第3話

9月1日 朝


 木菟がソファで目を覚ますと、すでに田中は台所にいた。

 部屋の片隅には田中が普段から使っている簡易ベッドがあるが、きれいに布団がたたまれている。

昨夜田中にベッドを使うようにと強く主張されたが、木菟が断り、ソファに寝たのだった。

「いつもおっさんが寝てるベッドに寝るなんざごめんだね。加齢臭がする。」

 そうかい、という田中の顔は、本当に少し傷ついたようだった。


 正直、木菟はこの、田中という男のことがまだよく掴めないでいた。人生に未練がないと言い放ったかと思うと、自分を殺した女に復讐するために<死に戻り>を決意する。それだけ業の深い人間なのかと思えば、そのくせ「死者の数を変えない」掟の意味も分かっていないお気楽さを見せる。今から人を…美冬を殺そうというのに、木菟の些細な反抗にも心を痛める繊細さ、いそいそと木菟のために料理を作る人の良さ。


(結局、良い奴なのか、悪い奴なのか…やる気があるのかないのか、どっちなんだよ?)

「おはよう。ソファでよく寝られたかい?」

 木菟が頭を抱えていることを知ってか知らずか、田中が呑気に声がかけた。キッチンから、すでにいい匂いが漂っている。

 おはよう、とぼそぼそ返事をしながら、昨日と同じ卓に座る。時を置かず、ぶりの照り焼き、ごはんが食卓に並んだ。

(本当に飯はうまいよなぁ…。)

 死神見習いになってから、こんな手間のかかった料理を食べるのは初めてかもしれない。昨夜に引き続き、どことなく懐かしいような家庭料理の数々に、木菟は舌鼓を打った。


「さて、もう一品あるよ。」

 一緒に食べずに何か作っていた田中が、スープの皿を持って食卓に現れた。

「何これ。トマトスープ?」

 木菟がスープ皿をのぞきこむと、鮮やかなトマト色のスープに、細かく砕いた具がたっぷりと入っていた。汁の部分より、具の部分の方が多いんじゃないか…と思うほどの具沢山だ。

「トマトは嫌いなんだけど…あと具、何?野菜?」

「いいからいいから、食べてごらん。」

 野菜全般嫌いなんだよなぁ、何となく…とぶつぶつ言いながらも、木菟は一口掬って口に運んだ。いろいろな味がまじりあっているが、全体として、やさしい風味。具の歯ごたえも様々で飽きない。

「何のスープなのさ。美味しいけど…。」

「キャベツに玉ねぎ、じゃがいも、にんじん、トマト…ピーマンやセロリも入ってるよ。細かく刻んでるから、気づかなかったでしょ。」

「玉ねぎ…ピーマン!?うげ!トマトだけじゃないのかよ!」

 自分が特に嫌いな3つの野菜の名前を耳にして、木菟は思わずスープ皿を押しやった。向かいに座る田中が、自分も食べながら皿を木菟の方に押し戻す。

「だめだめ、野菜も食べないと。栄養が偏っちゃうからね。」

「栄養、いらないだろ…。もうとっくに死んでるし…。」

「でも、美味しいでしょ?」

 いたずらっぽく笑う田中に促され、木菟は、もう一口、二口とスープを飲んだ。

 確かに言われてみれば、嫌いな野菜がゴロゴロ入っている。玉ねぎも、ピーマンも、入っていると聞くと味が認識できた。でも。

(でも…それほど不味くはない、かな。)

「たくさん煮込んだから、おかわりもあるよ。」

 木菟の様子に目を細め、田中が嬉しそうに言う。

「しねぇよ、嫌いだって言ってるだろ!」

 ふん、とそっぽを向きながら、木菟は結局、野菜スープを飲み干した。


◆◆◆


 朝食後、田中は皿を洗いながら、切り出した。

「今日は店に出るんだけど、どうする?ついてくるかい?」

「そりゃついてくよ…あ、安心して。他の人には見えないから。」

 木菟の任務はこの男を10日間見張ることなので、当然、職場の居酒屋にもついていく必要がある。田中は無言で頷いた。


(まぁ、でも…結局のところ、目的は復讐か。)

 木菟は内心で呟いた。自分に与えられた役割。それはきっと、この掴みどころのない男の復讐劇を見届けることなのだろうと、木菟は半ば結論づけていた。

(じゃあ、ちゃっちゃっと美冬殺して終わりだよな…この飯がもう食えないのは残念だが。)

 木菟は、昨日食べた鮭のホイル焼きと茶漬け、今日食べたぶりの照り焼きの味を思い返した。生前のことはもうよく思い出せないが、少なくとも今は、肉よりも魚の方が好きだ。味付けも木菟の好みにぴったりだった。さすがはプロの料理人というところか。

