追加シナリオ 千年の夢(4)
それからしばらくは、特に何も起きなかった。
季節は巡り、いつしか秋も深まろうとしている。
港町から帰宅してみると、自宅からは賑やかな声が聞こえていた。台所でヒルデとサーラ、それに、数人の村の女性たちがなにやら盛り上がっている。
「ただいま。何してるんだ?」
「あっ、ロードさんお帰りなさい」ヒルデがテーブルの上の籠を指差す。
「新鮮なお魚をいただいたです。それで折角だから皆さんにもおすそわけしようかなって」
「そっか」
誰に貰ったのか、とは、聞かなかった。
――ロードは、廊下の奥にある、閉ざされた裏口の扉の向こうを思い浮かべた。その扉は今、海の沖合いにあるマルセリョートの島に繋がっているのだ。
岩礁地帯の岩の上を繋ぐようにして家々の作られた、海上の"村"周辺では、魚は釣り放題だ。ロードの幼馴染である釣り好きのニコロなど、そこが気に入って住み着いてしまった。
村長の孫娘、サーラがにっこり笑い、そそっと近づいてきてロードに囁いた。
「ね、進展は?」
「進展って?」
「ヒルデと一緒に住んで、もう半年でしょ? 彼女、これからどうするつもりなのかなって」
そういえばそうだ。彼女がやって来たのは、たしか、春だったはず。
「もうそんなに経つんだっけ…」
ぼんやりと呟きながら、背負っていた荷物を降ろす。
どおりで、村に馴染んでいるわけだ。
旅に出る時はついてくるが、それ以外の日帰りの仕事などの時に留守番をしてくれていて、今では、すっかり村の住人になっている。
(確かに、ヒルデ、いつまでうちにいるんだろうな)
彼女がどうしたいのかは、まだ聞けていなかった。
いつか"冒険"に満足したら、家に戻るつもりなのか。…それとも、兄と同じ"風の塔"での仕事を選ぶのか。
「あ、そうだ。ロードさん」
台所からヒルデが顔を出す。
「さっき、先生のところからお使いがきてましたよ。どなたか来られるみたいで、手伝って欲しい、って」
「お使い?」
「見たことの無い人でした。」
では、お客自身を使いに出したのだろうか。――"先生"ことガトが住んでいるのは、村はずれだ。
「夕食前に、ちょっと行って様子を見て来るよ」
答えを得られなかったことに不満げなサーラの視線に気づかないふりをしながら、ロードは、上着だけを手に丘をの道を村のほうへ下って行った。
行ってみると驚いたことに、ガトの家の前に大きな馬車が停まっていた。それも一台だけではない。巨大な石の塊らしきものを積んだ荷車まである。その周りに御者と護衛がついていて、さらに、白ローブの魔法使いたちが数人混じっている。
「何の騒ぎなんだ、これ」
「あっ! ロードくん!」
振り返ると、ガトとともに家の中からシャロットが出てくるところだった。相変わらず、髪につけた色鮮やかなリボンが目立っている。
「遺跡から掘り出してきたのよーこれ! ジャスティンまで輸送する途中なの~ で、ちょうど近くに専門家がいるっていうもんだからぁ、鑑定してもらいにね」
「専門家? 鑑定?」
ロードは、背を丸めて指先で鼻にかけた眼鏡を押し上げている、白髪の老人を見やった。
「先生の専門って確か、古い文学とか大昔の歴史とかじゃなかったでしたっけ」
「そうだよ。そして、これらの碑文はラティーノ語で書かれているから、ワシの専門分野だね」
言われて初めて、ロードも気が付いた。
荷台に積まれている石の塊には、辛うじて、文字らしきものが刻まれている。まったく読めない、ヒゲのたくさん生えた文字だ。
確かに、ガトの部屋で昔、こんな雰囲気の文字を見せられたことがあったような気がする。
「ラティーノ語は死語でねえ。千年くらい前まで、この辺りの地方ではよく使われていたらしいんだけど、今じゃすっかり忘れられてて読める人が少ないのよー」
シャロットは、腕組みをする。
「こんなものが出てくるってことは、あのエベリアのお城、思ってたよりずっと古いものってことね。」
「エベリア? エベリアから持ってきたんですか、これ。何でまた」
「ソランのヤズミン殿下がずいぶん気にしててね。で、改めて調べてみたら過去にほとんどまともに調査もされてないってことが判ってー。<影憑き>が出たってこともあったでしょ? それで改めて調査してみたら、ってこと」
成程、とロードは思った。
あの城は、約一年半前まで、この世界には存在しないことになっていた。だから今まで、誰も知らなかったのだ。
調査もされていなかったのではなく、「存在しなかったから出来なかった」が正解なのだが、世界が再構築される時に、記憶や記録も改変されてしまったらしい。――もっとも、その辺りが本当はどう整合性が取られてるのか、ロードにもよく判っていないのだが。
「で…、先生、読めるんですか」
「勿論だとも」
ガトは馬車によじのぼって、がらくたにしか見えない石板の欠片を拾い上げている。
「しかしまあ、見事に石ばかりだのぅ。」
「他に、文書の類は残っていませんでしたね」
と、シャロット。
