ってきてくれると…」
神頼みと変わらない方法だ。美羽自身も自覚している。
しかし彼女たちにはもう祈って信じることしか方法は残されていなかった。
「縁佳ちゃん、他国へ行くというのなら、絶対に死なないで。仲間を頼って、必ず生きてまた会いましょう…!」
「はい、必ず――」
二人はそんな言葉を交わして、数日後それぞれ違う国へ渡った。
皇雅は地上へ戻り、旅をしているということは、彼女たちは知らない。
そして皇雅も、彼女たちが皇雅の救助に行けないことを惜しみ、生還を祈って信じていることに気づいてはいなかった――
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