駒亭へ~②
今のところ大きな問題もなく過ごせているので、息子夫婦の説得も途絶えているという。だが一度何か事が起きれば、ほら言った通りでしょと強引に引き取るつもりだろう。それまでしばらく様子を見ているだけだ、と彼はぼやいていた。
気持ちはとても有難かった。だからそれまではお婆ちゃん任せだったトイレ掃除などを、シンも分担するように取り決め直した。他にも下宿し始めた時から変った点がある。彼女がしてくれていたシンの洗濯物も、彼が入院した頃から自分でするようになった。
今は放り込んでおけばスチッチ一つで乾燥まで全自動でやってくれる。後は時間になれば回収して畳めばいいだけだ。中学生でもできないことは無い。
ただお風呂は以前と変わらず使わなかった。共同使用にすると水道代やガス代の分担が必要となる。お金が関わってくると息子夫婦が口を挟むからと、彼が止めたのだ。その為シンがトイレ掃除や洗濯をするようになっても、洗剤は自分で買うようになったが、支払う家賃は入居時と変更が無いままだった。
本来ならそうした雑費も家賃に含まれている条件だったが、そこに踏み込むと家の処分問題に発展する為、あえて変えなかったのである。
昨年は短期間で養祖母のふみと下宿先のお婆ちゃんという、とても近しい人との永遠の“別れ”を経験した。それより前には母を自殺で失い、養祖父も病気で亡くしている。シンの年でこれだけ身近な人を失った経験をすると、“死”や“生”について、他の同年代の友人とはおそらく違った考え方を持っているのではないかと思う。
物心ついてから初めて経験した“死”は、小一の時に徳一が亡くなった時だ。その次は小三の終わり頃に母と離れ、小五でその母が自ら命を絶った。これ以上悲しい別れは出来るだけ避けたいと強い心理が働いたのもその為だろう。
もちろん転校、卒業等で親しい友人知人との別れは何度か経験している。下宿し始めてからも、周りの下宿生が卒業で次々と去っていく姿をすでに三度見てきた。そうした類ならば問題はない。前向きな印象を感じられる別れだからだ。しかしそうでないものには敏感になってしまう自分がいた。
神社が経営する学園だからか、宗教的な話を行う授業がある。そこでは決して避けられない人の死や老いや病を、プラスに受け止める考え方をする講話も何度か聞いた。だが頭では理解できても心から納得できなかった。いや無意識に理解することさえ拒否していたのかもしれない。
人との“別れ”自体を恐れていたからだろうか。そうした思いもあり立花家からなるべく離れたく無かった。当然シンが卒業するまで後三年弱の間に、お爺ちゃんと死別する可能性もある。そのリスクの方が高いかもしれない。
ただ死別から目を逸らす為に立花家を離れる気は無かった。矛盾するかもしれないが、シンがここにいたいと感じ彼もいて欲しいと思っているからこそ、この生活を維持したかった。そうすることで、“生”の一瞬一瞬を大事にしたいと考えていたし、今の自分には新たな使命もあったからだ。
三田の店に着いた。事前に電話予約してあったのでおじさん達はとても歓迎して二人を迎え、奥の座敷へ通して貰った。普段はなかなか入れない個室の特別室だ。
「今日はこっちの部屋が空いていたからね。災難だったけど、それ程実害が無かったのはいいことだよ。だから美味いもんをしっかり食べてゆっくりしていきなよ」
急に来た経緯を説明していたので、同情されたのか出された鰻御膳には“う巻き”が多めに盛られている。嬉しい。関西風にカリッと焼かれた鰻が、甘すぎない上品な出汁巻き卵に巻かれている。美樹の大好物なのだ。
だが苦手なものもある。お吸い物の中の鰻の肝だ。目に良いぞと今まで父達や三田のおじさんに何度も言われ続けてきた。それでも特に視力が悪くない美樹にとっては何の魅力も感じない。
お吸い物は肝有りと無では値段が違う。それに肝焼きは数が多く出せないが、人気もあるため結構な値段を取る。それでも父と一緒の時は、肝を父の“う巻き”と交換して貰っていた。交換できる相手がいない場合は、肝抜きのお吸い物を注文している。いつまでも子供だなと父に言われても、こればかりは好き嫌いの問題だからしょうがない。
鰻はやはり関西風の焼きでないと駄目だ。これも譲れない。母の実家だからと幼い頃からこの店に連れてこられ、初めて食べたのがここの味なのだから余計だった。
