第2話 Side Boy

 「これ、君のバイク?」


 6月の終わり。図書館の駐車場で俺のバイクに触れていた女が言った。うちの学校の制服だけど、冬服。見ない顔。…誰?

 訝しむ俺の気持ちに気づかない風で、彼女は言った。


 「ねえ、乗せてくれない?」


 海を見に行きたいの―。バイクを撫でるその指先が何か別の生き物のようで、俺は『勝手に触るな』の一言すら言えずにいた。


        ***


 このバイクは、無料ただで手に入れた。昔からバイクが好きだった俺は、去年、高1の夏の終わりに免許を取った。10ヵ月後、母さんからのメッセージ。


 「10年近い中古のバイク、来年4月から公道で使用禁止になるガソリン式だけど、よかったら譲るって人がいるんだけど。どう?」


 添えられた画像はまさに欲しかったバイク! 欲しい! 古くても、あと1年でもいい! 俺は即座に、

 「お願いします!」

と返信した。


        ***


 見知らぬ、冬服の女。背筋がザワリとした。数日前の、クラスメイトの話を思い出したから。


 「最近、うちの冬服姿の女の子の幽霊が出るんだって」

 「幽霊?」

 「この季節に冬服、どの学年にも彼女らしき人はいない。昔の生徒の幽霊かって、噂になってる」

 美人らしいから会ってみたい(笑)、そんな軽口は、聞き流していたんだけど。もしや彼女が、その幽霊? でも、足はあるな。


        ***


 「ね、乗せて?」

 「…あんた何者? なんで冬服? なんで俺に?」

 彼女が人間なら、喜んで乗せる男は少なくないはず。意図が読めず困惑が募る。

 「誰でもいいってわけじゃないもの」

 心中を見透かされたようで、どきりとした。切れ長の、一重の目。濃い睫に縁どられた、深い色の。何でも見通しそうで、落ち着かない。


 「…バイクで、どこに行きたいんだ?」

 「海」

 「電車で行けるぜ?」

 「バイクが好きなの」

 「後ろに乗せろってこと?」

 「そうね。私、運転できないし」

 女の子を乗せて海に行く。悪くない。けど、

 「無理だな」

 「なぜ?」

 むっとされて、黙り込む。免許を取って1年未満。タンデムは、できない。


        ***


 彼女は何度も現れ、言った。乗せてよ、と。ここから30キロ弱の人工の浜の名を挙げて、夕陽を撮りたいの、と骨董品クラスのフィルムカメラを見せた。それなら、もっと広い浜がよくない? と言ったら、首を横に振った。


        ***


 「わかった、じゃあ、一度だけ。来週、30日に乗せてやる」

 夏休みがあと10日で終わるころ、俺は根負けしたていで言った。その日でちょうど免許を取って1年ということは内緒にして。

 彼女は、ぱっと微笑んだ。初めて見た笑顔。ありがとう。そう言いながら、彼女の指は俺のバイクをそっと這った。


 「で、名前は? 万一事故ったとき、知らない人です、じゃ困る」

 「事故るつもり?」

 「そうじゃないけど」

 「いいわ、じゃあ、私の名前は、さざなみ」

 「え?」

 「…だから嫌なの。名乗るとみんな、変な顔する」

 さんずいに連で、さざなみ。

 確かに変わった名前だけど、彼女に合っている気もした。


         ***


 タンデムするからメット貸して、兄貴に頼んだら、デート? とニヤニヤされた。そんなんじゃない、慌てて言うと、まあいい、気をつけろよ、そう言われた。

 …デート? デート、なのかな?


         ***


 8月30日、俺たちは海にいた。さざなみは、ひたすら夕陽にきらめく海を撮影していた。俺は黙って見守る。それが最もふさわしいことに思えたから。


 帰り道も、ずっと無言で。

 バイクを降りて、ヘルメットを返してきた彼女が言った。


 「ありがとう、楽しかった。じゃあね」


        ***


 あれから彼女は現れない。消えてしまった。本当に幽霊だったわけじゃないよな。背中に感じた体は、温かかった。…俺のバイクが好きだったのかな。

 覚えている、バイクから降りた時、愛おしそうにハンドルの上を撫でていたあの指先、あの瞳。その唇が、そっと動いた。何か囁くように。


 『さよなら、さざなみ1号』

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