第5話

 見覚えのない校舎――ほんとうに? どこに行けば出られるのだろう――そうじゃないわ。誰かと合流して――それはよくないわね。私は――わたしは。


「――ッ!!」


 咳き込み、背を丸め、うずくまる。口の中が埃っぽくて、とても気持ち悪い。一体何が、と思った所で、現状を思い出した。


「……」


 私の名前は鏡野 有子で――高校の二年生。ある日、忘れ物を取りに夕方の学校に入ったら、そこで意識を失った。

 そして、意識のない間に、この学校へと連れて来られた。窓の外はまだ明るいけれど、夕暮れの色だから、これからどんどん暗くなるだろう。


「……痛い」


 頭とお腹がずきずきと痛む。私は、よろめきながら立ち上がって、辺りを見回した。

 代わり映えのない、三階の教室。



 はじまりの、へや。



「……!!」


 廊下側の窓越しに、人影が見える。私は、教卓の陰に隠れてやり過ごすことにする。

 さて――どうしようか。

 四階に行っても餓死するだけだ、一階は……今の段階で行っても二の舞だ、三階にはまだ彼がいるだろうし、ならば二階か。


「……?」


 わたしはわたしのかんがえにぎもんをいだ かなかった。


「二階……」


 そして私は、誰かに見つからないように慎重に慎重を重ねながら二階へと降りていった。






 二階には、特殊教室が集められているらしい。特殊教室と言うのが一般的な言い方かどうかはわからないけれど――高校では音楽室や理科室、図書室と言ったクラス以外の教室をまとめてそう呼んでいた。


「ダメだ……ここも、鍵」


 でも、音楽室、家庭科室、技術室、理科室、社会科室……全部、鍵がかかっている。それもそうか、特に家庭科室や技術室、理科室なんて開放されていたら危なくてしょうがない。私は一つ溜め息をついて、一番奥にあった図書室の扉に手をかけた。


「!!」


 がらり、と開いた扉。その先に、人影。しまった、と思いつつも目を凝らせば――。


「……貴女は、あの時の」

「あ……」


 一番最初に出会ったのは、どこだったか。ぶつかって、本を拾って、渡して。助け起こそうと差し出された手が、妙に冷たかったのを覚えている。


「どうして、貴女がここに?」

「あなたこそ……何で、ここに?」


 同じ学年だけど、どことなく幼い少年。私は、訝しげに首を傾げる彼に、同じ質問を返した。


「僕は……気がついたら、この学校にいました」

「気がついたら?」

「貴女に助けてもらってから、図書室に向かっていたんですが、その途中で急に目眩がして」

「あ……私も。忘れ物を取りに行こうとしたら、いきなり」


 お互いの状況はとてもよく似ていた。けれど――似ているからこそ、今の状況の解決には何の意味も持たなかった。


「それで、せめて何かこの学校についてわかるものはないかと思って、図書室に来たんです」

「そうだったの……私は、ここから出る方法はないかなと思って、色々な教室を調べていたの」

「成果はありましたか?」

「あんまり……どこも、鍵がかかっていて」


 鍵を取りに行こうにも、鍵がありそうな職員室は一階にある。一階に行くとしても、もう少し時間をおいた方がいいだろう。


「……図書室では、何か見つかった?」

「成果と言う成果はないですが……本の種類がおかしいな、と」

「?」

「普通、学校図書館はその学校にいる生徒の年齢にあわせた本を置いているものなんですが……ここの図書館にある本は、それがバラバラなんです」


 ……ちょっとよくわからない。


「……えーと、平たく言えば、ここは普通の学校図書館ではないんです。小学校から高校生までの本がバラバラに置いてあって、かと言って公共図書館のように大人向けの本はない」

「うん」

「だから――少なくともここは、普通の学校ではない、と考えられます」


 そういう、ものなのだろうか。図書館にある本なんて、あまり気にしたことはなかったから、よくわからない。けれど、あの時もたくさんの本を持っていた、本好きであろう彼の言うことなら、正しいのだろう。


