小夜と鬼の宵街

@himagari

小さい夜

 ――小夜。

 小さな小さな私の夜よ。

 いつか私を忘れておくれ。

 貴女の中で眠りたい。

 小さな夜に眠りたい。


 パタリと小さな音を立てて私は古い日記を閉じた。

 話によると、この日記は私の曾祖母の遺品らしい。

 さっきの詩が書かれていたのはその日記の最後のページだった。

 他のページとは明らかに筆跡の違う文字で書かれた詩を指でなぞりながら二つの文字に見入る。

 

 小夜。

 

 私の名前と同じ名前。

 そもそも私の名前が先程の詩に由来するものなのだ。

 この小夜という名前を気に入っている。

 あの詩を読んだときに優しい小夜という名前に触れた。

 私も世界を優しく包み込み、誰かを夢へと導けるような人間になりたかった。


 ふと空を見上げると欠けのない月が天辺を過ぎようとしている。

 大きな月を見て、小さな星を見て、真っ暗な空を見た。

 私は夜が大好きだった。

 今でもよく外にシートを敷いて空を見上げているほどに。


「……そろそろ寝ようかな」


 明日は予定があるわけでも今とても眠いわけでもないけれど、もう時刻は既に0時を回っている。

 今日は秋分。

 昼と夜の長さが同じ日だった筈だ。

 これから先は昼が短くなって夜が長くなっていく。

 徐々に下がり始めた外気の流れを感じて窓を閉め、私は布団に潜って目を閉じた。



 筈だった。



「――――あれ?」


 私は気がつくと森の中に立っていた。

 森の中とは言っても私の足元には道があり、その道の両端には一定の感覚で行灯が並べられている。

 道の先には何があるのかと明るくなっている方を見てみれば少しばかり高い階段の上に神社が立っていた。

 よくよく耳を澄ませば太鼓の音や、笛の音が鳴り響いている。

 どうやら祭りのような物が行われているような雰囲気だった。


「夢、なのかな」


 まるで現実のようだと思ったけれど私はこんな森に歩いてきた記憶など無かった。

 これほどはっきりした明晰夢なら現実のように感じるということもあるかもしれない。

 とりあえず立ち止まっていても夢が覚めることはなさそうなので、階段を登って祭りの様子でも見てみよう。

 せっかく雰囲気のいい夢なのだから祭りの様子くらいは見ておきたい。

 そう思い音のする方へと石畳を踏み進む。

 階段の上、木々の隙間から見える橙色の灯で目を焼きながら段差の高い階段を上がる。

 シト、シトと言う足音は私が靴を履いていないからだ。

 裸足の足が石の段に触れる度に静かな音が広がる。

 そうして階段を登りきってみた景色はやはり縁日のそれだった。


「……綺麗」


 立ち並ぶ屋台が煌々と灯りを放ち、道、森、空を照らしている。

 それだけ見れば一般的な縁日だけれど、やはり夢の中だけあって現実にはない可愛らしい部分もあった。

 道行く人、屋台の店主の全員が犬や猫や虎など二足歩行の獣だったり、全く人間の形をしていな所謂妖怪のようなもの達だった。

 さながら百鬼の夜行。

 現実離れしたその景色はとても美しい幻想のように私は見えた。

 ふらりと踏み出した私の足が石畳を踏み締める。

 階段と道を仕切る鳥居をほんの一歩踏み越えたその瞬間、私は自分の甘い考えを後悔した。

 突然聞こえていた音色は止まり、誰かの喋り声もなく、時が止まったかのような世界で全ての視線がこちらを向いたのだ。

 

「っ!」

 

 その場を通り過ぎていた人も、屋台の店番も、囃子を奏でていた人も、全ての視線が私を貫く。

 ふわふわとしていた思考が冷水を頭からかけられたように一気に冷めた。

 先ほどのメルヘンな空間とは打って変わって感じる恐怖。

 この鳥居から先はまずいと一瞬で分からされた。

 すぐさま踵を返し階段を駆け降りる。

 登ってきたばかりの階段を二段飛ばして駆け降りる私の背後から大量の群衆が私を追いかけて走り出す。

 しかし不思議と鳥居を越えることはできないらしく、階段を降りて追ってくる者はいない。

 100メートルほど走ったところで私は立ち止まり、息を切らして鳥居に張り付く怪物達を睨みつけた。


「な、何だったの?」

 

 とてつもない悪夢だと思いながら、素足で走ったせいでジンジンと痛む足をさする。

 そこで私はふと気がついた。

 

「あれ、なんで夢の中なのに––」


 –––足が痛むのだろう、と。

 しかしその思考に答えが出ることは無かった。

 なぜならばそんな事より緊急の事態が起こったからだ。

 ずっと向けていた視線の先、見えない膜でもあるかのように張り付いていた怪物達を押し退けて額に大きな角が二本生えている怪物が出てきた。

 角が生えている以外は見た目に人間との相違はほぼない。

 着流しを身につけ、すらっと伸びた手足。

 距離のせいで顔はよくわからないが他の怪物達とは別格の存在感がある。

 その怪物は他の怪物がどうやっても超えてこなかったその鳥居に向かって何の躊躇いもなく踏み出した。

 そして鳥居を潜ろうとしたその怪物から凄まじい光と衝撃波が放たれる。

 まるで超高速で大きな質量があるものをぶつけた時のような爆発音が響き渡り、私はその衝撃波と光に思わず耳を塞ぎ目を閉じた。

 幸いなことに数秒ほどでそれは落ち着き、ゆっくりと目を開けていく。

 光に眩んだ目がやがて平素の視界を取り戻し、先程と同じように鳥居を移す。

 しかし先程とは大きな違いがあった。

 着流しの怪物が鳥居を超えて階段に足をかけている。


「嘘、でしょ」


 そして再び訪れた恐怖に流れる冷や汗。

 私はまた鳥居に背を向けて走り出し、文字通り鬼に追われる鬼ごっこが幕を開けた。

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