ふんわりと蒸した関東風の鰻も食べたことはある。しかし関西風の鰻で食べ慣れていたせいか、あの柔らかさが苦手だ。鰻臭さが蒸すと抜けるから関東風が良いという人もいるらしい。
だが“ウナギのミタ”の鰻は臭くない。それにしっかりとした身の歯応えと香ばしさは、“焼き”でないと味わえないのだ。
厳密にいえば関東と関西では鰻の捌き方にも背開きと腹開きと違いがあるが、それはどちらでも良かった。ちなみに関東は切腹を意味する腹開きが嫌われたことから背開き、商人が主体となって広めた関西は腹開きが多いという。
しかしこの店は関西風の焼きで関東流の背開きだ。その為“ウナギのミタ”の味で育った美樹は鰻の身が両側に盛り上がり、中央がへこんだ背開きの方が食べ慣れている。
白いご飯にお吸い物と漬物、う巻きにワカメと蛸の刺身を和辛子で和えた小鉢、イカとマグロのお刺身と、主役である鰻のかば焼きがセットになった“ウナギのミタ”自慢の鰻御前を、二人はあっという間に平らげた。
農家育ちだからか和多津家は皆、食べるのが早い。これも幼い時からの癖だろう。昔から周りの人達は畑仕事などの農作業の合間に、飯をさっさと平らげてまた仕事をする。基本的に働き者の日本人の典型なのか、そうでないと昔は仕事が終わらなかったからなのかは知らない。
だが機械化が進んだ今の時代でも早飯の習慣だけは残っていて、農作業をしない美樹の体にも、ミカン農家である和多津家の習慣が染み込んでいた。といって早く食べ終えてもここは母の実家の店だ。すぐに帰りはしない。ゆっくりしていかないと逆に失礼だ。
しかしおじさんは仕事中である。すると食後のお茶を飲んでくつろいでいる間に高二の
「美樹ちゃん、学校はもう慣れた? 若竹は規則が厳しいから生徒も比較的大人しいと思うけど、たまにそうじゃない子もいるでしょ」
「若竹は制服が無くて私服だからいいよな。俺も友ジーパンとか履いて学校へ行きたいよ」
「やめてよ。あんたの小汚い格好で校内をうろつかれたら私が恥ずかしいでしょ」
「そんな言い方はないだろ。姉ちゃんの格好だっておしゃれじゃないじゃないか」
姉弟喧嘩が始まるが、すかさず苦笑いしながら間に入る。
「もしもの話で言い合いはよしなよ。それに私服はいいことばかりじゃないから。毎日何着ていくか考えるのも大変なのよ。それこそ遼が言うように、おしゃれじゃないだの言われないようにしなきゃいけないんだから。それに規則が厳しいから、派手な恰好もできないし、ジーパンも基本的にはダメージものは駄目だから」
「そうなの?」
「完全に自由ではないの。それに女子の髪の長さとかスカート丈も規定に合わないと、すぐ職員室横の指導室行きだから。男子もパーマをかけたり余りにも長かったりするとアウト。登校時は門に生徒指導部の教師達が数人立ってチエックしているし」
「下校の時もたまにやっているって聞いたけど」
亜里沙が話に乗ってくる。
「そうなのよ。朝だけスカート丈を伸ばしてその後短くする子とか、登校後にトイレの個室で履き替える子がいるからかもね」
今度は遼が話題に加わった。
「男子もそういう生徒がいるって聞いた。朝は校則で許されるパンツを穿いて、登校後にヤンキー使用のものに履き替えたりして。うちの高校だと制服だからそういう人もいるけど、私服でそれはメッチャ恰好悪いよね」
「判った。今度そういう男子がいたら、他所の学校からそう言われている、って言っとく」
美樹もそう思っていたので、彼の意見に賛同した。
「でも男子の髪形は、長さを規制されているからか、余り酷いのは見たことないかな。そこはウチの学校の方が恰好悪いけどね」
亜里沙が余りフォローになってない言葉を挟んだ。彼女達が通う県立M北高校は、一部だが昭和の香りがする、昔ながらの不良ファッションをした生徒がいる。
超ミニのギャルがいるかと思うと、ロングスカートを履いてウィッグで髪を長くしている女子もいた。男子は短ランや長ラン、ボンタンにそり込みやリーゼントと様々だ。
「坊主頭は六年コースの中学生だよね?」
サッカー部に所属して悪ぶっているが、普通のさっぱりとした髪形の遼が尋ねてくる。
「そう。若竹では中学生の間、男子は五分刈り未満と決まっているから。でも高校からは途中で入ってくる三年制と平等に六年制の生徒も校則の範囲内で髪が伸ばせるの」
「昔は中学も高校も若竹学園の生徒と言えば坊主頭だったけどな」