「普通の学校じゃなかったら……どんな学校なのかしら?」

「そこまではわかりません」


 彼はあっさりとそう言って――少し、迷ったようだった。


「ですが……一人でいても、あまり進展はないようですし、もしよろしければ、一緒に行動しませんか?」

「え?」

「あの時は名乗りそびれましたが、僕は蘭 尚(あららぎ なお)と言います。二年三組です」

「あ、私は鏡野 有子……です」


 突然の自己紹介に驚きつつ、私も名前を告げる。鏡野さん、と何度か繰り返した蘭君は、深々と頭を下げた。


「よろしくお願いします」

「あ、はい、お願いします」





 なし崩しに一緒に行動するようになった気はしたけれど――蘭君はすごい人だった。普通ではないこの学校は、本当に普通ではなかった。

 何せ、教室に入った途端に床が崩れ落ちたり、明らかに引っかかった人間を殺そうとしている罠が張られていたりする。そして……蘭君は、その罠を、全部見破っていた。


「どうやったら、罠とか、わかるの?」

「どうと言われましても……何となく、寒気がするんです」

「寒気?」

「背中に氷を入れられたみたいに……後は、見た目の違和感ですかね」


 廊下に転がっていた消火器を、教室の中に転がす蘭君。次の瞬間、床から飛び出してきた大きな鉄の――棒、だろうか。

 先端が尖っていて、多分、私くらいの身長だったらお腹を刺されて……いや、止めよう、考えただけでお腹が痛くなってきた。


「見た目……」

「ここでしたら、ほら、あの場所」


 蘭君に指されて目を凝らせば、床の木材の切れ目が確かに違う。他の部分は直線なのに、棒が飛び出すためだろうか、曲線になっている。


「でも、普通気づかないわ」

「えぇ、僕もあんなに酷い罠があるとは思ってませんでした」


 完全に、殺す気で作られている罠。


「……蘭君と一緒でよかった。多分、一人だったら」


 ――ひとりだからこそ。


「いえ、僕は貴女に助けてもらったんですから、恩返しみたいなものですよ」

「?」

「ここの教室も……あぁ、やっぱり、入れませんね」


 消火器を弾き飛ばした棒は、ゆっくりと床に沈んでいって、見た目には何の変哲もない教室に戻った。なるほど……これで教室に入れば、今度あの棒の餌食になるのは。


「どうしましょうか、後は四階ですか?」

「四階への扉は封鎖されてるから、一通り回ったことになるんじゃないかしら」

「そうなんですか? じゃあ……どうしましょうか」


 三階の教室も、これで一通り見て回ったことになる。さて、本当にどうしようか。また一階に戻るのか、それとも――。


「……あれ?」


 ちらり、と目の端に光がよぎった気がした。目を凝らせば、遠く、廊下の端の扉が開いている。それは――非常口の、扉だった。


「蘭君!」

「!?」


 とっさに言葉が出なくて、でも目を離したら閉まってしまいそうで、必死にそちらに指を向けた。すると、蘭君もそちらを見て、わかってくれたようだった。


「非常口……」


 ただ、それを見て駆け寄るような真似はしない。私と蘭君は、罠を警戒しながら慎重に非常口へと近づいて行く。キィ、キィ、と微かな音を立てて揺れている扉……淀んだ、生温い風が頬を撫でた。


「……少なくとも、見える罠はないですね」

「じゃあ、開けて……みる?」

「僕が開けます、何が起きても大丈夫なように、心構えを」

「う、うん……」


 蘭君は、ドアノブに手をかけて、そっと外側へ扉を押した。夕暮れの光が、廊下に差し込んでくる。

 橙色、と言うよりは、目を刺すような、血のような赤色――。


「……金属製の階段ですが、万が一と言うこともあります。僕が無事降りたからと、油断はしないようにして下さい」

「うん……わかったわ」

「後、もし僕が何らかの理由で貴女とはぐれるようなことになったら、危険ではなくて近い方へ逃げて下さいね」

「……うん」


 まるで遺言のような言い方に、不安感が迫ってくる。私の表情を見た蘭君は、そこでふっと口元を緩めた。


「僕だって死にたくはありません、二人で生きて帰りましょう」

「……うん!」


 そうだ、生きて帰るんだ。私は、蘭君の言葉に何度も頷いた。





 階段が崩れることも、途中で罠があることもなく。私たちは無事に外の土を踏むことが出来た。


「……プール?」

「そのようですね」


 いや、正しくは土ではない。非常階段を下りた先は、何故かプールサイドにつながっていた……そもそもがおかしな学校だから、これはこれで合っている、のだろうか。


「フェンスをよじ登るのは……止めておいた方が良いかもしれませんね」

「?」

「こっち側に立って、斜めに……そうです、見えましたか?」

「あ……」


 フェンスの先は土があって、学校の外につながっていそうだけれども。フェンスの上に、よくよく見なければわからない、細い糸が張ってある。違う……糸より、もっと強い、ワイヤーみたいな何かだ。


「あれは……?」

「他の罠につながっているか……それとも、あれ自体が罠なのか、わかりませんけれど」

「確かに、触ったらダメな感じはするわね……」


 となると、フェンスの端にある扉を開けなければならない。けれど、その扉には――案の定、鍵がかかっている。南京錠だから、無理矢理壊すと言う訳にもいかない。


「ゲームだったら、都合よく落ちてたりするのに」

「小説でもそうじゃないですか?」

「あぁ、そうね……むしろ、そうだったらいいのに」


 ご都合主義、なんて都合のいい展開がある訳もなく。けれど、それこそ万が一の可能性にかけて、私たちは南京錠の鍵探しを始めた。





 最初はプールサイド、その次は更衣室、それが終わったら水を入れたり抜いたりする機械の部屋。私たちはどんな小さなものでも見逃さないように、真剣に探し回った。けれど、こんな広い場所で、ヒントも何もない状態で探しても見つかる訳がない。プールサイドに戻って来た私たちは、その場にあったベンチに腰を下ろした。