「湿気の多い土地で。塩の結晶が出来ている箇所もありましたし、おそらくあそこ、千年前は湾か何かですね。」
ロードは驚いた。
「海があんなところまで入り込んでたってことですか? ここから一日かかる場所まで?」
「千年以上前なら、そういうこともありえるわよ。千年前に大規模な気候変動があったの。知らない?」
「授業で教えたはずだがなぁ」
ガトは、ちらりとかつての教え子のほうに視線をやる。
「あ…えーっと…。聞いたような…」
「ふむん。ま、ロードは歴史は興味無かったからのう。読み書きを覚えるのは早かったんだが。」
石板を両手で持ち上げながら、老人は、遠い眼をした。
「それは"暗黒時代"と呼ばれておる。千年前の悲劇。伝説によれば、いずこからともなく押し寄せた"闇の軍勢"によって、世界の人口の三分の一が失われたと聞く。長い冬の時代、暗闇の世界。波は消え、大地は砂に覆われ、空は星を隠した。多くの種が滅び去り、伝承も伝統も断ち切られた。」
「……。」
「ロードくん、ほんとに知らなかったの」
シャロットは意外そうな顔だ。「前に"賢者"の話とかしてたし、伝説には詳しいのかと思ってた」
「全然。"賢者"の話とか好きだったのは、フィオですよ。おれは、三賢者がいたって話くらいしか知らなかったし」
――そう、"知らなかった"。あの時までは。
「ふーん。でも、この遺跡って、その"賢者"に関係してそうなのよねえ」
「え?」
「まだはっきりとはしていないんだけど、"世界の守り手、はじまりのことばの守り手"とかって言葉が出てくるから…賢者を祀る何かの儀式が行われていた場所…みたいなの。」
彼女は、視線を海の方角に向けた。
「場所柄、"海の賢者"じゃないかと思ってるのよねー」
「それで間違いないだろう」
荷台の上で石碑や石板を調べていたガトが、顔を上げた。
「ここにラティーノ語で"聡明なる鯨、全てを見通すお方"という言葉がある。"聡明なる鯨"というのは、この地方の古い伝承で"海の賢者"を表す言葉だ」
「…つまり、海の賢者を祀ってた? …賢者って、祀られるようなものなんですか」
「そりゃー、世界を創ってる呪文を守ってるわけだからねー。てことは、世界そのものじゃない」
「……。」
分からない。
そうだとして、一体なぜ、あんな要塞のような城で祀られなくてはならなかったのか。
「とにかく、これは大発見よ。千年前には、"賢者"が実在した…或いは、実在するものと信じられて祀られてたってことよー、この地方の住人たちに。"海の賢者"かあー、今もまだどこかにいるのかしらー。本当に居るなら会ってみたいわねぇ」
慌ててロードは口を挟む。
「えっと、そういうのは、もっと慎重に議論してから答えを出したほうが…。本当に"賢者"の話なんですか? ここに住んでるけど、おれは全然知りませんよ」
「かつてこの辺りに居た、ラティーノ語を使っていた人々は千年前にほぼ全滅してしまったからのう」
ガトは、のんびりとした口調だ。
「伝承が途切れて忘れ去られてしまったのかもしれんぞ。わしらは元々、いいところ数百年かそこら前に移住してきて、無人だったこの辺りに住み着いた余所者だ。」
「けど…」
「なあに、ロードくん、"賢者"は信じない派?」
「信じるとか信じないとかじゃなくて…、」
彼は、言い淀む。まさか、今の”海の賢者”が実の父親だとは、言い出しにくい。
「…世界のどこかにいるっていうんならまだしも、この近くにっていうのは、…ちょっと。」
捜索などされてはかなわない。
マルセリョートは、地図には載っていないが、沖合いを探せば見つけ出すのはそう難しくはない。誰もそんなところに人が住んでいると思わず、岩礁地帯だからと船も避けて通っていたおかげで、今まで見つからずに済んでいただけなのだ。
「っていうかシャロットさんだって、ちょっと前までそんなものは"お伽噺"だって言ってたじゃないですか」
「んー、そうなんだけどねぇ~…」
苦笑しながら、彼女は空を見上げた。
「最近ちょっとだけ、信じる気になっちゃったのよねぇ。ま、調査はまだこれからだし。何か判ったら、ロードくんにも教えてあげるわねぇ」
そう言って、シャロットは意味深なウィンクをして、部下たちのほうへ去って行った。
"千年前"。
ずっと引っ掛かり続けていたものが、ロードの中でおぼろげに形を取り始めていた。
当の"賢者"たちですら忘れてしまったその時代に、"何か"が起きたのだ。それは、世界の崩壊に匹敵する出来事――世界の"巻き戻し"によっても修正することの出来ない、不可逆的な変化をもたらす何か。
過去に起きた出来事であるそれは、これからの未来にも影響を及ぼすという予感があった。
胸の奥のざわめきとともに、彼は、思い出していた。
――エベリアの城の地下に隠されていた広大な暗がりと、その中にただ一つ、青く輝いていた"眸"の輝きのことを。
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