(まぁ、野菜スープも、野菜にしては不味くはなかった。朝からあれだけ煮込むのは大変だっただろうし、今回は許してやろう。)

 木菟は誰にともなく完食の言い訳をした。そして、今日の仕事に思いを馳せる。今日はとりあえず、田中の店についていって、田中の仕事ぶりを見る。それから…田中を殺害した、榊美冬と会う。木菟は一人気を引き締めた。そして、何気なくを装い、田中に質問した。


「そういえば、美冬はどんなやつなんだ?23歳…ってことは、大学出たて?」

「そうだね…大学時代からうちでバイトしてたよ…専攻は文学か何かだったんだけど、国語の教師になるつもりで、教職課程を取ってたんだけどね。」

「教職?」

 意外な言葉に、木菟は首を傾げた。

「で、結局教師にならないで、居酒屋の店員?」

「うん…。」

 歯切れ悪く、田中が答える。

「最後の教育実習で、合わないって思って、辞めたみたいだね。」

「ふーん…。」

「俺は彼女、先生にすごく向いてると思うんだけど。今からでも頑張ってほしいなぁ…。」

 誰にともなく呟く田中の言葉は、今から復讐しようとしている人間に向けられたものとは思えないほど、柔らかかった。

(お前はこの前そいつに殺されて、そんで今からそいつを殺すんじゃないのかよ…。)

 木菟の混乱をよそに、田中は黙って皿を拭いた。


◆◆◆

 

 田中の勤める創作居酒屋は、地下鉄駅の出口からほど近いビルの、2階のテナントだった。

 壁紙は白を基調として、窓を大きくとっている。床は明るいベージュの木目調で、照明はオレンジがかったダウンライト。居酒屋らしくない、こぎれいな空間だった。

(こんなことしてる場合かよ…。)

 部下たちに指示を出しながら料理の仕込みをする田中を横目に、木菟は心の中でぼやいた。 


 店に行くと早速、榊美冬に会うことができた(とはいえ、向こうは木菟の存在に気づいていないが)。飛びぬけて美人というわけではないが、明るく、清潔感がある。

 来る道々で田中を問い詰めたところによると、準社員という肩書きでこの店に勤めているという。この店舗のオーナーのつてで、近くにアパートを借りている。つまり、クビを切られたら職どころか住居も失う、というわけだ。それは恨みもするだろうと、木菟は納得した。


 木菟が店の片隅に座り込んで観察している限りでは、田中が主に厨房を取り仕切り、フロアの接客やサーブは美冬が取り仕切っている。美冬は準社員と言っても、ただの店員ではなく、フロアリーダーのような存在のようだ。確かにハキハキとした接客は好感度が高く、目配りも効く。

(こんな人間が、人に火をつけて殺すかねぇ…。)

 とぼやきながらも、木菟はよく分かっている。虫一匹殺せそうにない人間が、無表情で自分の肉親を殺害したり。普段は温厚な人間が、ちょっとした言葉に腹を立て、一番の親友を刺してしまったり。そんなことはざらにあることで、珍しいことでも何でもないのだ。それは、田中や美冬だって例外ではない。

(それにしても田中は何をちんたらしてるんだよ。)

 美冬を殺すつもりなら、早く行動しなければ。結局、死ぬ運命を変えられないかもしれない。いや、本当に、復讐しようというやる気があるのだろうか。木菟は大きくため息をついた。

 …結局、その後1日中見ていても、田中が行動を起こす気配はなかった。昼頃に店に出、夜の料理の仕込みをし、夕方に店を開け、閉店まで粛々と料理を作り、最後にレジを閉めて帰る。おそらくいつも通りの1日なのだろう。


「まぁ、まずは死亡ルートの回避だな。」

 美冬への復讐、死体の数のつじつま合わせはさておき、「田中の死を防ぐ」こと自体は簡単だ。美冬をクビにしなければいい。彼女の恨みさえ買わなければ、焼き殺されることもないのだ。

「とりあえず最低限、美冬をクビにしなければ、恨まれることもなく、殺されることもないわけだ。」

 木菟は誰にともなく、独り言ちる。

「て、あれ…?」

 いつの間にか、田中が殺されるルートを回避するように祈っている自分に気づき、木菟は慌てた。

(あくまでも見張りだ。田中のことはどうでもいいが、仕事だ仕事。)

 田中の復讐の見守りが役割である以上、それがうまくいくように願うのは当たり前のことだろう。木菟は誰かに言い訳するかのように、自分に言い聞かせた。

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