「……校舎内に戻りますか?」

「折角ここまで来れたのに……」

「でも、あのワイヤーか南京錠をどうにかしないと出られませんよ」

「そうなのよね……」


 校舎の外にやっと出られたのに、そこから先へは進めない。何だろう……もしこの学校に意志があるとしたら、私たちがこうして途方に暮れているのを、あざ笑っているような気がする。そう思うと、無性に腹が立ってきた。


「……そうね、戻るしかないわね。戻って、あのワイヤーを切れるものか、南京錠を壊せるようなものを探しましょう」

「それか、他の出口……ですかね」

「いっそ正面玄関のガラスでも割る?」

「椅子を投げたら出来ますかね……」


 そうだ、鍵が閉まっている教室も、窓を割ればいいんだ。何を今までためらっていたんだろう――そちらがこちらを殺す気で来るなら、こっちだって暴力に訴えてやる。あぁ、そう考えるととてもすっきりした。


「じゃあ、椅子を持ってきて鍵が閉まっている教室の窓も割りましょうよ」

「廊下に面した窓だけじゃなくて、外に面した窓を割っても良いですが……それにしても、急にアグレッシブになりましたね」

「ダメかしら?」

「いいえ、むしろ僕も何で今までそう思えなかったのかが不思議です」


 そう言って、蘭君は面白そうに笑った。私も、何だか楽しくなってきて笑ってしまった。

 二人で散々笑ってから――多分、神経を張り詰めすぎておかしくなっていたんだろう――立ち上がる。


「では、適当な教室から椅子を掻っ払ってきますか」

「そうね、そうしましょう」




 ……本当は、油断することなく、ずっと神経を張り詰めていなきゃいけなかったのに。




「!!」

「鏡野さん!?」


 立ち上がった途端、ぐい、と後ろに引っ張られた。どぼん、と音がして、耳に、鼻に、口に、どろどろした水が流れ込んでくる。

 苦しくて、痛くて、必死に手足をばたつかせたけれど、どんどんどんどん沈んでいく。いや……沈んでいるんじゃない、沈められている。


(……どうして、戻って来たんですか)


 息が出来なくて、とても苦しくて、おぼれて死にそうになっているのに――その声ははっきりと聞こえた。誰の声かなんてわかりきっている、けれど、そんなはずはないと断言出来る。


(振り返らずに……帰り着いたんでしょう? 僕のことなんか、見捨ててくれれば良かったのに)


 その、声は、尚君の。



 とても、かなしそうな、こえで。











「エクストラシナリオ:見捨ててくれれば良かったのに」 了











「淀んだ水底から」






「因果、と言うのは不思議なモノでして。ある因果は別の因果を呼び、その因果がまた他の因果を絡め取り。エクストラ、と申しますからには、特別な因果が関わっておりました。今の有子様ならお気づきでしょう? とは言え、死は死。私から出来るアドバイスは一つ。如何なる時も、誰にも気を許されませんように。貴女が本当に生きて帰りたいなら、情けなど無用。ですが……欲張りな貴女は、そうはなさらないのでしょう。それこそが、貴女の因果、で御座いましょう」


 そんな強欲な貴女にはこちらを、と言って森さんが差し出してきたのは、真っ黒なケーキ。確かこれは……。


「デビルズケーキと申します。私などは甘くて甘くてとても食べられませんが、有子様は甘いものがお好きでしょうから。お飲物はそちらに合わせて、ストレートの紅茶を御用意しております」

「遠慮なさらず、一口分けてあげるわ」

「いえいえ、寄る年波には勝てず、とてもではありませんが」

「ワタシが食べろと言っているのよ、それともワタシのお願いは聞けない?」


 まるで私が私ではないような。酷く高慢な物言いで、私は森さんにケーキを差し出す。

 森さんは、苦笑いしながらその一口を受け入れた。


「甘さがくどすぎて……人間はどうしてこんなモノを考え出すのでしょうねぇ」

「次こそはうまくやるわよ、一回は出来たんだから……そうね、次はマカロンが食べたいわ。シトラスと、ベリーと、何でも作ってくれるんでしょう?」

「畏まりました」


 恭しく私に向かって頭を下げる森さん。

 私は、私の意志に反して、ぴょんと扉をくぐり抜けた――。

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