たまたま通りかかった健一おじさんが、再び顔を出して話に加わった。
「らしいですね。昔の話らしいですけど。中学生でも珍しいのに高校生で坊主頭は今時無いですよ。甲子園に出る野球部だって坊主頭じゃない学校が多くなりましたから」
美樹が答えると、遼が口を挟んだ。
「坊主なんて俺だったら絶対嫌だね」
「三年制なら入れたかもしれないが、お前の頭じゃ中学は絶対無理だから関係ないだろ」
健一おじさんはそう皮肉を言い残し、奥へ戻っていった。チェッと舌打ちした遼だったが、確かに中学受験が必要な六年制はなかなかの競争率で、M県中の秀才達が集まるから入学することは難しい。井畑で小学校時代から成績は良い方だった美樹でも、若竹中学を受験できる程の成績では無かったし、入ろうと思ったこともなかった。
だからといって高校から入れる三年制でさえも決して偏差値は低くない。この周辺の県立では比較的優秀な子達が入るM北高校でさえ、誰もが受かるほどの難易度ではなかった。しかし若竹は学区の区割りと関係がない私立の為、受験者にはもっと優秀なM高やM県全域から偏差値の高い高校を受験した生徒達の滑り止めとして併願する子達が多い。
けれども成績の良し悪しで区別されるのは、気分がいいものではない。成績だけが全てでは無いし、過度な競争は思春期の子供の心を傷つける。現にお前は若竹にいる生徒とは違うと言われた気がしたのだろう。遼は気分を害したのか、ふてくされた顔をしている。
亜里沙もその表情に気づいたのか話題を変えようと、美樹に尋ねてきた。
「そういえば若竹って、他にも変わっているよね。苗字に“さん”をつけて呼ばなければいけないとか。それが生徒だけじゃなく先生に対しても、というのが徹底しているよね。先生に先生って言っちゃ駄目ってことでしょ?」
「そう。だからだいたいの人には学校で合ったら、“さん”付けで呼ぶのよ」
学園では教師を先生とは呼ばない。先生と言う言葉が嫌いだ、という先代の学園長の時代から“さん”付け運動が始まったそうだ。
“医者や弁護士等、難試験を突破した人達はまだいい。それでもテスト勉強はできるが、人としてまともじゃない輩はいる。政治家の多くは何も資格など持っていない。票が入るまではペコペコ頭を下げていたのに、当選した途端に先生と呼ばれて踏ん反り返るような奴は信用ならない。教師も資格はあるが医者達ほどの狭き門ではないし、生徒達よりは長く生きているだけで、全員が先生なんて敬われる必要があるとは思えない。呼び名は、さん、でいい。敬意なんてものは無理やり持たせるものじゃない。普段からきちんと振る舞っていれば、生徒は感じ取るものだ。先生なんて呼び方に
一見立派にも聞こえるが、個人的に先生と呼ばれる人種に恨みがあったのでは、という噂もあった。しかし“さん”付け運動は先代亡き後も続いている。
ただ対外的な理由で例外もあった。学園では学園長、学園長代理、学園の中等部の校長にあたる中等部長、教頭にあたる中等部長代理などは、肩書をつけられるのだ。
例えば、三年制高等部一年の学年主任の
「違和感って無い? 学校の先生は先生って呼ぶものだと思っていたし、呼ばれる方も先生で慣れていると思うけど。美樹ちゃんだって井畑にいる頃から、先生は先生でしょ。中学も小学校もだし、幼稚園や保育園の頃から先生って呼んでいるからね」
「最初は戸惑ったよ。慣れてはきたけどつい○○先生とか呼んじゃっている時もあるから、まだ完全には馴染んでないかも」
「まだ入って一ヶ月余りだもんね。間違った時ってどうするの? なんて言われる?」
「間違った場合は言い直すし、呼ばれた方はだいたい判を押したように笑って“さん“ですよと言ってくれるかな。怒るのもどうかと思うようなルールだし。新入生とか新人の教師が入って来てまだ間もないこの時期は特に間違うことが多いから。でも規則は教えないといけないから教師が一番面倒かも。必ず言い直させないといけないものね」
「考えたら先生って呼ぶのも嫌な奴がいるからね。昔の生徒は裏で先公とか、呼び捨てだったって聞いたけど。今は普通にあいつとか、呼び捨てで呼んだりしているけどね」
「遼ってそうなの?」
「いや俺らは裏でしか言わないよ。さすがに面と向っては言えないから」
「男子ってそうだよね。女子は呼び捨てもあるけどあだ名が多いかな。でーちゃん、とか」
「でーちゃん、って?」
「何か言うたびに、でーとか語尾に良くつける男の先生がいるからでーちゃん。女の先生だとバブル、って呼ばれているのもいる」
「バブル? もしかしてバブル世代のバブル?」
「そう。バブル世代って今だと五十代前後だっけ? それよりもっと若いけど、髪の毛が長くて名古屋巻きってあるでしょ。あれを時々してくる派手な先生がいるの」
彼女はそう言いながら顔をしかめる。よほど嫌いなのか感じが悪い教師のようだ。
「それでバブルね」
「若竹にはいないでしょ、そんな先生。あそこって生徒に厳しい分、先生もちゃんとした格好をしていないと、上の人に注意されるって聞くけど」
「特別厳しいことはないと思うけど、身だしなみは気をつけるように、なんたって若竹学園の教師だから、って感じかな」
「若竹らしいね。でもその方がいいでしょ? だって所詮ここはM県のM市だし、名古屋みたいな都会じゃないから。地方都市はそれなりの格好でいいよ」
「ちょっと自虐的ね」
「そんなことないよ。それこそTPOってやつ? だって井畑で名古屋巻きは明らかに浮くでしょ。井畑は井畑なりの、若竹だったら若竹なりのもんってあるじゃない」
思うことがあるのか彼女は喋りながら興奮していた。美樹は穏やかな口調で同意する。
「言っていることも判るわよ。だからみんな変に目立たず、波風立てないように上手く立ち回っているからね。特に学生時代ってそういうカースト制度があるから」
「女子は特にひどいね。男子でもあるけど、女子ほど気が回らないっていうか」
遼がこの話題に参加すると、亜里沙が何か諦めたかのような口調で答える。
「男子は単純バカだからだよ。女子は中高生になると変な知恵をつけて厄介だよね」
「でも東京とか都会の方がすごいでしょ。JKとかJCとか。JSとかも言われているし」
「さすがにこの辺りはそこまで酷くないね。それは田舎で良かったかもしれない」
「まだ健全だからね」
美樹がとげとげしくなってきた空気を変えるよう、ポジティブな言葉に言い換えると、
「健全っていうか平和だからだよ、中学に入ると田舎でもそうはいかなくなるけど。というか田舎だからこそある面倒な人間関係ってやつ?」
亜里沙はまだ怒ったように話し続けた。何か気に障ることがあるようだ。
するとそれまでスマホを弄りながら部屋を入ったり出たりして、話題に入ってこなかった父が諭すように呟いた。
「面倒な事を考えているね。小難しく考えないで、勉強とか運動とか友達と遊ぶとか、今できることを一生懸命やればいいよ。それは今も昔も変わらないと思うけどな」
「そう簡単じゃないから厄介なんです。美樹ちゃんだって、あっ、なし、これなしね」
亜里沙は慌てて謝り話を変えた。おそらく“あの話題”に繋がると思ったのだろう。
「そういえば美樹ちゃん、若竹山神社へはお参りした? プリバン巡りとかしてないの?」
「この間の連休中に行ったわよ。人が一杯でびっくりした。外人さんも沢山いたし」
「GWだったら、当たり前だよ」
神社はこの地域のシンボルの一つだ。何十年か前、この地区の振興の為アイデアを募り古くから神社が祀る竹の神様の存在を生かそうという意見が出された。そこで竹から生まれたかぐや姫をモチーフにし、観光資源にと様々な取り組みをしたようだ。
その目論見が成功して神社は求愛の聖地として広まり、今や全国各地から男性にアプローチして欲しい女性達がこぞって集まるようになったのだ。女性が集まれば男達も集まる。評判が評判を呼び縁結びにも繋がるとされ、口コミや宣伝により観光客はどんどんと増え、後には恋人の聖地の一つに認定されるまでになったのだ。
加えてすくすく育つ竹になぞらえ、愛だけでなく子供の成長を願う神としても有名となり、合格祈願や成長に難のある子を持つ親達が参拝し始めた。さらにはご利益を得るためか藁をもすがる思いで、難病の子を持つ若い人達が若竹へと移り住み始めたのだ。
そこから派生して、近年では地元出身者の漫画家がかぐや姫をモデルにしたプリンセスバンブー、略してプリバンというアニメキャラを制作したところ、それが爆発的にヒットし、世界的にも有名となったのだ。
その結果神社周辺の街も有名な観光地として、日本だけではなく世界中から人が集まるようになった。若竹地区に活気が溢れ地域経済の発展は成功した。そこで全国にある過疎化の街を活性化させるお手本、とまで言われるようになったのである。
「休みの間に街を探索したから、色々なお店も行ったわ。あとは無頼寺もね」
「あ、あそこも結構全国から人が集まってくるところだからね」
表情が曇らせた彼女の気持ちも理解できた。神社が光とすれば、無頼寺は影だ。それでも今やこの地区にとって神社に引けを取らない集客力がある場所である。神社周辺を地区南部とすれば無頼寺の地域は北部にあたる。街は地域振興の為にこの場所にも手を打った。
若竹神社と無頼寺は元々一つで、明治に入って行われた国の神仏分離政策により別々になっただけだ。その為両者が力を合わせることは容易だった。無頼寺は神社とは異なり自然の力で不思議な形に分離した“御石”を祀っている。その由来から神社とは対照的に、別離の寺として名を売ることにしたのだ。
若竹の名が売れ始めると、こちらも予想以上に“別れ”を必要とする人々が全国から集まった。つまりは人に頼らない、別れたいという言葉が鍵となり、DV被害者やストーカー被害から逃れたい人々が訪れ、さらには街へ隠れ住むようにもなったのだ。
それは無頼寺がそうなることも予測し、援助するNPO団体を設立させて街の至るところに保護シェルターを用意していたからでもあった。
その効果は想像以上に大きかった。広くは犯罪加害者の家族や被害者家族など、マスコミや前に住んでいた周辺住民等から、誹謗中傷の被害を受けた多くの人々がこの街に移り住んだ。全国各地から人との縁を切りたいと願う人達が集まってきたのである。
ここまで徹底して人を集め、さらに観光地としてだけでなく移り住めるようにまで計画したのは、それなりの理由と歴史があった。というのも無頼寺の北側には旧炭鉱跡があり、かつては炭鉱の町として栄えていたからだ。
日本だけでなく世界のどの地域でもそうだが、金や銀や銅など多くの資源を輩出してきた鉱山も、廃坑となれば栄えていた街は一気に寂れる。一九七〇年代半ばに閉山した若竹もその例外では無い。
それでも廃坑を利用したトロッコ列車や炭坑跡から湧き出る温泉があったため、観光業と温泉による収益により、細々と生き延びてきた。
しかしその苦境を打破する為に立ち上ったのが、若竹神社を中心とした街作り集団だ。まずは元々あった学校法人若竹学園に力を注ぎ文教地区を形成し、M県全体から若い世代の移住を狙った。住む場所の確保は廃坑で寂れ土地を離れた者から古民家を安く、時には無償で譲り受けることで賄った。
しかし人を定着させるには家だけでなく雇用の創出も必要だ。その為廃坑跡地の広大な土地の一部を開放して工場誘致を試み、成功した。その工場も当初は多くの雇用を必要とする組み立て作業をしていたが、時代に合わせ今は徐々にハイテクを駆使した組み立て工場へと変化している。
例えばウェアラブル端末の眼鏡を使い、本来なら熟練された技術師が必要とする作業を眼鏡から見える映像を使い、未熟な者でも熟練技師並の仕事ができる最先端の工場となった。ある程度の技術能力があれば、高度な仕事を日本国内で行うことができる。
それが売りとなり多くの外国人が街に移り住もうと押し寄せ労働力となり、大切な存在となった。さらに街の空き地を取りまとめて大型商業施設も誘致し、若い働き手の為の幼保育施設と、高齢者社会になる先々を見込んでの養護施設の充実も図ったのだ。
人はただそこに住むだけでは生きていられないし、働かないと生活できない。その点ではこの街は成功していた。多くの様々な国の訳ありの人々が集まれば、その家族達もまた働くことができる。
工場だけではなく世界的な観光地となった若竹には、当然海外から多くの観光客がやってくる。その人達の対応要員として、移り住んだ外国人やその家族達が活躍した。
また外国人達や訳ありの人々は、日本人達がやりたがらない独居老人など高齢者の介護、福祉や労働環境の厳しい看護師、保育士等の仕事をすることで、彼らの存在意義と役割を示した。そうやって大切な労働力として重宝され、粗末にされることも無くなったのだ。
その環境が働く人々のモチベーションを高め、さらに労働環境も良くなり、またサービスを受ける側の満足度も高まるという、まさしくWIN,WINの関係ができた。驚くほどの効果が産まれ、若竹学園も教育の一環としてこの地区の好循環に一役買っている。
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